「俺に、人生最大の謎の答えを教えてくれ……」
俺はささやきながら、そのタイムゲートに手を触れた。

……目の前の空間が、穏やかに歪んでゆく……。

 

 

――それは、競馬学校の2年になったばかりの、ある春の日のことだった。
その日の昼休み。俺は、学校の片隅にある、生徒は立入禁止の「資料室」(資料室とは名ばかりで、実際は雑多な物が置かれた倉庫)へこっそり入り込んで中を探検した。
一緒に行ったのは、同期の星野レイラと城泰明。融通の利かない真奈は置いといて、いたずらに理解のあるレイラと、おとなしいくせにどういうわけかやつと異様に仲がいい泰明を探索メンバーに選んだのだった。
俺たち3人は資料室をひっかきまわし、何十年も前の色褪せたポスターだの、なぜかある教材用の大きなソロバンだの、小学生が作るようなキットの地球儀だの、奇妙な物を見つけては笑い合った。
そして、昔の生徒が書いた反省文を見つけ、それをおもしろ半分に見ていたとき、突然資料室のドアが開けられた。
教官かと思ってビクッとした俺たちの前に現れたのは、同期の藤原純也という男だった。俺たち3人の姿が見当たらないからと探しているうちに資料室にたどり着いたらしかった。
真奈に負けず劣らず融通が利かない上にまじめで正義感の強い純也は、俺たち3人を見逃してはくれなかった。俺たちは教官の前に突き出され、それ相応の処分を食らった。
レイラは腹を立てていた。泰明はしょげていた。俺はというと、「今見つかったんだから、当分は見つからないだろう」という情けない理屈で、懲りもせずにひとりで再び資料室へと向かったのだった。
資料室に着き、ふとガラス戸棚の中を見ると、昔の生徒のエンマ帳らしきものがあった。俺は親父の成績をのぞいてやろうと思って、それをひっぱり出そうとした。

そのときだった。
不意に、頭に強い衝撃を受けた。
誰かに殴られたんだ、と悟ったところで、俺は床に崩れ落ち、意識は闇に沈んだ――。

――目が覚めたときには、その日から5日が経っていた。
そして――同期の仲間が、ひとり減っていた。
それは、純也だった。

純也は俺とレイラと泰明を見つけたときに帽子を落とし、それを探しているうちに再び資料室に来て、そこで倒れている俺を発見してみんなに知らせたらしい。おかげで俺は助かったのだが……調べに来た警察や教官たちの考えは、そうではなかった。
俺が殴られたと思われる時間に資料室に来たのは、純也だけだった。他の生徒や教官、学校関係者たちは、資料室どころかその近辺にも近づいていないことが確認された。早い話が、純也以外の全員にアリバイが成立したのだ。
そうなると、結論はひとつ。俺を殴った犯人は、純也だ――と。
当然というか、純也は猛反発した。自分は絶対にそんなことはしていない、と。他の同期連中も全員がやつの味方をしたらしい。
が――上には絶対服従、それが競馬学校の伝統。聞き入れられるわけもなく、純也は襲撃の犯人とされ、被害者の俺の目覚めを待つことなく退学処分になってしまったのだった。

……被害者が言うのも何だが、純也は絶対に犯人なんかじゃない。あいつに限ってそんなことはありえない。
普段だって仲よくやってたし、そもそも動機がない。いたずらを教官に報告されたのを逆恨みして俺たち3人があいつを襲うとか、俺についていっただけなのに自分たちまで怒られた、とレイラや泰明が俺を……とかいうんならわかるが(俺にはそれも信じられないが)、あいつが俺を襲う理由は何ひとつない。
5年近く経った今でも、あの事件の真相は謎に包まれたままだ。
だが、おそらく、逃亡中の強盗犯か何かが競馬学校に偶然入ってきて、俺の姿を見て慌てて殴って逃げたってあたりだろう。

運が悪かった、という言葉で片づけるのは簡単だ。
だが……俺は今でも、あの事件を消化しきれずにいる。
あの日、俺が資料室探検なんか言い出さなければ、純也は今頃いいジョッキーになっていただろうに――そんな思いを拭い去ることができない。
不本意な形でジョッキー人生を断ち切られ、純也はさぞかし悔しかっただろう。あいつが他人を恨むようなやつじゃないことはわかっているが、それでも、ことあるごとに、無念だっただろうとあいつを思い出す。

過去へ戻る権利を手に入れた俺が行くべき場所は、あの事件が起きた日以外にない。
そこで事件の真相を知り、純也を救うために――。
そんなことを思いながら、俺は時の流れに身をまかせた……。

 

 

……ここは……。
俺は、着いた場所を見まわした。
ほこりっぽい床。無造作に積み上げられた物体の山。本棚に詰め込まれたお堅い本の数々……。
間違いない。あの資料室だ。

