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先月に 戒光寺さんで行われた禁裏御陵衛士忌法要で、渡邊住職のご次男で剣道を学んでいる恭伸(やすのぶ)くん(小学六年生)が、「ぼくたちの剣」という作文を朗読してくれました。「武道の剣」と「武器の剣」・・・考えさせられる内容でした。集まった方はみなしーんと聞き入り、熱のこもった朗読に目頭をおさえている方も何人かいらっしゃいました。読み終わった恭伸くんには大喝采が起りました。その場の感動は拙筆では伝えきれませんが、せめて、作文だけでもなるだけ多くの方々に読んでいただきたい、とHPへの掲載をお願いしたところ、快く許可をいただきましたので、ここに紹介いたします。(恭伸くん、住職ご夫妻、本当にありがとうございます)。なお、その後、恭伸くんは全日本剣道道場連盟主催の「体験・実践発表会」の京都大会でこの作文を朗読して最優秀賞を受賞。つい先日の近畿大会には京都代表として参加し、優秀賞を受賞されました。


9. 「ぼくたちの剣」by渡邊恭伸くん(戒光寺ご住職のご次男)
 ぼくは小さいころから父や母に
 「友達をたたいたり、傷つけたりしてはいけません。物でなぐるなんてもってのほかです」と、言われてきました。でも、ぼくは今剣道で相手を竹刀でたたいています。母もけい古や仕合のとき、
 「もっとしっかり打ちなさい」
と、言います。
 ある時、母がぼくに、
 「なんでいつもは『たたいたらあかん』って言ってるのに、剣道では相手をたたくの」と聞いてきました。ぼくは、
 「剣道をやってるんやから、相手を打つのはあたりまえやん。防具をつけてるからたたいてもだいじょうぶや」
と答えました。母は変なことを聞いてくるなと思いました。しかし、この点では確かに矛盾しているなと思いました。

 ぼくの家はお寺です。お墓には「御陵衛士」という人たちのお墓があります。その中に、元新選組の参謀だった「伊東甲子太郎」という人のお墓があります。この人は、新選組の裏切り者として暗殺されたのですが、北辰一刀流の達人で、学問も極めた頭のいい人だったそうです。しかし、伊東甲子太郎は剣の達人でありながら人を切ったことが一度もなかったそうです。人を切ったのは一生のうちで暗殺者に反撃したときの一振りだけだったそうです。ぼくは「なぜこの人は、人を切るのがあたりまえな時代に、人を切らなかったのだろう」と不思議に思いました。ぼくは剣道で相手を打つのはあたりまえだと思って打っています。しかし、この人は人を切るのがあたりまえな時代に切っていないのです。母は、
 「伊東甲子太郎は武道家だったから、武道としての剣で人を切るのはいやだったんじゃないかな」
と、言いました。ぼくはこれを聞いて、同じ剣でも「武道の剣」と「武器の剣」は違うんだとわかりました。同じ新選組の中にいても、近藤勇や土方歳三の剣は「武器の剣」で伊東の剣は「武道の剣」だったのでしょう。伊東甲子太郎は人を切るのがあたりまえな時代に切らない武道としての剣を重んじたのです。だとしたら、とても強い意志の持ち主だったのだなあと思いました。

 また、新選組には「脱退するものは切腹」という規則がありました。この規則により、新選組の考え方と違った伊東は暗殺されました。しかし、この規則は間違っていると思います。なぜなら、この規則は「自分と違う考えのものは殺してしまえ」という考え方だからです。ぼくはこのような「相手を認められない」という考え方が、今の戦争やテロなどの争い事を起こしているのだと思います。そんな考え方だといつか一人ぼっちになってしまうと思います。人間は一人では何もできません。剣道だって同じです。ぼくは道場の先生の言葉を思い出しました。先生は、
 「礼をするときは、相手が自分の竹刀を受けてくれた。面や胴をたたかせてくれたことに感謝して、相手の目を見て礼をしなさい」
と、言われます。剣道には「礼に始まり礼に終わる」という言葉がありますが、先生の言われたことは正にこの事だと思いました。自分のことだけでなく、「相手に対する礼の心」があればきっと今のような争い事はおこらないと思います。

 「武器の剣」は人を傷つける剣です。「武道の剣」は自分自身の心を鍛える剣です。ぼくたちの剣は「武道の剣」です。その剣が間違ったことに使われることのないように、ぼくはこれからも剣道を通じて身体だけでなく心も鍛えていきたいと思います。そして意思の強い、相手を思いやる事ができる立派な大人になり、この考え方を武道や僧侶という仕事を通して広めていければと思っています。


管理人より:当日、ノブくんは風邪をひいて熱があったのですが、力強い声で心をこめて語りかけるように朗読してくれました。実は、ノブくんの朗読の後が座談会で、進行役のわたしが喋らなくてはいけなかったのですが、朗読の余韻が残っていて、頭が真っ白でした。不信心者のわたしがお寺さんのお子さんにこんなこというの、変ですけど、本当に、伊東への何よりの供養だったと思います。この作文を旧暦の命日中にUPできてよかったです。(2004.12.13)

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