スノーメン タイトル



ここのページは、お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!!
と、お父さんに呼びかける Snowmen Camp Club のメッセージです。

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「キャンプじぃじの子育て論」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 MENU 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に、
● 木曜日には、「ビデオマンの日記」・・・・ビデオ屋を目指す方へ、
● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」・・・子育て真っ最中の方へ
● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」・・・・老後の提案
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13/4/30(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、御殿場で朝食をとって、すぐ帰った。

さぎ山野営場では、
ベンチャーの子が三人、ボーイの子が4〜5人、来ていた。

ベンチャー隊は、橋を作っていた。
ブルーシートを細長くたたんで、それを川に見立てていた。

ボーイ隊は、昼食作りをしていた。
全部の作業が遅くて怒られていた。
だいたい、訓練を受けるのが少ない間は、モタモタしているものだ。

時間制限内にご飯が作れなかったら、食べさせない、ぐらいのことをすれば早くなる。
でも、昨今、これをやると「いじめ」になってしまうのだろうか・・・・

だいたい子供に「負荷」を与えずに「成長」させるのは、
よほどの「報酬系」を強烈にしなければならないけど、
「報酬」は、子供によって効き目がないことがある。

なぜなら、「満たされ過ぎ」だからだ。

僕は、昔、カブ隊のリーダーをやったが、
そのときには、活動が終わる頃に、スカウトに飴玉一個の「報酬」をした。
小学生ぐらいなら、これで効果があるけど、
中学生では、そう簡単にはいかない。

家庭での子育てでもこの「飴と鞭」は、上手に使い分けをするのが難しいでしょう。
何か上手に子供ができたときに大げさに表彰するというのは、
非常に重要な子育てのテクニックなんだな。

「親子で工作」のボランティア活動では、
今年から、活動に参加をした全部の子に
「木のメダル」でお父さんに「表彰の体験」をしてもらうようにしたのは、こういう意味がある。

この体験でお父さんが家庭でも「表彰」の習慣が身に付けばとっても素晴らしい。


カケヤの柄が折れていたものを直した。
斧よりも簡単だった。


13/4/29(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、僕の四人の男の子のうち、三番目の子に会った。
御殿場のファミレスで朝、待ち合わせをして、
その子が通うカトリック教会へ行った。

この子は、プロテスタント教会で洗礼を受けたが、
今、同棲している人の影響で、
そこに通うようになった。

何年か前に、この子が僕に怒られるかと思って、
恐る恐る、このことを僕に告白した。

全然、まったく問題ない。
「信仰」を持つことが最も重要なのであって、
どこの教会へ集おうと自由だ。

「信仰」という「人」でなければしないことを身に付けることが大切さ。

それは、仏教でも同じだ。

表面だけで形式的に装うのではなく、
仏教でも「信仰」することが生きていく上で重要だ。
これを教えるものが、
実は、「ボーイスカウト運動」の本質なんだな。

残念ながら日本のボーイスカウト運動は、肝心なこのことがスッポリと抜けていることが多い。
全世界のこの運動では違うよ。
ちゃんとやっている。

なぜだろうか?
それは、「物の豊かさ」に関係している。

ここ日本では、あまりに「快適」「簡単」「便利」のあまり、
この「信仰」がなくて済む社会を作ってしまった。
そして、それは「自立を無視する子育て」を生んだのだろうと思う。

その結果が「心のトラブル」へとなっている、僕にはこういう風に見える。
結局「心のトラブル」で不幸な人生を歩みやすい。

昨日の夜、三番目の子とカラオケ屋さんで騒いだのだけど、
この子が、
「不自由なく生きている人に、信仰は必要ない。
   必要ないものを勧められても困るものだ。」
と僕に語った。

