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幕末水戸藩の年表(2)

弘化・嘉永・安政年間


水戸藩のできごと 幕末のできごと
弘化1
(1844)
4月−斉昭、追鳥狩を行う。
5月斉昭、幕府より江戸にて隠居謹慎の命。10代当主は慶篤(13歳)に。藩庁は保守門閥派が実権を握り、斉昭派は免職に。斉昭の進めた藩政改革も中断する。
10月−斉昭派(武田耕雲斎・吉成信貞)、無願出府して幕府に斉昭雪冤を訴え。
11月−斉昭の謹慎解除。
この年:藤田東湖、「回天詩史」を著わす
3-仏軍艦、琉球に来航して通商要求。
7-幕府へ開国を勧告するオランダ国王の親書が届く
弘化2
(1845)
2〜3月−斉昭派水戸藩士・神官ら無願出府して斉昭親政を幕府・諸藩に嘆願。
3月−水戸藩、弘道館教授頭取会沢正志斎(斉昭派)を罷免。
2-米国捕鯨船マンハッタン号、浦賀来航。阿部正弘(27歳)、首席老中に。
6-幕府、オランダに対して開国勧告を謝絶。海防掛再置。
9月−水野忠邦蟄居。
弘化3
(1846)

6-斉昭、大船解禁等の海防意見を老中阿部に提出。

10-幕府、水戸藩に大砲鋳造許可。
2-孝明天皇(16歳)践祚
5-フランス司令官セシーユ琉球来航し、通商要求。
閏5‐米国司令官ビットル、浦賀来航。通商を求めるが幕府は拒否。
8-孝明天皇、海防勅諭を幕府に下す。
弘化4
(1847)
9月−慶喜、一橋家を相続。 9-孝明天皇、異国船撃退を祈願
嘉永1
(1848)
<仏の2月革命>
嘉永2
(1849)
3月−三連枝の水戸藩後見解除。斉昭、藩政参与に復帰
嘉永3
(1850)
3月−斉昭、老中に蝦夷地開拓を建議するが行われず。
4月−斉昭、大奥倹約等幕府経済に関して意見を述べる。中絶を禁止。
6-オランダ船、幕府に米英の通商の意思を知らせる。
11-孝明天皇、再び海防勅諭を下す。
嘉永4
(1851)
2月−斉昭、鉄砲の鋳造を命じる。
3月−那阿湊に砲台建設
12月−吉田松蔭、水戸訪問。
<中国で太平天国の乱始まる・ナポレオン3世即位>
嘉永5
(1852)
2月−藤田・戸田の慎隠居解除。
6月−斉昭、朝廷に地球儀を進呈。
10月−越前藩主松平春嶽、斉昭に海防策を求める。
11月−将軍家慶、斉昭をもてなす。
12月−斉昭、老中阿部に「大日本史」を送る。10代藩主慶篤、将軍家慶の養女と結婚。
6-オランダ商館長クルチウス、翌年の米国船来航を予告。
嘉永6
(1853)
6月−春嶽、斉昭と米国処置に関する書信を交わす。病床の将軍、老中阿部に斉昭と米国処置を議するよう命じる。斉昭、海防掛川路聖謨に大船建造を入説。春嶽、老中阿部に斉昭を将軍世子の補佐にと入説。薩摩藩主島津斉彬、米国国書回答・海防に関する意見を斉昭に示す。
7月斉昭、幕府海防参与に。「海防愚存」を提出。
8月−春嶽、斉昭の内戦外和説について説明を求める。
9月−関白鷹司、斉昭に天皇の心痛を伝える。
10月−斉昭、幕府に地球儀を進呈。
11月−幕府、水戸藩に大船建造を命じる。
6月−ペリーの浦賀来航。将軍家慶没。
7月−米大統領国書を一般大名に公開。
8月−品川台場建設が始まる。
10月−徳川家定、将軍に。
安政1
(1854)
2月−斉昭、通商を不可とし、急務七か条を建議。和親
3月−水戸藩神勢館(大小銃修練場)開設。
4月−海防参与辞任。安政の藩政改革始まる。

