01/3/24

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幕末年表(6)元治元年(1864)

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幕府/一会桑の主要なできごと 朝廷・諸藩・浪士の主要なできごと


1 1.9−慶喜、参与大名と会談(1)長州征討、(2)守護職に春嶽、(3)慶喜、総督・指揮に、(4)久光・容堂を幕閣に
1.12−容保、春嶽・容堂・宗城らと二条関白邸へ。
1.13−久光、朝廷参与に
1.15−将軍家茂入京・二条城へ。容保病気にて登城せず
1.21−家茂参内。公武一和の宸筆が下る。
1.27−家茂参内。宸筆の直書が下る。将軍、従一位に叙
1.12−二条斉敬関白に
1.13−久光、朝廷参与に

1.24−英国公使オールコック再赴任
2 2.1−会津・新選組批判の高札
2.5−容保、二条家と両敬の約。
2.8孝明天皇、容保に内密の宸翰。
2.11−幕府、征長部署決定容保、守護職を更迭され陸軍総裁職と征長軍副将任命
2.13−容保・軍事総裁職
2.14−家茂3度目の参内。中川宮に諸侯と幕議相談することを約束
2.15−春嶽、守護職就任(慶喜の後押し)、朝議参与会議
2.16−孝明天皇、容保に再び宸翰(守護職復帰要請)/慶喜、久光・春嶽・宗城を連れて中川宮へ「薩摩の奸計、大愚物」
2.20−元治と改元。容堂、参与辞任





2.16−慶喜、久光・春嶽・宗城を連れて中川宮へ「薩摩の奸計、大愚物」
2.20−元治と改元。容堂、参与辞任
3 3.2−枡屋宅に幕府批判の張り紙
3.3−新選組を容保支配下に置くことを内定
3.9−慶喜、参与辞任。参与廃止の申しこみ。
3.10−新選組の会津藩所属が所司代より要請
3.12−会津藩、唐門・蛤門警備免除→堺町門(まえは長州の担当)警備
3.13〜14−参与大名の辞任。
3.19−新選組、春嶽暗殺の噂
3.25−朝廷、慶喜を総督・指揮に任命、将軍後見職を罷免。春嶽守護職留任決定
3.28−容保、守護職復帰辞退
3.27−天狗党の筑波挙兵
4 4.7−春嶽、守護職罷免、容保軍事総裁職罷免
4.11−桑名候松平定敬の所司代任命
4.14−守護職慰留の幕命
4.17−守護職辞表再提出
4.20−家茂参内。庶政委任の勅定獲得
4.21−容保、守護職復帰を承諾
4.22−新選組不審人物より長州人潜伏を知る
4.24−見廻組結成
5 5.3−近藤、進退うかがい
5.7−家茂、東帰のため大阪へ
5.14−見廻組、新選組隊士編入を会津藩に打診。

5.21−海軍操練所設立

5.20−内山彦次郎暗殺事件
6 6.1−新選組、宮部鼎蔵下僕捕縛
6.5−池田屋事件
6.8−近藤、与力上席内示受ける
6.10−6幕府、池田屋残党追討令。古高らを六角獄へ。明保野亭事件。
6.17−一橋用人平岡円四郎暗殺
6.20−近藤、両御番次席内示受ける
6.27−孝明天皇、容保支持と長州兵入京拒否の勅書。容保、凝華洞へ
6.29−慶喜に諸事委任の朝命
6.5−池田屋事件
6.7−祇園祭り
6.8−池田屋批判の張り紙
6.9−長州藩留守居役乃美、慶喜に抗議の上書
6.12−池田屋の報、長州に届く
6.15−長州軍進発
6.24−長州藩士、伏見藩邸や天王山等に布陣(真木和泉らも)。勝海舟、新選組を批判
6.27−長州伏見、入京願いを出す。孝明天皇、容保支持と長州兵入京拒否の勅書
7
7.2−慶喜に勅書、慶喜、監察を送って退京説得
7.11−慶喜、監察(目付け)永井・戸川に退京を説かせる
7.17−容保、尾張藩徳川慶勝に上洛を促す
7.18−長州、容保宛の送戦状を所司代に託す。慶喜、留守居之美を召して撤兵を最終勧告
7.19−禁門の変

