短編集2                  
 
  マザー  
             
 
 

 残念ながら我が社において、母性に目覚めたお客はほんのわずかだ。大抵の者は、一回の出産でもう懲りてしまう。もちろん、物質的なメリット、要するにお金のために、二回、三回と出産する者もあるにはあるが。それもそんなに数があるわけではないし、何より会社としてのメリットが少ない。
 現在の制度では、第一子であろうと第二子であろうと、政府からの助成金は一定である。しかし、実際母親に支払われる金額は、回を重ねるごとに大きくなる。そのプラス分を、マザー・コンサルタント会社が負担しているのだ。新規で母になる者が極端に減少している現実を打開するため、各会社が始めたサービス。これによって、なんとか顧客数を維持することができているのだが、会社としての儲けはほとんどない。
 だから一番良いのは、お客に母性を目覚めさせることなのである。母性に目覚めた女性は、子供を産むということ自体に喜びを感じる。お金には換えられない、厳粛で神秘的な幸福。そこで私達はそんな彼女達に、助成金の寄付を申し入れるのだ。より多くの女性に、あなたと同じ喜びを与えるため、協力して欲しいと。心の満たされた者が寛大であることは、説明するまでもないだろう。なかには全額を寄付する者もいるくらいなのだから。これが、マザー・コンサルタント会社の、最も理想の形なのである。
 しかし、我が社を含め、この形をビジネスとして成功させている所はない。いくつかの例は見られるものの、それらは全て偶発的なもので、確立されたノウハウがないのである。いや、実はそれ以前の問題なのだという説もある。すなわち、母性はすでに失われてしまったという、この業種の存続自体を危ぶませる説が。
「それで、それでそのお友達の――いえ、お友達のお友達でしたわね。その方、どうなさったんですの?」
 私は、また黙りこくってしまった彼女に尋ねた。
「ええ、あの……その方……」
 彼女は小さな声で口ごもった。それから少し考え込むように細い眉をきゅっと寄せ、やがてすっと顎を上げると真っ直ぐに私を見つめた。
「それでその方、急に今度は仕事を辞めるとおっしゃって。自分で、子供を育てたいからと」
「まあ……なんて……こと」
 開いた口が塞がらないという言葉を、私はそのまま実践した。現況では、子供を個人で育てるシステムはない。親に無用な負担をかけないこと、子供に最高の環境を与えること、その両方を考慮しての処置だ。実験的に、いわば学術的に、親が子供を育てるということもあるにはある。しかしこれは、経済的にも人格的にも、親となる者が十分な資質を有しているかどうか審査した上、公的機関の方から要請がある場合に限られている。そんな、この人ならと見込まれた者でも、子供を自分で育てることに二の足を踏む者は多い。それを自ら、何の公的支援もない状態で、子供を育てたいと願うとは。正直、物好きにもほどがあるというしかない。と言うより、あまりにも危険な行為だ。
「でも……周りの方は、みなさん反対なさって……」
「そうでしょうねえ」
 彼女に相槌を打つことで、ようやく私の口は動きを取り戻した。
「出産後の情緒が不安定な時期に子供を手元に置いてしまうと、あたかも自分の分身であるかのように錯覚してしまう例が報告されていますからね。その後、溺愛により子供を堕落させたり、自立期、古い表現では反抗期とも言うのですが、この時期にさしかかった子供に対応できずパニックに陥るなど、様々な障害が報告されています。出産は素晴らしい社会奉仕として認められていますけれど、学術研究以外で個人的に育児を望むことは、むしろ逆の評価が一般的ですから」
「ええ。ですから、同居されていた男性の方も、それだけは絶対に駄目だと強く反対されて。もしそうするなら、別れると。それなのに……それなのにその方、どうしても自分の手で子供を抱きたいとおっしゃって……。とうとうご自分の主張を押し切ってしまわれたんですの。男性の方とは別れて、お仕事もお辞めになって。親や親戚とも絶縁状態になって。それまでに積み上げてきた何もかもをお捨てになって。それで……それで、結局……」
 みるみる彼女の整った顔が哀しみに崩れ、大きな黒目がちの瞳が潤んだ。
「死産でしたの。その方――死産でしたの……」
 彼女は小さなバッグから白いレースのハンカチを取り出し、それを目頭に強く押し当てた。
 私は――。
 私は、とてつもなく居心地の悪い思いでそれを見ていた。どんなに医療技術が発達しても、百パーセントはあり得ない。非常に少ない確率だが、死産することも当然ある。だが、それについては、あらかじめ医師から説明を受けていたはずだ。おそらく、あまり良い状態ではないことを承知の上での、出産だったのであろう。それに何より、失敗だったからといって権利を剥奪されるようなことはない。死産でも助成金は支払われる。元の生活に戻るためのケアも、もちろんしてもらえる。悲しむべきことなど、何もないのだ。その女性も、ましてや、この目の前の彼女にも。
「あの、それで――」
 私はこの理解し難い状況をなんとか打破しようと、探るように尋ねた。
「それで、それから――どうなったんですの?」
「それからって?」
 彼女はしゃくりあげながら言った。
「ええ、ですから、死産なさって――何か問題でも?」
 この私の言葉に、彼女は驚いたように目を見張った。そして少し低い、抑揚のない声でこう呟いた。
「あなたのおっしゃる意味が、よく分かりませんわ」

 
 
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  マザー・3