私は、隣の部屋で暮らす同期の女の子・星野レイラの携帯を鳴らすことにした。口は少々悪いが、気さくで話しやすく、根は優しい子だ。
彼女より僚の方が仲はいいが、こういうときには同性の仲間の方が気楽だ。
……。
『はいはーい。真奈? あたしに何か用?』
レイラはいつも通りに出てきた。この調子なら今日は機嫌がよさそうだ。
「ねえ、今日暇かしら? 暇ならどこかへ遊びに行かない?」
『オッケー! あたしもちょうどこれから出かける予定だったから、一緒に行こうよ!』
気持ちのいい返事が来た。それだけで、私はレイラを選んだことを正解だと思った。
「ええ、ありがとう。でも、どこへ行くの?」
『いつものゲーセンだよ』
「ああ……あそこね」
この美浦トレセンから歩いて30分ほどのところに、大きなゲームセンターがある。私もよくこのレイラや僚に誘われて行くが、どうも私は騒がしい場所や人がたくさんいる場所は苦手で、あまり好きなプレイスポットではない。でも、誘ってもらって文句を言うわけにもいかないだろう。
『そ。じゃ、行こっか。あんた、今どこにいるの?』
「自分の部屋よ」
『なんだー、じゃあ隣同士で携帯でしゃべってたわけ? 何かマヌケ』
レイラは笑った。どうやら彼女も自分の部屋――この壁のすぐ向こうにいたらしい。
『ま、それじゃ話は早いね。仕度がすんだら、あたしの部屋ノックしてよ』
「わかったわ。じゃあ。後でね」
私は、すっきりした気持ちで電話を終えた。
――仕度の時間も含めて、約40分後。
私とレイラは、そのゲーセンまで歩いてきた。
レイラによると、彼女はここでバイトをしている新谷稔さんという男性に好意を寄せられていて、今日は彼と話をするためにここへ来たらしい。
それなら私はただの邪魔者にしかならない、と断ろうとしたが、彼女の話には続きがあった。
その稔さんには豊さんという双子の弟さんがいて、同じゲーセンでバイトをしているそうだ。レイラの話では、稔さんは明るいが豊さんは少々取っつきにくいから、私と性格が合うかもしれないというのだ。どうやら彼女は、私にお見合いのようなことをさせたいらしい。
私の理想は「男性的で頼りになるタイプ」だから、彼女の話が本当ならあまり上手くはいかない気もするし、実を言うと私は知らない相手に会うことそのものが苦手だ。でも、長瀬先生はよく「出会いを大切にしろ」とおっしゃっている。今回それを実践するのもいいだろう。
「稔!」
レイラは私の手をひっぱり、カウンターの奥のスタッフルームに堂々と入っていった。気後れするままに、私も彼女についていく。
「あ、レイラ! よく来てくれたね。……あれ? 後ろは友達かい?」
ここの従業員のものらしい制服を着た男性が、座っていた椅子から顔を上げて私たちを見た。
「そうだよ。同期のジョッキー篠崎真奈。あんた、競馬見てくれてるのに顔は知らないんだね」
「ジョッキーってゴーグルしてて顔見えないんだよ。それに、俺は君だけ見えれば充分さ」
……何か、ふたりの世界だ。
「あ……あいさつしなきゃな。どうも、俺は新谷稔。レイラとは、古い言い方をすれば『友達以上、恋人未満』みたいなつきあいをさせてもらってるんだよ。よろしく」
「……篠崎真奈です。よろしくお願いいたします」
私はとりあえず頭を下げたが、正直なところ、この稔さんはあまり好きなタイプではなかった。
弟さんはどこにいるのかわからないが、早くも不安になってきた。兄弟、それも双子なら、心の奥底にあるものは必ず同じはずだ。いくらタイプが違っても、私の心はその共通点を微妙に感じ取り、おそらくはその弟さんにも苦手意識を持つようになるのだろう。
「ところで稔、豊はどこ? 真奈とぶつけて話でもさせようと思って連れてきたんだけど」
が、レイラは勝手に話を進める。
「豊に? そりゃいい! あいつなら今、ゲーム機のボタンが利かなくなったってお客さんに呼ばれて修理中だけど、もうじき戻って……あ、来た来た。おい、豊!」
稔さんが入口の方に向かって声と手を上げたので、私は、そしてレイラも振り返る。
……確かに、そこには稔さんと同じ制服、同じ顔の男性が静かに立っていた。
「お前もあいさつしろよ。レイラが友達を連れてきたんだ」
「ああ、レイラさんの……。初めまして。新谷稔の弟の豊です。どうぞお見知り置きを」
