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8. 戒光寺さんの第1回禁裏御陵衛士忌法要(2004年)ミニレポ
2004.11.19の表紙のミニレポを移動(公式レポートは、お寺と相談しながら現在作成中です)

2004年11月18日、 戒光寺さんで禁裏御陵衛士忌法要(第一回)が行われました。御陵衛士のご子孫、研究者の方(御陵衛士といえばの市居浩一先生、伊東甲子太郎の政治思想的側面を評価されている松浦玲先生、毛内監物研究の第一人者高橋理子先生など)、檀家代表の方、熱心なファンの方などがお集まりになられ、法要はしめやかに行われ、また座談会では御陵衛士の魅力をそれぞれの先生が語られました。

座談会は夢のような豪華顔合わせでしたが、このサイト的には、なんといっても、松浦先生のお話でした。まず、「新選組」を書かれるまで伊東の建白書を知らなかったのが非常に残念だったとのご発言に始まり、慶応3年末の政治状況に絡めて、伊東と坂本龍馬の建白(考え方)の違いをていねいに説明してくださり、伊東の構想のユニークさを強調されていました。また、伊東の暗殺にいたった根本的な原因は幕権回復派の近藤と公卿中心の政権構想を抱く伊東の思想の違いという見方にはうなずくばかり。

実は管理人は法要のスタッフで、座談会では僭越ながら企画・進行役を務めさせていただいたので、発言は自重していたのですが、ついつい、松浦先生のお話を受ける形で、「武家に再び政権を渡すなという伊東の思想から考えて(徳川にかわって政権をとろうとしている)薩摩藩に寝返ったなんてありえないですよね!」と訴える(笑)と、「ないでしょう」と即答をいただきました。これまで新選組本の「伊東は薩摩藩(討幕側)に走った」等の記述にさんざん不本意な思いをしてきたので(「誤解参照)、すかーっとしました!詳しいレポはのちほど。

また、戒光寺ご住職との共同作業で、法要直前に,伊東が助命した志士井上謙三のご子孫がわかり、お会いすることができました。謙三についても少しずつ書いていきたいと思います。当日、市居先生からは悟庵に関する資料をいただきましたので、これもサイトに活かせたらと思います。

法要にこられた関係者のみなさま、ほんとうにありがとうございました。こられなかったみなさま、京都、読売、サンケイ新聞が取材にきていましたので、チェックしてみてくださいね。なお、うちのサイトでは例年通り、12月の命日前後にいろいろ特集をする予定です。



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