俺は、右側から手をつけることにした。
「真奈、まずは部屋の右側からだ。ベッドとナイトテーブルとバスルームくらいしかないが、何か妙な違和感を覚えるんだ」
『違和感があるの? それなら、今あなたの目に触れている範囲に、きっと何かがあるわ!』
「よし、調べるぞ!」
気合いを入れ、俺は右側に顔を向けた。

……違和感を覚えるのはこのへんだ。ベッドにナイトテーブル。
ベッドは、几帳面な泰明らしくちゃんと整っている。特におかしなところはない。
そして、ナイトテーブルの上には……?
「ん? ……おお、こいつだこいつだ!」
俺はついに、違和感の正体を突き止めた。
『こいつって……何があったの?』
「ケーキボックスだ。ひとり分の小さなやつ」
見覚えのあるその箱を手に取りながら、俺は言った。違和感は、中身が入ってないはずのこいつが、まるで添い寝でもするかのように大事そうにここに飾ってあったことから来ていたらしい。
『ケーキボックス?』
「ほら、人にケーキをプレゼントするときに使う、取っ手のついた紙の箱さ。それがナイトテーブルの上にあったんだ」
『それはわかるけど、どうしてそれが違和感の元なの? 誕生日のお祝いに誰かが持ってきただけじゃないの?』
真奈は不思議そうな声を出す。
「ああ……ちゃんと説明しないとわからないか。最初から話そう」
俺は言って、詳しい話を始めた。

「こいつはな、泰明が昨日、誰かにもらったやつらしいんだ。中身はショートケーキ一切れだけだったんだが、ほら……お前も知ってるだろ? あいつが甘いもん絶対食えないってこと」
『ええ……そういえばそうね』
「泰明は最初、それでも贈り主の好意に感謝して全部食おうとしたんだ。でも、一切れの半分を食うのが限界だった。で、やつは昨日の夜、俺に助けを求めてきた。自分はこれ以上食えない、でも捨てるのはあまりにも失礼だから、残りを俺が食ってくれないかってな」
『それであなた、食べたの!?』
――突然、真奈の声が裏返った。
「……どうかしたのか?」
『それより、答えて!』
「あ、ああ……もちろん俺は甘いもん好きだから、喜んでもらって食ったが」
『それだわ! きっとそれよ!』
「……おい、ひとりで完結するなよ。何かわかったんなら俺にも説明してくれ」
さっぱり理解できない俺がたずねると、真奈は言った。

『だからね、こういうことよ。……例の病気は空気感染はしないけど、病原体入りの食べ物を食べたら感染するんじゃないかしらって』

「何!?」
――俺は、驚くしかなかった。
「つまり、あのケーキに……!?」
『そうよ。昨日から今日にかけて、あなたと泰明くんだけをつないだものが他にある?』
「いや……ケーキをもらう前はお前らと一緒にいたし、もらって食ってからは泰明には会ってない」
『だったら間違いないわ。犯人はそのケーキの贈り主よ。ケーキに病気の元になる何かを仕込んで、泰明くんに食べるように仕向けたんだわ。犯人のターゲットは彼だったのに、あなたが半分食べたせいで、あなたも被害者になっちゃったのよ』
「なんてこった……」
自分の運のなさも悔しかったが、俺はそれ以上にやりきれなさを強く感じていた。
真奈の推理が正しければ、泰明はやはり、俺と同じように発病して病院送りになったか、あるいは……最悪の事態も覚悟しなければならない。
いったい犯人はどこのどいつなんだ! ケーキのプレゼントで病気の人体実験なんて、人間のやることじゃない!

『僚。そのケーキの箱に、何か手がかりはない? お店の名前が書いてあるとか、賞味期限の表示とか、贈り主からのカードがついてるとか』
――真奈の声が、俺を冷静に戻した。
「ちょっと待て。見てみる」
俺は答えて、手に持った箱を調べ始めた。
「……ないみたいだ。店の名前も書いてないし、賞味期限だの材料名だののシールも貼ってない。メッセージカードもない」
『ない? その箱には、本当に何も書いてないのね?』
「ああ。おかしな話だが」
『おかしくないわ。きっとあれよ。ほら、手作りのケーキをラッピングするための箱を売ってたりするじゃない』
「え、じゃああのケーキは、ハンドメイドってことか?」
言いながら、昨夜のケーキの味を思い出す。……はっきり言ってうまかった。ハンドメイドだとすると、犯人はかなり腕のいいやつだ。
『そうとは限らないわ。ケーキはどこかのお店のでも、箱だけラッピング用に変えた可能性もあるし』
「何のためにそんな面倒なことするんだ?」
『だから、私たちみたいな人間に調べられたときに、出どころをわからなくするためよ』
「なるほど……。だとすると、相当に計画的で頭のいい犯人だな」
手強い相手だ、と思った。
だが――俺は、闘わなきゃいけない。
こんな悪行を働いたやつを、許しておくわけにはいかない。
俺の有馬のためだけじゃなくて、犠牲になっただろう泰明や他の人間たちのためにも――。

