[PM4:30 福島県東部の海岸・海の家の影]
「……これは、ここに置いていくよ。今度あのふたりに会ったときには、昔の……競馬学校に入学した頃の俺でいたいからね」
俺はそう言い、ふたつの写真立てを足元の砂に埋めた。
それを終えたとき、俺のポケットの中で携帯が鳴った。立ち上がることも手の砂を拭うこともせずに携帯を取り出し、ディスプレイを見ると……。
『篠崎剛士』……!
今までに、一度も俺の携帯を鳴らしたことのないやつ。
そして、今はこの海の家のすぐ向こうにいるやつ……。
「はい。……なんだ? お前の方から俺の携帯鳴らすなんて、初めてじゃないか」
俺は、いつも通りの俺で出た。まだそれは本心ではなかったけど、あいつを傷つけないためだ。
俺の話から相手を推測したらしい長瀬が、角からそっと顔を出して、波打ち際を見る……。
『あ、片山……さっきはごめん。謝ってすむことじゃないけど、お前の気持ちも知らないで……』
篠崎の声は、沈んでいた。
「ああ……そんなこといいんだよ」
俺は答えた。あくまでも元気に。
『実は、桂木さんに聞いちゃったんだよ。お前が今日、企画してくれてたことの話。あ……でも、彼女を責めないでくれよ』
「もちろんさ」
『ありがとう。パーティーを考えてくれたことも……』
「いいっていいって」
『……それで……今、桂木さんと一緒に海に来てるんだけど……』
「そうか、デートなのか。やったじゃん」
……俺は笑った。平常心で、笑った。でも、いつしか目からは静かな涙が……。
『いや、そんなことじゃなくて……帰ったら、予定通りそのパーティーをやってほしいんだよ。お前がぼくのためにしてくれようとしたことを、これ以上無駄にしたくないから……』
……篠崎は、心からそう言っているようだった。こんな俺には、嬉しすぎる言葉だ……。
「いいよ。それじゃ、長瀬とふたりで『Thrilling
Love』ってカフェレストランで待ってるな」
『『Thrilling Love』だね。本当にありがとう。なるべく早く帰ってそっちに行くから……』
「ああ、慌てるな慌てるな、ゆっくりしてこいって。せっかく真理子ちゃんと一緒なんだ。じゃ、邪魔者はこのへんで失礼するよ」
俺は携帯を切った。
……立ち上がることは、できなかった。
もちろん、これで自分の罪が許されたなどと考えてはいない。
でも、何か……ずっと俺を縛りつけ続けていた鎖が3年の歳月を経てやっと外れたようで、いろいろなものから解放された気分だった。
同時に、もう忘れてしまっていたものを、あれこれと思い出した。
それは本物の笑顔であり、本物の……。
……涙……。
「……帰ろうぜ、片山」
長瀬が、俺の肩を優しくたたいた。
その瞬間……。
古傷が、今までにない痛みを発したように感じられた。
が、それは本当に一瞬のことで、すぐに痛みは消えていき、同時にその傷までもがどこかへ去っていったかのような清々しさを覚えた。
俺は、ささやかな笑顔とともに立ち上がった。
すべてが始まったこの場所で、すべては終わるのだ。
そして、すべてをなくしてしまったこの場所から、俺の新しい人生は始まる……。
古傷の行方 −あの日の忘れ物・片山伸編−
完