この子は、学習障害があるんだよ。
でも、僕が最近やっと分かったこのことを、もう理解していた。
僕は、たまげるほど、心の底からビックリしたね。

「成長」する様は、本当に感動の嵐が吹く。
「成長」は、凄いよなぁ。
生きるのって、超面白い。

三番目の子も、僕も、貧乏人だが、人生はとっても豊かさ。
そして、子供の様子を見ることが出来て、
本当、鼻血がでるほど幸せだ。

こんな軽い男でもね、本物の自由、本物の幸せを頂けるのさ。


13/4/28(日)朝 キャンプじぃじの日記

今、東名高速の「足柄パーキング」にいる。
三番目の子に会うために、これから御殿場で下りる。

昨日は、
さぎ山野営場にボーイスカウトの上の、ベンチャースカウトが三人来た。

道路からサイトまで5〜6メーターばかりの高低差があり、
車から荷物の出し入れをするために道を作った。

だいたいのレイアウトは、僕がしておいた。
斜面を削って平らにしたり、
細い木をチェーンソーで倒し、根っこを取り除く作業をした。

スコップで土をほじくるより、
草刈機で掘った方が、断然早いことが分かった。

スカウトたちに根っこを取らせたのだけど、
「根きり」用の斧では、なかなか取れないので、
杭を打つカケヤをスカウトが倉庫から引っ張り出した。

どうするのか、眺めていたら、
それで、根っこを叩いて取ろうとする。
どうなるのか様子を見ていた。

そうしたら、ついに、カケヤを打つのを外して、カケヤの柄が折れた。
あぁぁ、やっちまったよ。

カケヤの柄は、たぶん交換が無理だろう。

でも、こうしてスカウトに「失敗体験」をさせるのも「教育」なんだな。

「失敗しないように子供を育てる」

これが一番子育てで「失敗」するものさ。
若いお父さん、よく覚えておいてね。

さて、それでは、三番目の子に会いに出発だ。


13/4/27(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、幼稚園の年少組と年中組の遠足に行っていた。
僕の仕事は、年長組をビデオで撮って「卒業ビデオアルバム」にまとめるものだから、
関係ないのだが、
今から20年前に取引を始めた時からお付き合いで同行するようになった。

そこで、僕が何をするのかと言うと、
ブルーシートで場所取り、
そこにお弁当を親子が置いたら、
今度は、カラスに荒らされないようにそのお弁当の番。
あと、救護係りだ。

昨日は、さらに事情で10時半まで、「写真撮影」をやらされた。
スナップを撮った。
写真は、慣れていないので思いっきり緊張をした。 難しい。

公園の中へ親子で遊びに行ってから、そのお弁当の番をする。
そして、お弁当の時間に全員集合する。
それからみんなでゲームへとプログラムがすすむ。

その時だ。
年少の子と、どうやら1才半ぐらいの子を連れたママが目の前にいた。
どっちも手がかかる。

上の子の面倒をみると、下の子が脱走する・・・・・大変。
そのうちに、上の子より下の子の方がヤンチャで手一杯になった。

小さな噴水のある池に向かって、その一才半の子がヨチヨチ歩きで向かう。
初めは、ママがそれを阻止していたが、
ついにすきを付いて池まで辿り着く。

ママがそれを追って、その子を抱きかかえてゲームをしている方へ強制送還。
しかしまたその一才半の子が抜け出して池へ向かう。
また、ママが出動して強制送還。
これの繰り返しを何回も何回もしていた。

見ている方は、とっても面白かったけど、
ママは大変だな。

子供が大きくなれば、もっとヤンチャになって大変さ。
そういうのが子育てだ。

四人の男の子が僕の目の前からいなくなり、
その大変さがない分、お通夜のような日々になる。


明日、明後日、と、三番目の子に会いに御殿場まで行く。
日曜日のいつもの晩餐会ができないので、
代わりに昨日の夜、それをした。

大家のおばぁちゃん、うつ病の古い友人、僕とばぁばで夕食を囲んだ。
その時に、
こうしてみんなで囲むことこそが幸せだよな、と古い友人と語り合った。

家を買うのに無理をして、子供に孤食させていないだろうか。
ヤンチャに手を焼くからと言って、他人任せにしていないだろうか。

子育てをとおして、「親が育つ」ものだからね、シッカリと取り組もう。
昨日のママは、辛抱強く「強制送還」を繰り返していたさ。

さて、今日は、予定では、さぎ山野営場にボーイスカウトが来るらしい。
ちょっと、お邪魔虫をしてくる。
自分の子がいなくても、これで面白いのさ。

幸せは、「物」に決してない。
人との「つながり」で人は幸せを感じるように出来ている。
でも、
時として、その「人」に心を傷つけられる。
逆に「人」を傷つける。
それでも、「人」との関係でこそ、「幸せ」はあるのものだ。

子供とたくさん遊ぼうな、若いお父さん!