『とにかく、そのケーキの箱が見つかっただけでも大きな収穫よ。あなたはそれを持って、もう自分の部屋に戻ってて』
真奈は言った。
「え? もうここは調べなくていいのか?」
『……何か、いやな予感がするのよ。あなたは私の予感なんか当てにならないって言うでしょうけど……あまり長いことその部屋にいると危ない、って気がしてしょうがないの。だから、自分の部屋でおとなしくしててちょうだい』
「わかったよ。ありがとう」
俺はらしくもなく丁寧に言って、誰もいないのに頭を下げた。その心づかいが嬉しかった。
『私の方の用事はもうちょっとかかりそうだけど、終わったらすぐに行くわ。それまで自分の部屋にいて、絶対にどこへも出ないでくれる?』
「約束する」
今度は、しっかり答えた。真奈を安心させてやらなきゃいけないからな。
『よかったわ。……じゃあね。また後で』
「ああ」
俺たちは話を終えた。

 

 

――その後。
真奈の言った通り、俺はケーキの箱を持って自分の部屋に戻り、きっちり鍵もかけてやつを待った。

……俺は、不安だった。
もちろん自分の病気を知ってから、いつ死ぬかって不安とは常に隣り合わせだが、それとはどこか異質な、漠然とした不安が心のどこかにある。
真奈、早く戻ってきてくれ……。
そう望む自分を、俺は否定できずにいた。

そして――10分ほども経った頃だろうか。不意にドアがノックされた。
だが、そのノックは何か、物々しさを含んでいた。普通なら軽く2回ほどのところを、かなり強い力で何回も何回もたたくのだ。
何かあったのか……?
その謎は、次に聞こえてきた声で解けた。

「片山さん、開けてくださる? 篠崎さんのことでお話があるんです!」

真奈ではない女だ。誰だかはわからないが、真奈のことで話があるらしい。
俺はドアの前に行き、鍵を外してドアを開けた。

「片山さん!」
飛び込むように入ってきたのは、白衣を着た女性だった。獣医の東屋香先生だ。
行方不明になった東屋隆二先生の娘で、自分もこのトレセンで開業するために修業中。父親がいなくなってからは、その穴を埋めるように懸命に仕事をしている。トレセン関係者の男から人気がある美人だが、どことなく近寄り難い雰囲気もある。
が、もちろん今は近寄り難いだの何だの言ってる場合じゃない。
「……香先生! どうしたんですか!」
「篠崎さんが、長瀬厩舎で馬に腕をかまれて大ケガをしたんです!」

「真奈が……!」
――俺は、腕から血を流して倒れ込む真奈の姿を想像してしまった。
「ええ。私、その馬の様子がおかしいということで長瀬厩舎に呼ばれていたんですが、私がちょっと離れたスキに突然その馬が暴れ出して、篠崎さんを襲ったんです」
確かに真奈は、馬の調子が悪いって理由で長瀬厩舎に呼び出された。それを処置する獣医として香先生が呼ばれて、事故を目撃したとすれば……話の辻褄は合う。信用してよさそうだ。信用したくない話ではあったが……。
「真奈は! 真奈は今、どうなってるんですか!?」
「私の診療所に連れてきて応急処置をしました。じきに病院に行くことになると思います」
香先生は獣医だから診療所ももちろん馬用なのだが、場所柄人間のケガも多いので、ちょっとした手当て程度ならできるようになっているのだ。
しかし、病院か……。
俺と同じ理由でなくてよかったが、それでも病院送りってのはかわいそうだ。
「それより、彼女はあなたに何か用事があったみたいなんです。この部屋へ行かなきゃ……としきりに言うんですが、何しろ腕を動かせない状態でして、それで私があなたを呼びに来たんです」
「わかりました! すぐ行きます!」
ずっとここで待つ約束だったが、その相手の真奈がそんな事故に遭っちまったんじゃ元も子もない。
俺はケーキの箱を放り出し、香先生について部屋を飛び出した。

 

 

「真奈!」
診療所の奥、人間用の特別室に飛び込みながら、俺は叫んだ。

――だが。

そこに真奈の姿はなかった。
代わりに、ベッドに寝ている男がひとり。
それはなんと――髪を真っ白にし、死人のような顔で眠っている、泰明だったのだ。

「泰明……!」
俺がベッドに駆け寄ろうとしたとき、後ろで鍵の閉まる音がした。

……まさか!
慌てて振り返ると――香先生は鍵をかけたドアに寄りかかり、腕組みをしながら、俺を冷ややかな目で見て言ったのだった。

「……あなた、感染していたのね」

 

 

A  「な……何のことですか?」

B  「だからどうしたってんだ」

C  「き、貴様が事件の黒幕か……!!」


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