エレノア(ロイ&モイラ・シリーズ2)                  
 
  第六章 その手を  
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 白い天井、白い壁、白い床。
 どこを見渡しても、汚れたところのない清潔な空間。病院として完璧な環境なのだろうが、どこか落ち着かない。
 ロイはそこで、手元に視線を落とした。お見舞い用にと花屋の店員に告げ、作ってもらった花束を見つめる。花車を模った籠に、溢れんばかりに生けられた花々を見て、これはヒベリカム、これはバーゼリアなどと、モイラが一通り解説してくれたが。聞いている側から、ロイは忘れてしまった。
 この、紫の花の名前は何と言ったっけ。彼女の瞳と同じ色の、この花は……。
「ロイ」
 モイラの声に、顔を上げる。
「入るわよ、大丈夫?」
 ロイは小さく頷いた。
「ああ。というか、大丈夫なように、できてるんだろ?」
「まあね」
 微かな笑みを、その真紅の唇にだけ浮かべ、モイラは先に立って扉を開けた。
 部屋に入る。何となく、違和感を覚える。感応力者ではない自分が、そんなものを感じるわけはないのだが。どこか重苦しい、喩えるなら、風の通らぬ部屋に入った時のような、そんな不快さをロイは感じた。
 白い天井、白い壁、白い床、そして、白い寝台。
 そこに、エレノアはいた。上体を起こし、ぼんやりと、分厚いガラスで遮断された窓の外を眺めていた。五年前に見た景色と、同じ眺めを……。
 子供でも溺れないような浅瀬で、ロイは沈んだまま空を見ていた。急に、視界が翳る。散漫となった思考で、なぜ、飛んではいけないはずのエア・カーが飛んでいるのかと思った瞬間、大量の水を感じた。ごぼごぼと呑み込み、足掻く。意志に従い、手足がばたつく。
 ようやく意味のない動きを止め、上体を起こそうと両肘を突っ張ったその時、ロイは強い力で引き上げられた。
「ロイ!」
「……モイ……ラ」
 海水を混ぜながら、言葉を吐き出す。覚えているのは、そこまでだ。次の記憶は、病院の中。病を患う者の目には少々きつい、グラなんとかという真っ赤な花を花瓶に生ける、モイラから始まる。
「ファイルが二重にロックされているのに、気付かなかったのよ。それで遅くなったの」
 そう、彼女は言った。
 きっかけは、セリンジャー病院の医師、ベルファー氏の履歴だった。長く精神科に勤めていた彼は、その経験を生かし、本を書いていた。『死に急ぐ者達』。これに、ぴんと来たのだ。
 もう、三年ほど前の著書だが、モイラはこれを読んでいた。そしてロイも、その本に覚えがあった。セリンジャー病院の名前の記憶は、そこから得たものであったのだ。
 本は、これまで彼が診た患者の症例を、特殊なケースを中心に書き連ねたものだった。そしてその中に、感応力者の場合が取り上げられていた。テオラス、あるいはマルーン。こういった星の出身者に多い、感応力者。自身の意思と、他者の思念を共鳴させる能力に優れた人種。
 これだけを聞くと、彼らは自在に人を操ったり、支配できるように勘違いしがちだが、そうではない。あくまでも、彼らの能力は共鳴にあるわけで、他者が否定の意志を持つ場合は、それを覆したりはできない。また、その力も、本人の意志によって封じることが可能であった。そもそも、そういう能力がなければ、彼ら自身が傷付いてしまう。他者の思念が、垂れ流しに自分達の心に流れてくるようなことがないよう、制御する力も彼らは併せ持っていた。
 しかし、力の仕組み自体は、まだ完全に明らかとなっていない。そのことが、誤解を解くことへの壁となっていた。力を持たざる者は、力を理解できない。無理解が、謂れなき偏見と差別を生む。ほんの一昔前まで、このホーネル星でも差別は平然と行なわれ、彼らは迫害を受けた。
 ようやく彼らを守るための法が作られたのは、今からニ十年ほど前のことだ。公式の文書から、感能力者であることを示す記述が抹消された。それまでは、能力の有無を申請することが義務付けられていたのだ。もちろんこれで、全てが解決したというわけではない。
 テオラス、マルーン。そういう星の名前を出しただけで、能力の有無に関わらず、何らかの差別を受けるという事態が、根強く残っている。そこで特別処置として、テオラスを始め、指定した五つの惑星に限り、出身をホーネル星に移すことが許可された。本来なら、少なくとも四世代、その星で暮らさなければ認められないものだ。ホーネル星の歴史から考えると、それは第三期時代以前の移民となる。テオラスからもマルーンからも、まだその時代には移民がなかった。つまり、暗に感応力者ではないという肩書きを、付け焼刃の処置として与えたのだ。
 そのことが、今回は結果的に、事件の真相に迫る障壁となってしまった。エレノア・ファーガソン。ホーネル星出身。だが、その肩書きは違っていた。彼女は、マルーン星の出であった。しかも、能力を持っていたのである。

 
 
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  第六章・1