稔さんの双子の弟さん――豊さんは、私を見てから丁寧に頭を下げた。
第一印象は、稔さんとは全然違っていた。彼のような浮ついたところはなく、非常に礼儀正しい好青年で、私は好感を持った。
さらに、稔さんと違うと感じたのは性格だけではなかった。
まず、声が違う。稔さんはその軽さから想像できるような高めの声で、豊さんは落ち着いた低めの声だ。双子なら声も同じはずなのに。
そして、よく見ると顔そのものも、双子にしてはあまり似ていない。もちろん顔の造形は同じなのだが、それでもどこかしらが違う。これなら、双子と聞けば誰もが想像する「入れ替わり」もできないだろう。
ふたりは、双子は双子でも二卵性の双生児なのかもしれない。それなら心の底からタイプが違ってもおかしくない。
「あ……すみません。篠崎真奈です。こちらこそ、初めまして」
豊さんを見ていてあいさつのタイミングを外してしまった私は、慌てて同じように頭を下げた。
それから私たち4人は、スタッフルームのテーブルを囲んで座り、話を始めた。
「君、俺たちは双子なのに全然似てないなって、そう思わなかった?」
稔さんが私に聞いた。豊さんは黙って私を見ている。
「え……ええ、実は少々。すみません」
「いいんだよ。俺たちを見た人は、二言めにはみんなそう言うから。言わない方が不自然なんだよね」
「でも、二卵性双生児なら似ていない部分が多くても自然なのでは?」
「いや、これでも正真正銘の一卵性双生児さ。声が違うのは、どうやら俺だけが変声期にしゃべりまくったせいらしい。俺も豊みたいな寡黙な男ならこんなかっこいい声になってたんだなあ、なんて今になってちょっと後悔さ」
「あんたらしいエピソードだよね」
レイラが苦笑いした。私もほんの少し笑ってしまった。話した稔さんも当然笑っている。豊さんは……無表情だ。
確かに、これなら「取っつきにくい」という印象を与えてしまっても不思議はない。でも、感情を表に出さないのは私も同じようなものだ。それだけに、妙な親近感を覚える。
「だけど、本当に一卵性の双子でよかったよ。もしそうじゃなかったら、俺、今生きてなかったんだから」
「え……?」
その「生きてなかった」という言葉に、私の心は悲しい反応を見せた。
「あんた、あの話しちゃうの?」
とレイラ。どうやら彼女はすでにその話を知っているらしい。
「いいじゃないか、別に」
稔さんはあっけらかんと言って、私に視線を向けた。
「実は、俺たちも騎手を志したことがあるんだ。中3のとき、豊と一緒に競馬学校の願書を取り寄せて出願までしたんだけど、受験できなかったんだ。ふたりともね」
「なぜ、ですか……?」
「試験の直前に、俺が交通事故に遭ったんだ。輸血が必要になるような事故だった……。でも、俺の血液型はB型のRhマイナス。何千人にひとりって珍しいタイプで、こんな田舎町じゃ病院にストックがなかったんだよ」
「ああ……」
私は豊さんの方を見た。……彼は、視線をそらすようにうつむいていた。
「わかりました。一卵性双生児なら血液型も完全に同じですから、豊さんからもらって、それで助かったのですね」
「そういうこと。でも、そのせいで事故った俺だけじゃなくてこいつも入院するはめになって……騎手への夢はふたりともそこでおしまいさ」
皮肉ったように、稔さんは笑った。
競馬学校の騎手課程の応募資格は、私の両親の時代には「中学卒業見込みから19歳まで」だったが、いつからか「中学卒業見込みの者に限る」に変わってしまった。つまり、チャンスは一生にたった一度で、それを逃せばもう騎手になる道はない。志願者が増えすぎたことに対する処置だと聞いているが、私たちが合格して騎手になった裏側にはこういう人たちもいるのだ……それを思って、少しだけつらくなった。
豊さんを見る。……彼は何も言わないが、稔さんを恨んでいるようには見えない。大切な兄のためならば……と思っているのだろう。
私は、不意に思った。
最近は、兄弟がいる人はあまりいなくなった。私も僚もレイラもひとりっ子だ(僚は少々特殊なケースだが)。だから、自分と年がほとんど変わらない「家族」がいるという感覚は、今ひとつよくわからない。私の「家族」は、誇れないあのふたりだけだ。
私なら、あのふたりが生命の危機に陥ったとき、自分の血を分けたりできるのだろうか……?
