私は、東屋先生の手術を受けた中で近々障害レースを使う予定のある馬を調べてみることにした。
――探すまでもなく、私は該当する馬を1頭知っていた。
長瀬厩舎所属のサンシャイン(牡6歳)。夏前に骨折し、東屋先生の手術を受けた馬だ。骨折前は障害の未勝利戦で2連続2着がある。年明けに復帰の予定で、実績から人気になると思われる。
サンシャインなら身近な馬だし、調べるのにも抵抗はない。
私は早速、五十嵐厩舎を出て長瀬厩舎へと向かった。
だが、長瀬先生にどう説明すればいいだろう。
東屋先生が馬を故障させている犯人だなどというのは、私の単なる憶測にすぎないのだ。それを話して「サンシャインを調べてください」と言ってみたところで、説得力は皆無に近い。
困った私は、結局無断のまま、サンシャインの馬房に入った。
彼は性格そのままに呑気そうな顔をして、飼い葉桶に首を突っ込んでいる。
私は手を伸ばし、彼の骨折箇所である右前脚に触れてみた。
……が、獣医でも何でもない私には、それで異常のあるなしなどがわかるはずはない。
「何してるの?」
そのとき、背後から声がした。
「あ……」
振り返ると、このサンシャインを担当する女性厩務員の高遠きっかさんだった。彼女は厩舎の2階に住み込んでいるため、月曜日にはサンシャインだけでなく、すべての馬を責任を持って監視しているのだ。
「あの、サンシャインなんですけど、どうやらまた骨折の箇所を痛がっているみたいなんですよ」
とっさに、私はそんなことを言ってしまった。
「何!? ちょっとどいて!」
きっかさんは顔色を変え、私を押し退けてサンシャインの前にひざまずいた。
そして両手を差し伸べ、彼の右前脚を、私とは比べ物にならないほど優しく包む。
「うーん……違和感があるようなないような……」
騎手よりは厩務員の方が馬の状態を把握するのは得意なはずだ。きっかさんがそう言うということは、本当に何か問題があるのかもしれない。
「長瀬先生に知らせましょうか」
「そうしてくれる?」
「わかりました」
私は馬房から大仲部屋に入り、長瀬先生にサンシャインのことを告げた。
「よし、見てみよう」
先生はすぐに馬房に向かうと、今度はきっかさんを押し退けて自分がサンシャインの右前脚に触れた。
「……いかがです?」
不安そうに聞いたのはきっかさんだ。普段からすべての世話をしている彼女が一番心配になるのは、私にもわかる。例によってその心情までは私にはわからないが――。
「何か……漠然とした違和感を覚える」
「そうでしょう? あたしもそう感じたんです」
「そうか。お前と真奈と俺……3人がおかしいと思ったんなら、何かがあるのかもしれない。東屋先生を呼ぶか」
「待ってください」
――直感の導くままに、私は止めた。
「どうした?」
「あの……呼ぶなら、東屋先生ではない獣医さんにしてほしいんです」
「おい、そういうわけにもいかないだろう。サンシャインは今までずっと彼の世話になってきたんだ。手術をしたのも彼だしな」
「だからこそなんです。ちょっと、訳がありまして……」
「……真奈、言いたいことがあるならはっきり言え」
長瀬先生の言葉には、いつもながら力と強さがある。それに押されると、私は服従するより他にない。
そして私は、自分の当て推量をすべて話すことになった。
障害レースにおける馬の故障の多発が人為的なものではないかと考えたこと。
共通項を調べたら、獣医の東屋先生だけだったこと。
五十嵐先生に話を聞いたところ、事故に遭ったアイスバーンは、ボルトを入れる手術を東屋先生に受けていたこと。
だから、もしかしたら東屋先生は、再骨折しやすいように何か仕込んでいたのかもしれない――と考えたこと。
「それは、ありうる話かもしれないな」
意外にも、長瀬先生は静かにそうおっしゃった。
「先生?」
きっかさんの方は私の話を信じなかったらしく、先生の顔を見て不思議そうにしている。
「あの先生を信用してないわけじゃないんだが、確かに妙だと思うような一瞬がある」
「先生、それでは……」
「わかった。とりあえず今回は別の獣医に診せることにしよう。少しでもやばい可能性があるなら、それを避けるのも調教師の仕事だ」
「……ありがとうございます」
私は、そう言うばかりだった。
――そして。
東屋先生とは別の獣医を呼んできて調べてもらったところ、確かに違和感があるという。
それで長瀬先生は、その獣医の診療所へサンシャインを連れていき、レントゲンを撮ってもらうことに決めた。
その結果――骨折していた箇所に明らかな異物が写った。
馬主さんに言って手術の許可をもらい、その異物は取り出された。
それの正体が判明すると――全員の顔が青ざめた。