7.24−慶喜、容保に朝命を心得のため伝達
7.27−容保、慶喜とともに慶勝に再度上洛要請
7.2−佐久間象山の暗殺/慶喜に勅書、慶喜、監察を送って退京説得
7.)−朝廷、伏見の福原越後に撤兵の勧告
7.5−五卿の建白書
7.9−長州中老400名の兵と到着
7.10−家老国司信濃300名と到着
7.17−西郷、諸藩に征伐主張。
7.18−慶喜、留守居之美を召して撤兵を最終勧告
7.19−禁門の変
7.20−六角獄の虐殺
7.21−天王山の戦い
7.23−長州追討の勅命
7.28−十津川郷士の皇居警備追放(賀茂社の警備担当へ)
8 8月〜幕閣の京都・諸藩敵視政策 小栗忠順、勘定奉行に復帰 小笠原長行、老中に復帰

8.2−在京老中阿部、将軍上洛促進に東下。野村・広沢も東下。(野村らは幕閣には1月以上逢えず)
8.4−幕府、会津藩に浪士追補を賞して1000両下賜。
8.7−尾張候慶勝征長総督に
8.13−幕府、征長部署決定。
8.19−容保、江戸の老中に将軍進発を要請
8.24−幕府、勅命により毛利父子の官位剥奪
8.30−将軍上洛の勅
8月〜幕閣の京都・諸藩敵視政策

8.5−四国艦隊、下関を攻撃

8.14−長州、四国艦隊と講和条約
8.24−幕府、勅命により毛利父子の官位剥奪
9 9.2−天皇、容保に煎薬下賜。
9.5頃−近藤・永倉・尾形・武田、江戸へ出立
9.9−公用人野村・公用方広沢、幕閣と面談するが形式的に終わる。
9.11−大目付、野村を呼び出し、叱責。
9.14−幕府において守護職在勤中、毎月一万両・米二千表与えることが決定される(賜金は2月に停止)
9.17-容保、将軍に上洛要請の直書
9.26−容保、公用人小森を尾張藩に遣わし、上洛要請

9.11−勝、西郷と会見
10 10.1−在京老中阿部、関白二条に詰問される
10.2−阿部、東下
10.7−公用人手代木、征長諸藩重臣とともに尾張藩士に出征緩慢を詰問。
10.16−天皇、容保に京都守護を願う御沙汰
10.22−大阪城で征長の軍議
10.25−第一次征長戦。天皇、容保に禁門の変以降の功をねぎらい短刀下賜。
10.27−近藤、帰京
10.29−容保、将軍進発要請のため公用人小森を東下。

10.25−第一次征長戦
11 11.16−新選組近藤、大阪問屋筋に15万両の献金を申し付ける
11.18−天狗党追討に会津藩出動の勅命
11.27−問屋筋、献金の日延べを要請

11月中:新選組土方、征長軍念頭の「行軍録」作成
11.2−西郷隆盛(総督参謀)の長州藩(吉川経幹)調停
11.4−征長総督使者(薩摩の大島、吉井ら)岩国出張
11.11−長州三家老ら切腹
11.18−慶勝、長州藩謝罪を上奏

勝海舟、軍艦奉行罷免。小栗が就任。
12 12.3−天狗党追討軍京を出立。
12.15−老中松前・若年寄立花上洛(慶喜江戸召喚のため)
12.18−幕府、会津藩に金7000両を賞賜。
12.22−天狗党加賀藩に降伏。 12.27−慶喜帰京。慶勝、征長軍撤兵の指令
12月中:新選組、大阪豪商から銀6600貫金策。
12.3−天狗党追討軍京を出立。
12.15−老中松前・若年寄立花上洛(慶喜江戸召喚のため)
12.22−天狗党加賀藩に降伏。
12.26−高杉晋作挙兵
12.27−慶喜帰京。慶勝、征長軍撤兵の指令

主な参考文献:
『開国と幕末変革』、『人物叢書山内容堂』、
『人物叢書藤田東湖』、『人物叢書松平春嶽』、『会津歴史年表』、『幕末の天皇』、
『徳川慶喜公伝』

『徳川慶喜』・『勝海舟』(中公新書)、『京都守護職始末』・『昔夢会筆記』(東洋文庫)
『幕末政治と倒幕運動』(吉川弘文館)、『新選組史料集コンパクト版』・『新選組日誌』(新人物往来社)

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