「あ、ねえねえ、これって昔の反省文のファイルじゃない?」
本棚の向こうから女の声がした。俺はちょっとだけ顔を出して向こうを見た。
――紛れもなく、あのときの3人がいた。レイラ、泰明、そして俺。今の言葉は、レイラのものだ。
俺は、本当に過去の世界に来たんだ……。
「お、本当だ。見てみようぜ」
何も知らない過去の俺が、調子に乗ってレイラの手から厚さ10センチほどの重いファイルを取り、大っぴらに開く。いい気なもんだ。
俺の両側からレイラと泰明がのぞき込み、3人はワーワーキャーキャーとはしゃぎ始めた。
時間的には、そろそろかな……。
その考えは当たり、突然入口のドアがガラッと開いた。慌てて顔をそっちに向ける3人。

純也……!

――その姿を見たとき、俺は何とも言えないダメージを受けた。
結局、この時代のこのとき以来、俺はやつの姿を見ることはなかったのだ――。

「おい、お前たち、何をやってるんだ! ここは立入禁止のはずだぞ」
純也の声。あの言葉。記憶の通りだ……。
「あ……いや、ははははは」
笑ってごまかそうとする過去の俺。はたから見ると、実に情けない。
「じゃ、あんたはなんで来たわけ?」
一筋縄じゃ見つかってあげないよ、とでも言いたげに、レイラが口を尖らせる。
泰明は声を出すことはせず、そんなレイラの後ろに隠れていた。こいつも情けない。
「お前たちが見当たらないから探してこいって、教官に言われたんだ」
「え……じゃあ、あたしたちがここにいたって、報告するの?」
「当然だな」
「……ま、しょうがないか。自業自得だ」
真っ先にあきらめを見せたのは俺だった。レイラも「そうね」と潔い。泰明はレイラには無条件で従う。要するに俺たちは、3人ともそれなりにあきらめがいいのだ。
過去の俺はそばの椅子に乗り、持っていたファイルをガラス戸棚の上に戻した。戻したというより、見つけたのがレイラだったから元の場所がわからず、あたりを見まわして空いていたそこに適当に置いただけだった。その証拠に、安定が悪くて今にも落ちてきそうになっている。
そして俺たちいたずら3人組は、純也について資料室を出ていった。

……ひとりになった俺は、自分の記憶をたどっていた。
俺たち3人はこの後、教官の前に連れていかれて説教を食らう。
そして30分ほどして、俺だけが性懲りもなくここに戻ってきて、エンマ帳を見つける。
その直後なのだ。例の事件が起きるのは――。
俺は緊張しつつ、時間が流れるのを待った。

 

 

そして、30分少し経った後。
予定通り、俺はひとりで戻ってきた。
過去の俺は、今度は何をしてやろうかときょろきょろしている。
――俺もまた、周囲に敏感になっていた。時間的に考えて、俺を殴った犯人はすでにこの近くに来ているはずだ。そいつを見つけなきゃいけない。
どんなやつなんだろう。まさか純也ではないと思うが、いったい――。

その気配もないまま、過去の俺はガラス戸棚のエンマ帳に気付いた。そして、好奇心のままにそれをひっぱり出そうとする。
が、出てこない。きちきちに詰め込まれているのだ。
出てこいよ、往生際が悪いな。そう思いながら、過去の俺は戸棚全体をガタガタと揺すり始めた――。

あっ……!!

……。
俺は、この目ではっきりと見た。見ちまった。
さっき戸棚の上にいいかげんに置いたあの重いファイルが、その振動で過去の俺の頭上に落下するのを――。

なんてこった!
犯人なんかいやしないんだ。事故だったんだ。それも、原因を作ったのも結果を引き起こしたのも、全部俺ひとりじゃないか!
こんな……こんなのの濡れ衣を着せられて、純也は……!!
俺はその場に座り込んでしまった。
涙があふれた……。

俺は、なんてことをしちまったんだ。
俺は……。

……いや、待て!
唐突に、俺は気付いた。
今の俺になら、これから起きる最悪の事態を変えることができるんだ!
俺自身が何とかすれば、純也が疑われない形に持っていける!

やるしかない! やらなきゃいけない! 俺にはそれをやる義務がある!
強い決意を胸に、俺は立ち上がった。

床には、真実も知らずに気絶している俺。
あと5分もすれば、落とした帽子を探しに純也がここへ来て、倒れた俺を見つけるだろう。
そうなってからじゃ、すべてがおしまいだ。
ゆっくり考えてる暇はない!

さあ、どうする!?

 

 

A  純也をここへ来させちゃいけない。俺がやつの帽子を探して、別の場所へ置いておこう。

B  発見者が純也ひとりでなければ疑われない。何とか上手く誘導して、別の誰かと一緒に来させよう。

C  人目につくところで発見されれば「容疑者」が限定されない。気絶した俺を背負って外へ運ぼう。


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