……愚問だ。私は父とも母とも血液型が違う。仮にしたかったとしてもできないのだ。
「……まあ、そういう過去のせいで、俺は豊に対してちょっと、いやかなりの負い目があるんだ。だから俺は残りの人生を、こいつが見た夢を現実にするために使おうと決めている。ここのバイトも、そのための勉強兼資金稼ぎさ」
稔さんは、相変わらず沈黙を続ける豊さんをちらりと振り返り、言った。
「豊さんが見た夢……?」
「高原で俺と一緒にペンションを開業すること。それがこいつの夢だったんだ。こいつはこの通り無口で無愛想だから、自分はペンションのオーナーになんか向かないって思って『憧れ』で終わらせようとしたけど、『お前の夢なら現実にしよう』って俺が説得したわけさ。だから俺たちは、昼はここで働いて接客の勉強をして、夜は料理学校に行ってたりするんだよ。意外だったかい?」
「いいえ、そんなことありません。それはとても素敵なお話だと思います」
私は心からそう答えた。
「ありがとう」
稔さんは笑った。……何だか、彼も第一印象ほど悪い人ではないように思えてきた。
「それでこいつら、もうそのペンションの名前、決めてたりすんだよね。思いっきし、獲らぬタヌキの何とやらじゃん」
横からレイラが突っ込みを入れる。
「まあまあ。あの、よろしければ、そのお名前を教えていただけませんか?」
「『Gemini』。……いかがでしょう?」
――ずっと黙っていた豊さんが、まるでそのセリフだけは譲らないとばかりに、唐突に一言だけつぶやいた。
「ジェミニ? え、ええ……とてもいいお名前ですね」
「……あんた、意味わかってないでしょ」
とレイラ。……やはり、バレたらしい。
「うん……実は。どういう意味なの?」
私は素直にレイラに聞いた。アメリカ人の母親を持つ日米ハーフの彼女は、サンフランシスコで生まれ育ってから日本に来た帰国子女。当然、英語はお手の物だ。
「『Gemini』ってのは、英語で『双子座』って意味だよ」
「ああ……なるほど。ごめんなさい、意味もわからず上辺だけほめてしまって」
「いや、気にしなくていいよ。気に入ってくれたなら俺たちも嬉しいからさ」
稔さんは、本当に嬉しそうに笑った。
「……さて、俺はそろそろカウンターに立つ時間だな。仕事があるんで、失礼するよ」
稔さんが椅子を立った。
「あ、じゃああたしもカウンターの方へ行こうかな。豊は?」
「豊は俺より遅れて休憩に入ったから、もうちょっとここにいる」
レイラは豊さんに聞いたはずなのに、答えたのは稔さんだった。稔さんがおしゃべりなのか、豊さんが無口なのか。おそらく両方だろう。
「そ。……じゃあ真奈、あたしは外にいるね」
言いたいだけ言って、レイラは稔さんと一緒に出ていってしまった。
スタッフルームには、私と豊さんだけが残された……。
「……篠崎さん」
ふたりだけになると、豊さんは小さく低い声で私を呼んだ。それは私に用があるというよりは、沈黙を破る目的で発せられたものなのだろう。少なくとも私はそう思っていた。
「はい」
「ひとつお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「ええ、何でも聞いてください」
そのつもりだった。――ところが。
「……あなたは、『家族』とはどのようなものだと思いますか?」
彼が聞いてきたのは、そんな質問だった。
「え……家族、ですか? どういうことでしょう」
「血のつながりと、絆と……どちらかが欠けていたらそれは家族ではないと、あなたはそうお考えですか?」
「……」
思わず、黙ってしまった。
質問の意味はわかる。彼はきっと、私が「両親ともに騎手」という立場であることを知っていて、それで聞いてきたのだろう。
……正直、そういう見方をされるのは嫌いだった。私は望んでそんな立場に生まれたわけではないのだ。もっと普通の両親の間に生まれた子供だったら、仕事の上であんな誇れない両親と比較もされずにすんだのに。
でも、豊さんが相手では、そんなことをつらく当たるわけにもいかない。彼に限って、悪意などあるわけがないのだ。
「あっ……お答えしにくい質問でしたか。申し訳ございません」
「い、いえ……大丈夫です。答えられます」
慌てて彼を止め、同時に頭の中で答えを作る。
そして、私は言った。
「でも……私はあなたから見た稔さんのような心から慕える家族を持ってはいませんので、私の答えでは参考にはならないと思いますよ」
「それでも構いません。どうか、あなたの答えを聞かせてください」
豊さんは熱心だった。私は答えた。
「……大切なのは、絆だけだと思います。私と両親がいい例です。両親の仲はとてもいいんですけど、ふたりともお互いだけに夢中で、私は小さい頃から放っておかれてばかりでした。血のつながりはあっても、私には家族はいないようなものです。逆に両親は、元は完全な他人だったのに、今ではお互いがいなければ生きていけなくなっていますから」
「絆だけ……ですか」
豊さんは静かにつぶやいた。
