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年号 (西暦) |
歳 | できごと |
文政11 (1828) |
1 | 筑後。石工篠原元助長男として誕生 |
時期不明 | ? | 幼少から家業を省みず武芸を嗜む。(「秦」) 久留米城下に出て、藩士森兵右衛門に入門し、剣術を修行する。 *森兵右衛門は久留米藩槍術師範(宝蔵院流)である。(『高』) |
弘化2 (1845) |
18 | 久留米藩下坂五郎に入門。(「秦」) *下坂五郎は藩の柔術師範(良移心倒流)である。(『高』) |
嘉永5,6 頃 |
24、 25 頃 |
久留米藩士小倉一之進に奉公する。(「秦」) |
時期不明 | ? | ・久留米藩家老有馬右近に奉公する(「秦」) |
安政5 (1858) |
31 | 有馬の出府に随行し、久留米を発って江戸へ。赤羽の久留米藩邸に入る。酒井伝次郎・妹尾末之進と交わり、尊攘の大義に身を捧げることを誓う。(「秦」 ) *酒井は、文久2年、清河八郎の京都挙兵計画に参加するが、計画は失敗。さらに元治元年8月に天誅組の大和挙兵に参加するが、捕縛され、翌2年に六角獄で処刑される。(『高』) |
万延1 (1860) |
33 | (3月−桜田門外の変) 4月−篠原、有馬家を脱して水戸へ。有志と交わる。(「秦」) *同月酒井は帰国。 |
文久1 (1861) |
34 | 江戸に戻り、愛宕下の戸塚彦助道場(柔術)入門。(「秦」) |
文久1〜 文久3 |
34 〜 36 |
時期不詳:加納・服部・佐野・大村らと知り合う。さらに伊東・三樹と知り合う。(「壬」) |
文久3 (1863) |
36 | (2月−浪士組江戸出発) (3月‐将軍家茂上洛) 3月頃?将軍上洛と相前後し、下坂。中国・九州・京摂間で有志と交わり、久留米藩の水野渓雲斎と王事に尽すことを誓う(「秦」) 4月−のちに篠原に横浜居留地警備を依頼する(とされる)窪田治部右衛門、清河八郎と謀議の角で山岡鉄太郎らとともに謹慎・小普請入り。(『高』) 5月‐大坂を発ち、上総・下総・奥州・越後などを遊歴。(「秦」) 6月−窪田、神奈川奉行所定番役取締役頭取に。(『高』) *篠原・加納・服部・佐野七五三助・大村安宅、窪田の依頼を受けて横浜居留区の警備を始めた(「壬」)のはこの頃と思われる。 10月−英国人3名が乱暴を働いたので、彼らを縛り上げて海岸に放置。外国人暴行の嫌疑を受け、横浜を脱出。(「秦」) その後、大目付伊沢美作守の子力之進を頼り、親類の雅橋勘之進宅に潜伏。(「秦」) |
「秦」=「秦林親日記」、「岳」=「岳父鈴木三樹三郎」、
「壬」=「新撰組(壬生浪士)始末記」、『相』=相楽総三とその同志』
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