この物語の前ページを読む


[AM9:30 若駒寮・片山伸の部屋]

……また、あの夢を見た。
こんな朝を、もう何回迎えただろう……。
自問したところで、答えはひとつ。数えきれないほど迎えているのだ。
そして、おそらくは俺がこの世から消えてなくなるその日まで迎え続けるに違いない……。

夢の中で俺は、海で溺れた同期仲間の篠崎剛士を助けようとする。
しかし、岸までもう少しというところで、突然何かに取り憑かれたように怖くなり、やつを海に押し戻してしまうのだ。
波間に消える直前のやつの絶望的な瞳は、夢の中の俺だけでなく、現実の俺自身をもひどく苦しめる。
だが、誰を責めることもできない。
もし誰かを責めることができるとすれば、その標的は俺自身に他ならない。
……なぜなら、この夢は、俺の罪に対する罰なのだから……。

俺は着替えをすますと、戸棚を開けた。
ここは、俺の秘密の空間。中には、2枚の写真をそれぞれ別の写真立てに入れて、並べて飾ってある。
左には篠崎。右には、この美浦トレセン所属の同期では紅一点の桂木真理子ちゃん。この組み合わせが、かろうじて残っている俺の「理性のかけら」なのだと、俺は思っていた。
理性。俺はまだ正常だ……。
……と、そのとき突然ドアがノックされた。
誰だろう。俺の知り合いには、月曜日のこの時間に俺の部屋をたずねてくるようなやつはいないが……。
「はい……どなたですか?」
相手がわからないので、とりあえず丁寧語で聞いてみる。
ところが……。

「俺だ、俺」

長瀬!? 今開ける!」
俺は慌てて戸棚を閉め、悲しいほどに笑顔を作って「いつもの俺」を装ってから、ドアを開けて廊下に顔を出した。
「なんだあ、お前の方からこっち来るなんて珍しいじゃないか。どういう風の吹きまわしだ?」
長瀬健一。美浦所属の4人の同期生、最後のひとりだ。ここ、競馬関係者用の独身寮『若駒寮』の部屋割りはこのすぐ隣になるが、6月中旬から北海道に出張中で(今週だけは訳あって俺が呼び戻した)、顔を合わせたのはずいぶん久しぶりになる。まじめでいいやつだが、ちょっと他の仲間とずれているような部分があって、つきあうのが難しい。
「俺だって、何ヶ月ぶりかの相手がすぐ隣にいるのに顔も出さないほどものぐさじゃないぜ」
「おいおい、俺も同じシチュエーションだってこと忘れるなよ。俺はものぐさか?」
「そうは思わない。寝坊してただけだろうしな」
結構きついことも言う。でも、そこがこいつらしさなのだ。
「それより、朝飯に行こうぜ」
長瀬が隣にいる日は、いつも俺が言うセリフだ。今日は、2ヶ月のブランクとあの夢が立場を逆にしてしまったらしい。
「オッケー!」
俺は元気に答え、部屋の中へ鍵を取りに行った。
久しぶりの長瀬と一緒に食事をすれば、沈んでいる気持ちも紛れるかもしれない……。
そう考えるということは、いくら元気なのを装っても、やはり沈んでいるんだろう。
複雑な思いで鍵を持ち、俺は廊下に出た。

 

 

次ページへ               読むのをやめる