もしかしたら、私の答えは彼にとっては不本意なものだったのかもしれない。でも、私は自分の思ったことを正直に語ったまでだ。これ以上のことはできない。
……すると豊さんは不意にため息をつき、椅子から立ち上がった。
何をするのかと思ったら、後ろにあるロッカーを開けて中に手を突っ込んだ。何かを取り出そうとしているらしい。
黙って見ていると、彼は写真立てを持って戻ってきた。
そして、それを私に見せる。
それは、3人の集合写真だった。
豊さんと稔さんを両側に――真ん中は、彼らと同い年ほどの見覚えのない男性だ。
写真はかなり古いものだった。隅にプリントされた日付は「2021.8.20」となっている。7年前の夏だ。
そして――よく見ると、この写真では豊さんと稔さんの区別がまったくつかないことに気付いた。ふたりとも同じように瞳を輝かせ、笑っている。
豊さんにも、稔さんと同じ表情で笑っていた時期があったのね……。
いったい何が原因で、彼は笑わなくなってしまったのかしら。
自分があまり笑わない人間だから、笑いたくなければ笑わなければいいと考えていた私だが、妙に気になった。
「この方は……」
いろいろ聞きたいことはあったが、私はまず、中央の男性についてたずねた。
「俺たちの親友でした。でも……もう、この男はどこにもいません」
「え……」
もう、どこにもいない――その言葉が意味する真実は、ひとつしかない。
「……いつ?」
そんなことを聞くべきではなかったのかもしれない。でも、聞いてしまっていた。
「俺たちが競馬学校を受験する直前に、交通事故があって……」
豊さんは重く言い、そこで言葉を止めた。
――何となく読めてきた。
きっと、この男性と稔さんは、同じ事故に巻き込まれたのだろう。
そしてこの男性が亡くなって、稔さんは大ケガをして……ただひとり無事だった豊さんだけが、悲しみを背負い込んでいるのだ――。
「……ごめんなさい。無神経なことを聞いてしまって」
私はまっすぐに謝った。
「いいえ、構いません。俺がこの写真を持ってきたんですから」
言われてみればそうだ。でも――。
「そういえば、なぜあなたはその写真を私に……?」
「もうひとつ、聞きたいことがあったからです」
豊さんは私を見て、そしてたずねた。
「……あなたは、双子座の伝説をご存じですか?」
「双子座の伝説……それは、神話のことですね?」
「ええ」
「えーと……」
私は記憶の中を探しまわった。確かに、いつかどこかで聞いた覚えがある。
……でも、見つからなかった。いつどこで誰に聞いたのかも、その内容も、漠然としすぎたイメージが残っているばかりだ。
「すみません。確かにどこかで聞いたことはあるんですが、内容までは覚えていません」
「そうですか。それならその方がいいかもしれません。何の関係もないあなたを巻き込むわけにはいきませんので」
「巻き込む……? どういうことでしょう。気になるんですが……」
その質問も、また無神経だったかもしれない。
だが、豊さんは他人を無視できない性格なのか、つらそうな顔をしながら答えてくれた。
「大したことではありません。ただ……俺たちは、双子座の伝説の兄弟、カストールとポルックスのようだと、そんな表現をしたかっただけです」
……。
そう聞いて、私の中の漠然としたイメージにひとつの確信が加わった。
少なくともその「双子座の伝説」は、幸せな物語ではなかったはずだ――。
豊さんに聞くことはできそうにないが、私は気になった。
彼は、いったい何を私に言いたかったのだろう。
双子座の伝説のはっきりしたストーリーがわかれば……。
「豊! そろそろこっちに出てくれよ!」
そのとき、カウンターの方から稔さんが大声で呼んだ。
「あ、ああ……わかった」
豊さんは答えると、私に向かってそっと頭を下げた。
「……時間のようです。大した話もできなくて、ごめんなさい」
「いえ……とても楽しかったです」
言ってしまってから、楽しいような話は何ひとつしていなかったことに気付き、まずかったかなと思った。
が、彼は穏やかに微笑んで答えてくれた。
「俺もですよ」
――彼の笑顔には、見る者をなごませるような、不思議な魅力があった。
自分が働いた失礼も感じていた悲しみも忘れ、私の中でほんの少しだけ、時間が止まった……。
「もしよろしければ、また連絡をくださるととても嬉しいです。俺の携帯の番号を持っていってください」
「あ……ありがとうございます」
私は自分の携帯を取り出すと、彼の名前と一緒に、教えてもらった番号を登録した。
そして、私の携帯の番号も彼の携帯に登録された。
「それでは、また……」
彼は立ち上がり、カウンターの方へ出ていった。
やがて私は、レイラと一緒にトレセンに帰ってきた。
が、彼女と別れてからも、私はトレセンの中を歩きまわりながら考え事をしていた。
双子座の伝説。
絶対に、どこかで聞いたことがある。
どんな話だったかしら……。
――が、一向に思い出す気配がない。
これは、誰か神話に詳しそうな人に聞いた方がいいんじゃないかしら……。
そうも思い始めた。
どうしよう……。
私は考え、そして結論を出した。