短編集2                  
 
  マザー  
             
 
 

 

 その日はひどく寒かった。もちろん仕事場には暖房が入れられてはいたが。冷たい外気は建物の表皮だけに止まらず、内部をも侵し、閑散とした店内という視覚的な要素も加わって、気温以上の寒さを感じさせていた。
「今日は長い経験の中でも、記念すべき最低の日になるかもしれないわ」
 そう、独り言を呟く。
 私がこのマザー・コンサルタントの仕事に就いてから、かれこれ二十五年、いや、入社したのが二三一七年だから、もう二十六年になる。最初の頃は「営業」という二文字に悩まされて、随分とストレスが溜まったものだ。仕事は仕事と割り切れるようになるまで、そう、少なくとも五年はかかった。正直なところ、今でも気持ちが揺らぐことがある。でも、別に商売に徹するというのは悪いことではないし、多少ではあるけど、この仕事の意義みたいなものも感じている。
 この仕事は、ちょうど私が入社した頃に急成長を遂げた。当時、あちらこちらで新たな会社が設立され、我が社もその例外ではなかった。それと言うのも、あの有名なシュタインブルク博士のベストセラー「人類存続の危機」(私達はこの本を我が社のバイブルとしている)が、その数年前に発刊されたためである。
 その中で博士は、現状の人間生活のあり方に疑問を持ち、昔の生活、夫がいて妻がいて子供がいるといった、いわゆる家庭と呼ばれたものを持つことを提唱したのだ。博士の研究によると、その当時、世界人口の六二・八%までがタンク・ベビー――成人した男女が提供した精子、及び卵子を、通称マザー≠ニ呼ばれるタンクの中で、人工的に受精し育てていく――そういうベビーであるとのことだった。このタンク・ベビーは、受精から約一年でマザー≠ゥら出され、政府機関である保育所に移される。ここで厳選された育児のエキスパート達によって大切に育てられ、やがて寄宿舎に入り成人するまで、つまり十八歳になるまで学校に通う。問題なのは、この成人したタンク・ベビー達の生殖能力であった。
 彼らが提供する精子と卵子が、何故かマザー≠ノ適応しないのだ。全部が全部というわけではないのだが、ほぼ九十九%の確率で受精に失敗する。それらに遺伝的な欠陥は見られないにも関わらずだ。この事実は、非常にセンセーショナルなものであった。急激な人口の減少。そして人類の破滅。これは皮肉な暗示だった。マザー≠フ発展には、その当時深刻だった少子化という問題が裏にあったのだから。
 仕事に差し障りがあることはできない。自身の生活環境を変えたくない。社会に対する不安から、子供を産み育てる自信が持てない。経済的に苦しい。単純に子供が嫌いだ。そんな様々な理由をつけて、その時代、子供を持たない夫婦が増えていった。
 もっとも世界規模で見ると、そんな夫婦はまだ少数で、今この時代に較べると深刻性は低かった。よってマザー≠ヘ、出産の際多くの危険が生じる者、妊娠そのものに障害がある者、そういう人達を主たる対象とし、子供を持つことが可能であるのに持ちたがらない者達への提供は、付属的に行われる程度だった。
 しかし意外にもこれが、多くの人々に歓迎されることとなる。生身の体を使うより、安全で確実であるというふれ込みも後押しし、皆がマザー≠使う事を望んだ。もちろん人としての社会性、倫理感、宗教的見地、ありとあらゆる角度からの反論もあった。しかし大きな流れは止めようがなく、タンク・ベビーは増え続けた。そして、子供全体の数も。予定外の望ましい結果に反対意見は徐々に勢力を弱め、マザー≠ヘ文字通り、人類のマザーとなった。それがここに来て、この結果だ。
 だがそれでも最初の頃は、破滅などということになる前に、もっと良いタンクが開発されるだの、提供された精子、卵子に何らかの医学的処置を施せば良いだの、楽観的な意見が主流を占めた。が、直にその考えが過ちであったことに気付くと、俄かにマザー・コンサルタントなる業種が注目を浴びるようになった。多くの学者、研究者が推奨し、各メディアでも大きく取り上げられ、このシステムを賛美した。しかし実際は、とてつもない難題を抱えてのスタートだった。子供を持つということ、それ以前に、子供を産むということ。タンクを使わずに、生身の体で胎児を育てるということが、いかに大変なものであったか。そこに敢えて、挑戦を促す。出産適合期女性の意識改革。これこそが、マザー・コンサルタントの成功を握る鍵であった。
 すでに女性が子供を身ごもり育てるということから解放されて、二百年近くになる。それに伴い、男女間の形態も変わった。両者の間に快楽は存在するが、子供はマザー≠ェ産み政府が育てるので、いない。その分、関係は希薄となる。もちろんそうでないカップルもいたであろうが、大方はそうだ。婚姻し、夫婦という形をとる必要性を感じない者がほとんどであった。そんな中、母となることの使命感、義務感を、もう一度蘇らせようと計るのは、掘り尽くされた金鉱から一塊の金を見つけ出すような困難さであった。
 それでも当初は、メディアに煽られ、好奇心半分で会社を訪れる者も多かった。政府はもとより、主な大手企業が、イメージアップを兼ねて多額の助成金を出したことも手伝って、母となることを希望する女性が跡を絶たなかった。この中には、私達マザー・コンサルタントの女性社員も含まれている。半ば強制的に、母体体験を義務付けられていたのだ。無論その報酬として、多額な給金が支払われたのは言うまでもない。そんな具合に、会社が急成長を遂げた頃の母の数は、飛躍的な増加を辿った。
 しかし、物事の全てがそうであるように、ピークの後には衰退が待っていた。一時的に膨れ上がった母の数は、人々から危機感を喪失させ、母となる女性に対する理解や尊敬が薄れていった。助成金も、以前に比べ大幅に削減された。徐々に減る母親、資金不足。同業者の中には、潰れていったものも多い。その中で、我が社は比較的安定した成績を上げている。この成功を分野外の者、特に男性陣は、我が社のスタッフのほとんどが女性であるからだと決めつけている。つまり、身を持って母となる喜びを体験したが故に、お客様により理解して頂ける営業ができるのだと言うのだ。
「冗談じゃないわ」
 私はまた独り言を呟いた。
 妊娠という状態がどんなにわずらわしく、出産という事業がどんなに苦痛を伴うものか。母となる喜び? そんなものは微塵もなかった。ただ義務を、使命を達成した安堵だけがあった。いくら会社のためであっても、いくらお金を積まれたとしても、二度と母となることはごめんだわ。二度と……。
 そこで私は、この取り留めもない思考を中断した。半透明の扉の向こうで、人影が動いたように思ったからだ。
 お客様かしら……。
 その時、再び人影が見えた。急いでデスクに手を翳す。大理石調の表面に透けて現れたキーボードを操作し、スリガラス状の扉をこちら側からだけ透明に変える。若い、小奇麗な装いの娘さんだ。
 お客様だわ。きっと入りづらくてうろうろしているのね。でも、ここまで来たのが運の尽き。狙った獲物は逃さないのが私なんだから――。
 さらにキーを操作し、立ち上がる。扉を形作っていた映像が消え、音と熱と、その他様々な物体を遮断するための気流膜が、流れを止める。
 私は、二十六年のキャリアが染み込んだ満面の笑みを浮かべて、その娘に声をかけた。
「どうぞどうぞお客様、ご遠慮なさらずに。そこは寒いでしょう? さあ、お入りになって下さいな」

 

 
 
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  マザー・1