[AM9:30 東屋雄一厩舎・外]
「すみませーん! 失礼しまーす!」
私は、元気一杯に東屋厩舎のドアを引き開けた。
中には3人の人がいた。この厩舎を管理する東屋雄一先生、厩舎の調教助手さん、そして……所属ジョッキーの篠崎剛士くん。全員が、突然現れた私の方を見ている。
最初に動いたのは、東屋先生だった。私の方へ駆け寄ってきて、出迎えてくれる。
「おお、これはようこそ。……おい剛士、桂木さんだ」
そして、私の目的はお見通しなのか、すぐに篠崎くんを呼んでくれた。
今日、8月31日は、篠崎くんの誕生日。8月31日といえば、昔は「夏休みの宿題に追われる日」で、1年で一番嫌いな日だったのに、彼と出会ってからは、1年で一番好きな日になってしまった。……つまり、彼への私の想いはそういうタイプのもの。同期の仲間で、ライバルで……そして、世界中で一番好きな人。それが彼。
なんて考えているうちに、その彼が私の前に来た。
……笑うわけでも、また困った顔をするわけでもなく、何もしゃべらない。それは、いつものことだった。
「ハッピー・バースデイ! はいプレゼント!」
だから私は、その穴を埋めようとするかのように、彼の前で笑顔や大声になるのかもしれない。持ってきたバットを差し出しながら、ふと思った。
彼はそれを受け取り、しげしげと眺めまわした。中身が何なのか考えているみたい。
「これは……野球のバット?」
やがて、自信なさそうにそうつぶやく。
「大正解!」
私は、1回で正解を出してもらったのが嬉しくて、クイズ番組で正解したときのランプのイメージで、彼の手に渡ったバットの先を何度かたたいた。
「……ありがとう」
すると彼は、静かにそう言った。
「いいえ、どういたしまして。……あ、じゃあ私、そろそろ失礼するね」
まだここにいたいって気持ちもあるけど、それは私の勝手でしかない。用事がすんだ以上はすぐ帰らなきゃ。それに、今日は朝が遅かったから、ごはんもまだ食べてないし。
「なんだ、もう行っちゃうのか。もっとゆっくりしていけばいいのに。剛士が人間らしい目で見る相手なんて君だけなんだから」
と、横に立っていた東屋先生。
「そうなの?」
「あ、いや……」
君だけ、という言葉に思わず身を乗り出した私に、篠崎くんは真っ赤になった。無感情なように見えるけど、それは表面的なもので、本当はすごく感情豊かな人なのだ。もっとも、それを示せる相手が本当に「私だけ」じゃ困るけど。
「まあ、いいわ。じゃあね。……東屋先生、どうもお騒がせしました」
そうして私は、頭を軽く下げてから、東屋厩舎のドアを閉めた。