[AM10:30 若駒寮・長瀬健一の部屋]
若駒寮。独身の騎手はほぼ全員がここで暮らしている。ぼくはその数少ない例外で、東屋厩舎の2階で寝泊まりしていた。同年代の人間がたくさんいる場所よりは厩舎の方が居心地がいいから、と選んだ道だったが、結果的に自分のプライベートスペースを得られないこととなった。結局今でも、その選択が正解だったのかどうかはわからない。
ここは男子寮と女子寮に分かれているわけではなく、一番上の階が女性の部屋になっている。桂木さんもそこで暮らしていた。ただ、今はどこかに出かけてしまって留守らしいと、玄関ホールにいた先輩女性騎手から聞いた。
彼女によると、長瀬なら朝食後に自室に戻るところを見たという。それでぼくは、ひとまず彼の部屋をたずねることに決めた。
2階の長瀬の部屋。ドアをノックする。
……返事はない。
「……長瀬? いないのか?」
ぼくはなおもドアをたたいた。
すると……。
「篠崎!」
中から驚いたような叫びが飛んできた。間違いなく、長瀬の声だった。
ぼくは、長瀬の部屋に通してもらった。
彼はゲームをやっていた。熱中していて、ぼくの最初のノックに気付かなかったのだろう。
このトレセンでは有名なゲーム好きである長瀬。腕も相当のもので、家庭用のゲームはもちろんのこと、ゲームセンターに行っても、あらゆるジャンルのゲームを次々と制覇してしまう。ぼくもゲームは好きなのだが、そういうわけで彼とは対戦型ゲームは絶対やらないようにしていた。
「……どうした、珍しいこともあるもんだな」
サウンドノベル……選択肢を選ぶことによってその後の展開が変わるという小説ゲーム。それにはまってこっちを見ることもないまま、長瀬はつぶやいた。こうして直接話をするのは久しぶりだというのに、懐かしさのかけらも見せない。それが彼らしさであり、またぼくたちらしいつきあい方でもあるわけだが。
「ちょっと、相談したいことがあって」
ぼくはそう切り出した。
「相談?」
「実は、ちょっとしたきっかけで、東屋先生に『誰かを誘って遊びに行ってこい』って命じられたんだ」
「遊びに……? 妙な命令だな」
長瀬の手が止まる。聞いてくれているのだとわかったぼくは、詳しく話すことにした。
「先生に言わせると、ぼくは他人に無関心すぎるんだって。だから、今日はぼくの方から遊びに誘って出かけてこいって。ぼくへの試練らしい」
「それで、俺を誘いに来たってわけか……」
長瀬はコントローラーを置き、ぼくの方に向き直った。……彼の視線が、ぼくの持つカメラに注がれる。
「……あ、これは東屋先生が貸してくれたんだ。行った先で証明写真を撮ってこいってさ」
ぼくは答えたが、彼はそれにはリアクションを示さなかった。何かを考えているようだ。
「とにかく、そういうことだから、ゲーセンにでもつきあってくれないかな」
「……それなんだが」
やがて長瀬は、何やら覚悟を決めたように話し出した。
「俺が思うに、お前は他人に無関心でも何でもない。単に、関わるための手段がわからないだけだ。そうだろう?」
彼らしい、深みのある言葉だった。
「あ……ああ、そうかな」
反射的に答えてしまったが、本当にそうかもしれないとも思った。ぼくは長瀬がゲーム好きであることやまじめな話をすることを知っている。他人に無関心なら、そういったことも知らないままのはずだ。関わる手段がわからないというのも事実だしな。
「だから、これからすぐ厩舎へ帰って、東屋先生にそう言って反抗したらどうだ?」
「え、でも……」
突然曲がった話にぼくは戸惑い、そして……ようやく真実が見えた。
……要するに、長瀬はぼくと一緒に遊びに行くことを拒んでいるのだ。そんなのにつきあってられないという理由か、それとも何か予定が入っていて受けられないのかはわからないが、さっきから彼が考えていたのは、どうやら体のいい断り方だったらしい。
「お前に必要なのは、形だけの仲間と遊ぶことじゃないはずだ。自分の現状を知って、いい方へと導くこと。それを、東屋先生にもわからせてやれ」
「……わかった」
言い訳なら聞きたくない……そう思ったちょうどそのとき、長瀬の携帯が鳴り出した。
「あ……じゃあ、ぼくはこれで。ありがとう」
ぼくは、それをきっかけにして部屋を出た。