文久年間 |
年 | 水戸藩のできごと | 幕末のできごと | |
文久1 (1851) |
4月−老中久世ら、登城した慶篤に藩内鎮撫を求める。 5月−東禅寺事件(水戸浪士による英国公使館襲撃) 6月−幕府、慶篤に水戸浪士逮捕を命令。 7月−薩摩藩、意見書を提出した37士を水戸藩江戸屋敷に引き渡す。幕府、桜田門外の変の処罰を行う。 8月−水戸藩、東禅寺事件の犯人を逮捕。 11〜12月−水戸藩士住谷寅之介、平山兵介ら老中安藤信正襲撃を計画 |
6月−幕府、大船の建造・外国商船の購入解禁 | |
文久2 (1852) |
1月−老中安藤襲撃事件(坂下門外の変)。 6月−水戸藩士豊田彦次郎ら、幕政改革の上書を勅使大原重徳に渡す。 9月−幕府、将軍上洛時にあたって水戸藩主慶篤に留守を命じる。 10月−水戸藩、江戸屋敷に幽閉中の激派林忠左衛門・吉成恒次郎らを水戸へ送還しようとする。慶喜、水戸藩庁による処罰を危惧し、送還中止を慶篤に勧告。 11月−水戸藩、大場一真斎、武田耕雲斎、岡田徳至を執政に復す。幕府、慶篤に幽閉中の激派放免を命じる。幕府、大赦の令を発布。水戸浪士を含む国事犯の赦免。 12月−将軍後見職一橋慶喜の要請により、幕府、水戸藩家老武田耕雲斎に慶喜に随従しての上洛を命じる。大場一真斎、武田耕雲斎と相談し、水戸藩に下された戊午の密勅を藩主慶篤に渡す。幕府、戊午の密勅を公表し、慶篤に奉承させる。幕府、朝旨により、慶篤に将軍に先立っての上洛を命じる。武田耕雲斎、西上。 |
2月−将軍家茂、皇女和宮と結婚。 4月−寺田屋事件 6月−勅使大原重徳&島津久光東下。幕政改革を迫る。 7月−慶喜・将軍後見職、慶永総裁職に。長州藩、藩是を「破約攘夷」へ。 8月−生麦事件。将軍上洛決定。 閏8月−会津侯容保、守護職任命。参勤交代の緩和(文久2年の幕政改革) 9月−幕府留学生(榎本武揚ら)、長崎出港してオランダへ 10月−勅使三条実美東下。 11月−幕府、攘夷勅旨奉承決議。大赦の令 12月−長州の高杉晋作ら、英国公使館焼き討ち。守護職容保京都着任。 |
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文久3 (1853) |
1月−翠紅館の尊攘派会合に水戸藩士山口徳之進ら14名参加。 2月−慶篤、藩兵を率いて西上。後見職慶喜、生麦事件処理に関して慶篤に江戸守備の朝命が下ることを請う。 3月−慶篤、入京。加茂行幸に供奉。将軍名代として東帰・江戸守備をするようにとの朝命下り、京都を出立。慶篤弟、松平昭訓、水戸藩主名代に。 4月−将軍名代慶篤、江戸到着。石清水行幸。 *5月以降は準備中 |
1月−後見職慶喜、入京。 2月-総裁職春嶽入京。朝廷に国事参政・国事寄人設置。 3月-将軍家茂上洛。親兵設置。加茂&泉涌寺行幸に将軍ら随従。 4月-石清水行幸。幕府、朝廷に対して攘夷を約束。慶喜、江戸に帰る。 |