1月−ペリー再び来航
3月−日米和親条約締結。
安政2
(1855)
8月斉昭、幕府の政務参与に復帰
10月−安政の大地震。斉昭側近の藤田東湖・戸田忠敬没
10月−安政の大地震。
安政3
(1856)
4月−水戸藩による門閥派領袖結城寅寿処刑。
10月春嶽、尾張藩主徳川慶勝らに一橋慶喜の将軍継嗣擁立を入説。

この年:軍艦建造。農兵制度の整備。
8月−米国総領事ハリス、下田に着任。
安政4
(1857)
5月−鹿島神社遷宮
7月−斉昭、海防参与辞任。
11月−会沢正志斎、「新論」を刊行
12月−水戸藩、軍艦「旭日丸」を幕府に引き渡す。
老中阿部正弘没
安政5
(1858)
*京都における一橋慶喜の将軍継嗣擁立運動盛んになる。

6月−斉昭・慶篤ら違勅条約調印抗議の不時登城。将軍継嗣に紀州藩慶福が選ばれる(一橋派の敗北)
7月慶篤・慶喜登城停止。斉昭謹慎。幕府、水戸藩三連枝(高松藩・守山藩・府中藩)に水戸藩を監視させる。また、尾張・紀州の家老に斉昭の謹慎を監視させる。
安藤対馬守水戸藩取締掛に。
8月戊午の密勅降下。慶篤、勅書写を水戸へ。幕府、執政大場真斎・武田耕雲斎らを罷免(蟄居)。
9月 − 幕府の圧制(三連枝による藩政監視など)に激昂した水戸士民の南上。一部は江戸藩邸に入るが多くは小金駅に屯衆する。その数、ついには1000名に及ぶ。三連枝の監政解除。慶篤、家臣を遣わし、小金駅勢に解散を説かせる。
2月−老中堀田正睦、勅許を求めて参内(失敗)。
5月−井伊、大老に
6月−日米修好通商条約。斉昭・慶篤・尾張藩慶勝、越前藩春嶽、違勅条約調印抗議の不時登城。将軍継嗣に紀州藩慶福(のちの家茂)
7月−将軍家定没。
9月安政の大獄始まる
10月−将軍家茂就任。
安政6
(1859)
4月- 幕府、密勅降下に関して、家老安島帯刀らを評定所に出頭させる。
5月−水戸士民3000人、再び南上。一部(士分以上)は江戸藩邸に入り、残り(士分以下)は小金駅に屯衆。
6月- 第2の密勅(井伊暗殺指令)
8月−井伊暗殺計画。第3の密勅。幕府、斉昭に水戸永蟄居・慶篤に登城停止を命令。安島帯刀ら死罪。
9月−慶篤の登城停止解除。
10月−慶篤、勅書を祖廟に収めさせる。
12月−勅書返納の朝旨。勅書返納阻止のための激派の長岡屯集(〜万延1年2月)
5月-英・米・仏・露・蘭に対して横浜・長崎・箱館の三港開港を布告。
9月-慶喜、隠居謹慎。
万延1
(1860)
2月−長岡勢の解散。
3月−3.3桜田門外の変(長岡勢が中心になって大老井伊暗殺)。幕府、水戸藩に在府の士鎮撫を命じ、有事にそなえて会津・桑名・庄内・小田原藩に出兵の準備をさせる。井伊直弼の大老罷免。慶篤の登城停止。
5月−幕府、水戸藩に対する還勅催促の勅書奏請
6月−還勅催促の勅書下る。
7月成破の盟約
8月斉昭没(8.15)。林忠左衛門・吉成恒二郎ら水戸浪士37名、薩摩藩に身を投じ、攘夷の先鋒と意見書提出事件
9月−幕府、一橋慶喜、徳川慶勝(前尾張藩主)、松平春嶽(前越前藩主)、山内容堂(前土佐藩主)の謹慎解除。
10月−水戸藩、住谷寅之介ら檄派の蟄居を許す。幕府、還勅猶予を許可する。
11月−幕府、慶篤の江戸城登城さしとめ解除。水戸藩、大場一真斎、武田耕雲斎、岡田徳至を執政に再登用。

この年:玉造勢の騒動
1月−遣米使節、出航







9月−一橋慶喜は謹慎解除。面会文通はまだ禁止。

12月−米国通訳ヒュースケン暗殺事件

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