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[AM9:30 若駒寮・廊下]

……。
隣室のドアが気になってしまった。
ここは片山の部屋だ。同じ寮で寝た翌朝は、必ず「おーい長瀬、メシだメシ! メシ行こう!」なんて騒々しく俺の部屋のドアをノックする、片山。
低血圧の俺は、やつが隣にいる日はほぼ確実にそれで目を覚ます。今日の立場と時間の逆転は、大方、月曜の全休日でやつが珍しく寝坊しているというあたりが真相だろう。
俺は片山ではない。だから、このドアをノックする必要も意思もない。このままここを素通りして階段を下り、食堂へと向かえばいいだけだ。
……。
しかし、俺の足はまた止まる。
いつも声をかけてくれる親友を、逆の立場になったとき放っておいていいのか……?

……いいのだ。
そもそも、こいつは親友に値しない。
尊敬できる部分がなければ、本当の意味での親友とは呼べない……いつか読んだ本がそんなことを言っていた。
だから、こいつは親友ではない……。

……だが、俺は片山の部屋のドアをノックしていた。
それでひとつ、わかったことがある。
本に書かれた理屈は、実戦では役に立たないことも多いのだと。
「はい……どなたですか?」
思わず吹き出してしまった。こいつ、相手が誰だかわからないうちはこんなに低姿勢になるのか。忘れていた。
「俺だ、俺」
「長瀬!? 今開ける!」
片山はすぐ本来の片山に戻り、室内にバタバタと音を響かせたあと、慌ただしくドアを開けて顔を出した。想像していた通りの表情がそこにある。
「なんだあ、お前の方からこっち来るなんて珍しいじゃないか。どういう風の吹きまわしだ?」
「俺だって、何ヶ月ぶりかの相手がすぐ隣にいるのに顔も出さないほどものぐさじゃないぜ」
顔を出すか出さないかで迷ったことは、この際ノータッチだ。
「おいおい、俺も同じシチュエーションだってこと忘れるなよ。俺はものぐさか?」
「そうは思わない。寝坊してただけだろうしな」
俺たちは笑い合った。
単に笑い合うだけの相手が何人いても、たったひとりの親友にはかなわない。そんな話も知っている。だが……こいつなら、3人ほどいれば釣り合うんじゃないだろうか。そう思った。
もっとも、こいつは世界にひとりしかいないから無理だろうが。
「それより、朝飯に行こうぜ」
「オッケー!」
片山は、深く考えることもなく室内に戻り、部屋の鍵だけを持って出てきた。
深く考えない……それこそが罪なのだという常識を、こいつは理解することができるのだろうか。
それは、俺にはわからなかった。

 

 

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