「よせよ、お前。照れるじゃないか」

――俺が言った瞬間、真理子おばさんの表情が固まる。
や、やべっ、何かミスったか?
「あなた……どうしたの? あなたは私のことを『お前』なんて呼ばないはず……」
しまった! つい、真奈相手のときの癖が出ちまった!
青くなる俺に、真理子おばさんは一歩近づき、そして顔をのぞき込む……。

「片山くん……あなた、片山くんじゃないわね! 誰なの……!?」

俺は、その場から一目散に逃げ出した。
もう、そうするより他になかった……。

 

 

――俺は、最初にいた林まで逃げ帰ってきた。
まいったな……これ以上、うかつにトレセンの中を歩きまわれなくなっちまった。
せっかく30年も昔に来た以上、いろいろ見てまわりたいところもあったが、どうやらそれも叶わないらしい。
仕方ない、元の時代に帰るしかないか。
俺は覚悟を決め、タイムゲートのあったあたりの位置まで歩いていった。

しかし――。
そこでは、ひとりの若い男が木にもたれて座っていた。
そして、そいつは。

「あ……!」

俺は声を上げた。
男も声を上げた。
鏡のように。

親父だ……!

俺は完全にパニックに陥った。
他のやつが相手なら、言葉を交わさない限り「片山伸」のふりもできるが、親父本人が相手じゃ、どんな言い逃れもできない。
やっぱり逃げるしかない、と思って体を動かそうとしたとき――。

「……待ってくれ!」
若き日の親父は、俺の手首をぐっとつかんだ。
思わず足を止めて振り返ると、親父は続けた。
「お前は……いったい誰なんだ? なんでトレセンを歩きまわってる?」
「え……」
どうしてトレセンを歩きまわってることまで知ってるんだ?
……ああ、きっと真理子おばさんから連絡でも入ったんだろう。この時代、すでに携帯は普及してたはずだ。
「誰、なんだ? まさか、俺の知らない兄貴がいたとでも……?」
その言葉を聞いて俺は、この時代の親父より今の俺の方が年上なんだということに気付いた。そのせいなのかどうかはわからないが、俺に対する親父の態度はどことなく及び腰だ。
「違う、兄貴じゃない」
息子だ、という言葉はさすがに飲み込むしかない。
「しかし……あまりにも……」
よく似ている、というんだろう。
俺は、本当のことを言ってもいいかなとは思い始めていた。が、ここはまだタイムスリップがSFでしかなかった時代だ。いくら詳しく説明したとしても、100%本気にしてはもらえまい。他人ならまだしも、親父に自分の存在を疑われるのは悲しかった。どんなに若くても、まだ俺のことを知らなくても、この男は紛れもなく俺の親父なんだから――。

「……俺は、お前を知る男だ。お前の心を半分だけコピーして形にした、そんなやつだと思ってくれればいい」
考えた末、俺は自分をそう表現した。余計に曖昧になったかもしれないが、これが限界だった。
「俺を知る男……。じゃあ、俺を救いに来たとでもいうのか……?」
「ああ、まあ、そんなところだ」
とっさに答えてから、俺は思った。
救いに、という言葉は、正直なところ意外だった。親父は自分を責めすぎるような部分はあるが、何かに悩んでいることを決して表に出そうとはしない。逆に言えば、表に出さないで内部にため込むからこそ、自分を責めすぎるのだ。
そんな親父が、俺に救いを求めている……?
誰からも離れてこんな林の中にひとりでいたのは、何かに悩んでいたから……?
それなら、助けてやろうじゃないか。息子として――この世界では、親友として。
当然のように、俺はそう思った。

俺が親父のすぐ隣に同じ体勢で座ると、親父は言った。
「不思議だな……お前の正体も何もわからないのに、何だか疑おうって気になれない。他人とは思えないんだ」
「他人じゃない。そう思ってくれていい」
「ありがとう。……名前は? お前には名前があるのか?」
「僚」
名字を言うのはやめておこう。
「リョウか……かっこいい名前だな」
「ああ。親父がつけてくれたんだ。気に入ってる」
俺は親父に笑いかけてみせた。その笑いの意味を、親父が理解できなくても。

「それじゃ、リョウ。ひとつ聞くけど」
そして、親父はささやいた。
「……好きな人がいたとして、その人が絶対に自分を愛してはくれないとわかったら、その恋は棄てた方がいいと思うか?」

「恋……」
俺は考え、そして答えた。

 

 

A  「そうだな、その方がいいだろ」

B  「気持ちを棄てる必要はないと思うぜ」

C  「だめだ、絶対にあきらめるな!」


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