[AM10:50 中心部の私道]
出会いは、心の準備をする前にやってきた。
「あ、篠崎くん! また会ったね!」
中心部の私道で、同じように自転車に乗っていた桂木さんとすれ違ったのだ。前かごにスーパーの袋を乗せていて、買い物帰りだとわかった。
「あ……ちょっと」
ぼくは自転車を止めた。仲間を無視して通り過ぎるようなことは絶対しない彼女も、もちろん止まってくれる。
「何?」
「実は……用事があって、五十嵐厩舎に行こうとしてたところだったんだ」
やはり、緊張するものだな。
「私に用事?」
大きな瞳を不思議そうに見開く彼女を見ていると、これから言おうとしていることの重みに負けそうになる。でも、もう後には引けない。
「えーと……あの、事情はいろいろあるんだけど、今日、暇があったら一緒に行ってほしいところがあって」
「あら、どこ?」
……よし、言うぞ。
「……競馬学校のサマーキャンプで行った、あの福島の海」
「え……!」
……彼女は口に手を当てた。そこに笑顔や喜びの表情はない。見えるのは、ただ困惑した感情だけ。
普段の彼女は、ぼくが笑ったり思いきった行動に出たりすると、自分のことのように喜んでくれる。それが嬉しくて、ぼくもたまに自分らしくもない笑顔を見せたりもしたのだ。
だが……今、彼女は喜んでくれなかった。こんな、ぼくとしては清水の舞台から飛び下りるような思いきった行動に出たのに、笑ってさえくれない。
その答えは、きっと決まっている。「こんな誘いは受けたくない」。
……それはそうだろう。わかっていた結末じゃないか。
「いや……無理には誘わないから」
それなら、ぼくの取れる行動もまた決まっていた。そう言って去ることだけ。
「それじゃ……」
「待って!」
……ところが彼女は、ペダルに体重をかけようとしたぼくを呼び止めた。
「断ろうとしてたんじゃないの。何か用はあったかなって考えてただけなのよ。それで……やっぱり何もなかったなって。だから、一緒に行くね!」
この不自然な言葉の続け方。言い訳だろう。素直な彼女はウソが苦手だ。人を傷つけないためのウソなら許される、とはよく言うが、ウソとわかっているウソに、どうして傷つかずにいられようか……。
「……ありがとう」
ぼくは口だけで答えた。彼女も口だけで喜んでるんだから、おあいこだ。
「じゃあ、何時にする? 私、今日厩舎でお昼ごはん作る当番だから、12時くらいにトレセンの入口でって形だと嬉しいんだけど」
「それでいいよ。……じゃ、そのときに」
それだけ言って、ぼくは早々に自転車を走らせた。去り際にほんの少しの笑顔を残してきたことは、何の意味ももたらさないだろう……。
……いや、意味はあったのだ。
それは、例え本心からではなくても、彼女が誘いを受けてくれたからには一緒に出かけたい……そんな気持ちだった。
結局のところ、ぼくはそれを望んでいたのだ。