文政〜天保年間 |
年 | 水戸藩のできごと | 幕末のできごと | |
文政12 (1829) |
9月−8代当主斉脩(哀公)重篤。世継問題。 10月−斉脩没。斉昭(30歳)、9代当主に。 |
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天保1 (1830) |
1月−斉昭、言路洞開を推進 10月−斉昭、老中大久保忠真に勧告。(幕政関与の始まり) |
伊勢おかげまいり流行 | |
天保2 (1831) |
4月−斉昭、有栖川宮登美子と結婚。 | ||
天保3 (1832) |
8月−海防掛の新設。 | ||
天保4 (1833) |
3月−斉昭初めて水戸入り。 *藩内を視察。 10月−仏寺の火葬を禁止。蝦夷地開拓を老中に願い出る。 |
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天保5 (1834) |
4月−斉昭、江戸着。 9月−斉昭、老中に山陵修復を建議するが入れられず。 *水戸藩で修復を負担することを決める。 |
大坂で打ち壊し続発。 天保の大飢饉。 |
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天保6 (1835) |
3月−斉昭、老中に蝦夷地開拓を建議するが行われず。 4月−斉昭、大奥倹約等幕府経済に関して意見を述べる。中絶を禁止。 |
天保の大飢饉。 | |
天保7 (1836) |
2月−斉昭、鉄砲の鋳造を命じる。 3月−那阿湊に砲台建設 |
天保の大飢饉。 | |
天保8 (1837) |
7月−斉昭、「富国」「強兵」「教育」の三事について藩士に対策を練らせる。 | 2月−大塩平八郎の乱 6月−米国船モリソン号浦賀入港。 |
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天保9 (1838) |
閏4月−斉昭、老中水野忠邦に蝦夷地開拓の意見を示す。 6月−斉昭、老中に大船建造の必要を説く。 |
幕府、諸大名以下に倹約令。 適塾開塾。 |
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天保10 (1839) |
4月−検地開始 6月−戊戌の封事を将軍家慶に提出。 10月−三ヵ年半知借り上げ令 弘道館、偕楽園、好文亭に着工。 |
蛮社の獄 | |
天保11 (1840) |
1月−斉昭、幕府の許可をへて1年間水戸へ。藩政改革に着手。 5月−大砲鋳造のため溶鉱炉建設開始。 |
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天保12 (1841) |
7月−幕府、斉昭に水戸滞在(5〜6年)を命令。 8月−弘道館完成。(仮開館) |
閏1−徳川家斉没 5月−天保の改革始まる |
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天保13 (1842) |
3月−斉昭、追鳥狩を実施。 7月−斉昭、偕楽園を開く。 12月−斉昭、大砲鋳造のための梵鐘・仏像鋳潰し布告。 |
7月−無二念打払令廃止 | |
天保14 (1843) |
6月−弘道館に医学館を開き、町村医に入学を許可。 7月−水戸東照宮を神式に改正し、僧侶を罷免。 9月−斉昭、老中に大船建造解禁を促す。 閏9月−廃寺を行う。 |
首席老中阿部正弘に。 |