なんとそれは、超小型のリモコン式爆弾のような物だったのだ。
破壊力はかなり小さめだが、馬の脚の内部にあったとすれば、骨に異常を与えることくらいはたやすい。
すべてはわかった。
東屋先生は、手術をした馬すべてにこれを埋め込んでいたのだ。
そうすればボタン1発で爆発し、馬の脚は粉々だ。
馬が障害を飛越する際に実行すれば、普通の粉砕骨折と区別はつかない。
「完璧な器物損壊未遂ですね。もちろん今までに犠牲馬が出ている以上『未遂』ですむはずはありませんが」
「お前、それ本気で言ってるのか?」
感想をもらした私に、長瀬先生は鋭くたずねた。
「えっ? 何か問題がありますか?」
「……まあいい。それがお前らしさかもしれない」
先生は多くを語らなかった。
「でも真奈ちゃん、気付いてくれて本当にありがとう。このまま誰も気付かなかったら、サンシャイン、殺されちゃうところだった」
きっかさんの方は、私に温かい目を向けてくれていた。
「ええ……それを防げたのはよかったと、自分でも思います」
「そうそう。もっと誇りに思っていいんだよ。あなたはサンシャインだけじゃなくって、この装置つけられてた馬全部を救ったわけだからね」
「そう……ですね」
嬉しいというより、ほっとした気持ちだ。
「これって厩務員失格な発言かもしれないけど、他のどの馬が死んでも、サンシャインだけは助けたかったんだ。だって、あたしの担当で初めてG1、しかも菊花賞に出た馬だもの」
その通り、サンシャインは3歳の頃に菊花賞に出走している。結果は18頭中の14着だったが、完走できただけできっかさんは大喜びしていた。
きっかさんは、2000年の菊花賞の日に生まれたために「きっか」と名付けられたそうだ。ひらがななのは、漢字にすると古くさくなるのと、「きくか」と読み間違えられるのを防ぐためだったとか。
生まれた季節を表した名前……。
何かが引っかかるような気もしたが、それは自分がそういうタイプの名前ではないからだろうか。
――このニュースは、すぐに警察やトレセン全体に伝わった。
東屋診療所が捜索され、爆破用のリモコンが発見されたのを証拠として、東屋先生は逮捕された。
私が思っていた通り、裏には暴力団の八百長行為があった。東屋先生は暴力団にお金をもらい、人気が1頭に集中するレースで人気馬を故障させることで、高配当を演出していたという……。
そして、翌日――。
私はまた、僚と泰明くんと一緒にレイラのお見舞いに行った。
が、話題はどうしても事件のことになってしまう。
「まさか本当に、ヤクザだの八百長だのが絡んだ事件だったなんてねー。あたしは納得いかないって思っただけなのに、それを本気で調べて1日で解決させちゃう真奈って、やっぱりすごいよ」
レイラはベッドの上で、いつもの輝きを取り戻していた。
「本当はお前、自分で敵討ちしたかったなんて思ってんじゃねーのか?」
と僚。
「まあ、それもあるけど、あたしじゃこうすんなりとはいかなかったと思うしね。実力行使に出て痛い目に遭うのがオチっていうか」
その話には、全員が納得して笑った。
「……でも、恐ろしいのは、トレセンの馬の3分の1くらいから例の『爆破装置』が出てきたって話だよ。東屋先生は自分が手術した馬全部にそれを仕込んでたわけだけど、そもそもそんな数の馬たちがひとりの獣医に手術を受けてたってことの方がぼくは悲しい。最近は故障が減ったなんて言われてるけど、大事にならないだけで、故障の絶対数は昔より増えてたんだな……って」
「そうだよね、泰明……」
「それより、なんで東屋先生はそんな野郎どもに荷担しなきゃいけなかったんだ? 何か、どうしても金が欲しくてヤクザと手を結んだらしいんだが、その『金が欲しい』理由ってのがわかんねーんだよな……」
「研究費とかじゃないのか? あるいは誰かに脅迫されてたとか、借金があったとか」
「そういう事実もないらしい」
「変だね……」
私を除く3人は、それぞれに自分の考えを出し合っている。私も、何も言わないながらもいろいろと考えていた。
確かに、東屋先生がお金に執着するタイプでないことは私も知っている。昨日、事件解決後に父に会いに行ったら、父は「隆二先生がそんなことするなんて信じられない」と、気の毒なほど落胆していた。
それなのに、なぜ……。
謎は解けなかったが、私は別のことが気になっていた。
それは――。
「真奈……? どうしたんだよ、黙り込んじまってさ」
僚が私に意識を向けた。
「……悪いけど、私は先に帰るわ。ちょっと気になることがあるの」
私はそれだけ答えると、3人の誰の返事も聞かずに、さっと病室を抜け出した。
そして、私は――。