[AM9:40 東屋雄一厩舎・大仲部屋]
「やーるじゃん、剛士!」
引き戸を閉め、東屋先生と一緒に大仲の中へ向き直ると、そんなノリのいい声が飛んできた。この厩舎で調教助手をしている、遠藤浩二さんだ。
「女の子にプレゼントもらうなんて、お前も隅に置けないなあ」
「やめてください。彼女はただの仲間です」
椅子に座り、もらったばかりのプレゼントをテーブルの上に置くと、ぼくは遠藤さんにはっきり言った。
「本当に? いい関係なんじゃないのか?」
「そ……そんなんじゃありません!」
ぼくの大声が、大仲の全員を振り向かせてしまった。……恥ずかしくて、周囲を見ないように視線を遠藤さんの口のあたりに固定し、迷惑そうな顔を作る。
「彼女、ぼくがひとりでいたいときに限って企てたように現れて、しゃべりたいだけしゃべって消えていくんです。いつもそんななんですよ」
「でもプレゼントくれたじゃん。向こうは特別なのかもよ?」
「残念ながら、彼女はプレゼントなんて、ちょっと仲のいい人なら誰にだってあげるんです。誕生日とクリスマスとバレンタインには、毎年何かを持ってきますし。しかも、よくわからないものばっかり……」
「なになになに、どんなのもらったんだ?」
……そんなことで身を乗り出さないでほしい。
「去年の誕生日には一輪挿し、クリスマスには写真立て、今年のバレンタインにはガラス細工……それで今日はバットですよ。どういうセンスだと思います?」
「いいじゃん、いいじゃん。それもお前を大切な友達と認めてのことだろ。友好的なのはいいことだ」
「友好的って言えば聞こえはいいですけど、要するに無神経なんですよね。ぼくがそういう物喜ばないってこと、無視してるんですから」
「……何か、ずいぶん実感こもってるなあ。彼女のこと、そんなに嫌いなのか?」
はい、と言ってしまえばそこで話を終わらせることができただろうが、そうは答えられなかった。
「いえ……嫌いじゃないです。あれですごく親切ですし、優しいところもありますから。ただ……」
「ただ?」
……ぼくは、それに続く言葉を見つけられなかった。
確かに、ぼくが桂木さんを嫌う理由はない。彼女はとても明るくて気さくで、普通の人ならまず敬遠しそうなぼくにも分け隔てなく接してくれる。ぼくは人づきあいは苦手だけど、人嫌いなわけじゃない。彼女みたいな人は、いてくれた方がいいに決まっている。
……でも、彼女の方にぼくを嫌う理由があったら?
ただの憶測ではない、事実に基づいた不安を思うと、ぼくはたまらなく苦しくなるのだった。
もちろん、そんなことを遠藤さんに説明したところで、わかってもらえるとは思えないが。
「ま、いいさ。面倒な話はごめんだからな。……それより、いつまでも飾ってないで、開けてやったらどうだ? そろそろ息が詰まってる頃だぞ」
遠藤さんらしからぬ擬人化された言いまわしにうなずいて、ぼくは細長い包みを手に取ると、ブルーのリボンをほどいた。
中からは、桂木さんが言った通りバットが出てきた。
「お、なかなかいいバットじゃん。こう、グリップの部分が手になじみやすそうっていうか……」
トレセン関係者の野球チームに入っている遠藤さんは、専門的なことを言いながら目を輝かせる。
「ぼくは野球の経験皆無ですからね。桂木さんもそれは知ってるはずなのに」
「ま、そう言わずにお前も今度……ん? なんだこりゃ」
突然、遠藤さんがバットの先端部分を見て顔をしかめた。
ぼくはその部分を自分のもとに引き寄せて見てみた。
……桂木さんの笑顔がまぶしい。
「プリクラ……みたいです」
「ぎゃははははははは! いやー、ジョッキーったってやっぱり女の子だなあ。こりゃいいや。俺も今度誰かへのプレゼントでやってやろうかな」
「……私を振りまわしてください、って意味でしょうかね」
無駄に笑う遠藤さんを止めようと、ぼくはちょっと皮肉っぽく言った。
「何だよ剛士、あんまり嬉しそうじゃないなあ」
「ぼく、こういうノリって苦手で……」
「そんなこと言うなって。俺の推理だと、彼女はきっとお前に野球をやらせたいんだ。こういうのは、笑って受け取ってホームランでも打ってお返しするのが粋なやり方なんじゃないのか?」
「ぼくは野球やる気はないですね」
「もったいないなあ、こんなにいいバットなのに」
「……そんなに気に入ったなら、あげましょうか?」
「剛士!!」
……その瞬間、大仲に雷が落ちた。東屋先生だ。
室内は不気味なまでの静寂に包まれ、ぼくの背筋はそれに反応して寒いものを走らせる。
「さっきから聞いてれば、人にもらった物に対してその言い草は何なんだ!」
ぼく自身も「あげましょうか」と言った瞬間にしまったと思ったのだが、やはり怒られた。
「……」
「だいたいだな、お前はいつもいつも、他人に無関心すぎるんだ! その態度を改めないと、今に誰からも相手にされなくなるぞ!」
「……」
何も言えなかった。自分では無関心なつもりはなかったのに……とは思うが、自分のことは一番見えないものだ。こういうときに相手の口をふさいではいけない……。
「……よし。ちょっと待っていろ」
しばらくして、東屋先生は少し落ち着いた声でそう言い、奥の部屋へ行ってしまった。
そして、帰ってきたときには、その手にカメラを持っていた。
「試練だ。今日1日で、その無関心をどうにかしてこい。これは、私に代わる監視役だ」
「……どういう意味ですか?」
「誰でもいい。誰かを遊びに誘って、行った先で証拠写真を撮ってくるんだ」
「え……」
「今日中にだぞ。それさえできないようじゃ、お前の騎手としての未来も暗いと言わざるを得なくなる。わかるな」
「……」
「返事は」
「……はい」
「よし。私を失望させないように、早く行ってこい」
言うだけ言って、先生は行ってしまった。
……残されたぼくは、半ば唯一の選択肢といった感じで遠藤さんを見た。
「俺? まいったなあ。つきあってやりたいけど、ちょっと野暮用で出かけなきゃいけないんだよ。桂木嬢かカニとホタテの男でも誘ったらどうだ?」
「……」
頼ったぼくが間違いだった。ぼくはそのまま無言で椅子から立ち、カメラだけを持って、足早に厩舎を出た。
「あ、おい……」