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1 伊東の生立

by 伊東甲子太郎の姉・こと

此の度は御同様萬ゝ御めてたく
御祝ひ申候(注1)

   伊東の生立

一三才にして水戸藩沢小路金子先生(注2)
の門に入り、先生御用にて東京へ参り候
に付(注3)、一反宿へ参り、それより芝愛宕下の
御屋敷(注4)伯母(注5)の處より糀町杉山先生(注6)に
足を止む。其後伊東先生の代稽古
を致候由。西京へ参り、九州長州の御用も
無事に相勤め、帰京致候。帰京の際も
大難風に合、又後にもいろいろの難き致し事も
委敷申参り候手紙も是れあり候へとも
見当たらす残念に存候。御前様の御紙
のみ差出候。

 大正七年十二月廿一日                 
                        こと

  鈴木様


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注1:大正7年11月18日に伊東が贈位されているので、そのことを祝っているのだと思います。
注2:神道無念流金子健四郎のこと。当時、水戸藩に召抱えられて剣術師範を務めていました。金子は、水戸藩士は桜小路の道場で教えていたといいます。門弟からは桜田門外の変関係者が多数出ています。
注3:金子は江戸勤務になっていますので、そのことでしょうか。
注4:志筑藩邸。注5:母こよの姉妹でしょうか。こよ実家である川俣家も志筑藩士で、こよの姉妹の嫁ぎ先も志筑藩士だった可能性はあると思います。
注6:糀町=糀町。杉山は、金子の師匠で、志筑藩の剣術師範でもあったという剣客杉山東七郎だと思います。

ことについては、鈴木巌氏による祖父の姉・おことおばあさんのことをどうぞ。

出所:鈴木家所蔵の書簡より管理人が解読。(一部の不明な箇所の解読は、幕末研究家石田孝喜氏・西宮郷土資料館江藤氏に助言をいただきましたm(..)m。また、句読点は管理人が任意に挿入)

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