遠い分岐点 −あの日の忘れ物・長瀬健一編−
[AM9:20 若駒寮・長瀬健一の部屋]
やはり俺は俺、他の誰にもなれないのだ……この部屋の窓から外を眺めると、改めてそれを実感しそうになる。
遥か昔に「自分が自分であること」を棄てたつもりの俺を、不意にあの遠い分岐点に引き戻し、新しい人生を歩むべきなのだと教えるような、そんな思いを運んでくる……。
2ヶ月ぶりの自分の城。ここは、トレセン関係者用の独身寮『若駒寮』の一室だ。
昨日の夜、俺は同期の片山伸の頼みで、ずっと滞在中だった札幌競馬場からこの美浦トレセンに帰ってきた。今日19歳になった篠崎剛士のために、もうひとりの同期・桂木真理子を加えた俺たち4人だけのパーティーを企画したという。
美しい友情物語、いいことだ……。
そう受け止められたら、どれだけ素晴らしいことか。
だが、俺にはそれができない。
ただ、自分のせいではないのに感じてしまう、理不尽な気の重さがあるばかりだ……。
……よせ。
俺は変わった。自分のでも他人のでも、過去なんか知ったこっちゃない。今のあいつが何を考え、何をしようとも。
しかし……それはとても無理をした誓いだと、自分でもわかっている。
ならば、俺の真実はどこにある?
あの分岐点から二分された意識、どちらが本当の俺なんだ……?
……遅い朝を迎えたばかりの頭で考えるには、ちょっとばかり難しい疑問だったか。
まあいい。1日は長いし、人生はさらにその何万倍と長いのだ。
そろそろ、遅い朝に相応しい、遅い朝飯にでも行くか。
俺は窓を閉め、廊下に出てドアの鍵をかけた。