13/4/26(金)朝 キャンプじぃじの日記

さぎ山野営場を一緒に開墾したBSの方では、
この連休は、ジャンボリーの強化訓練かなにかで、
さぎ山野営場を使わないようなことを言っていた。
でも、結局、連休中全部の日をさぎ山野営場を使う予定だとの連絡があった。

今まで、ほとんどさぎ山野営場をBSが使わなかったので、
今度の新しいサイトでは、一つのサイトしか広げていない。

SCCの企画は、5月3日〜4日の一泊を予定している。
そこで、
この4月に地主さんが土地を売ったであろう旧BS本部サイトで、
モグリでそこで行うことにした。

今現在、旧BS本部サイトは、そのままの状態で、
ただちに更地になりそうにない。

BSと違って、SCCは、実質僕一人の活動なので、
何か問題が起こっても、僕が責任を取るだけで済む。
とっても身軽なものだ。

さて、
そういうことでSCCのその一泊キャンプのために、
タープとテントを新規に設営しなければならなくなった。

現在のサイトには、SCCオリジナル大型テント「竹ハウス」が常設してあるが、
それが使えないので、
全部、新規に旧BS本部サイトに設営する。

そこで、マザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」や、
今、交渉中の幼稚園の園庭を借りた「流しそうめん」でも使う「竹ハウス」のフライシートだけのものの資材を買い揃えることにした。

こういうことで、ホームセンターに12畳の大きさの銀シートを買いに行った。
その時に、
普段は見かけない24畳の大きさのそれが、同じ棚にあるのを見つけてしまった。
倍の大きさだ。

理論的に、12畳でも、24畳でも、「竹ハウス」の構造は同じでできる。
逆に、
6畳の大きさで、子供にソロキャンプをさせたことがある。
構造は同じ。

僕の「面白そう」スイッチが、その24畳の銀シートを見て入ってしまったんだな。
それで、昨日、
旧BS本部サイトに、その24畳の大きさが入るかどうか試してみた。

ギリギリ、設営可能であることが分かった。
こういうことで、24畳の大きさの「竹ハウス」のフライのみバージョン完成を目指すことにした。

構造は同じと言っても、大きさが倍になるということは、
風の抵抗は、たぶん「二乗」の大きさになるのではないだろうか?
僕は、建築家ではないので知らないが、そんな気がする。

「竹ハウス」の構造の特徴は、
まず、シートの四隅にポールを固定してピンピンに張る。
そして、シートの中央に「突っ張り棒」を立てるという物だ。

12畳の「竹ハウス」では、四隅のそれぞれに1本のポールで十分だったが、
これで、立ちっ放しで2年間もつことを実証したが、
24畳では、たぶん、四隅にそれぞれ1本のポールだと、
簡単にハドメがぶっ飛ぶことになりそうだ。

そこで、抵抗を分散させるために、
その四隅と、それの直近、90pのところにある歯止めのところにもポールを固定する事にした。
ここまでで、ポールの本数は何本でしょうか?

答えは、12本だ。
そしてフライの一辺の中央にもポールを固定したいので、
全部で16本のポールとロープを用意しなければならない。
ポールは、もちろん真竹から加工をして作る。

ロープは、9oφのクレモナだ。
それの末端処理もしなければならない。

発案はとっても簡単。
用意するのは、滅茶苦茶大変。
でも、面白そう。

昨日は、必要なポールの長さに竹を切るまでで夕方になった。
うまくいくかどうか・・・・・
乞うご期待。

24畳って、でっかいよ。


13/4/25(木)朝 ビデオマンの日記

このコーナーは、ビデオ屋を目指す方へ向けて書き込む。

もっと簡単に「クビ」ができるように法律を変えるとか、変えないとか・・・・

「一生涯安泰」にすがり付こうとする人を直撃するでしょう、この話し。
僕のようにフリーランスで生きてきていると、
なんて馬鹿げた法案なんでしょうか、と、思う。

そもそも「仕事」は、命がけで取り組むものだ。
そこに「安泰」を求めること自体、おかしい。

「命がけ」で働く人材でなければ、これからの世界の中での企業として、
生き延びられないのだから、「安泰」の人が排除されるのは、必然のことだ。
これは、世界を相手に企業なり国家が生き延びていくために避けようがない。

「能力主義」

こういう社会になるのは、
今から30年前に盛んに言われていた。
そして、いよいよ「終身雇用」が音を立てて崩れようとしているのではないかね。

それをアタフタしてもしょうがない。
これからは、「個人」がどう企業の中で生き延びることができるのか、
真剣に考え、実行できるように、「個人が成長」すればいいのさ。

初めから、「自分の能力を最大限に伸ばす」生き方をしていればいいのさ。
そういう子育てをすればいいのさ。
このことは、普段のここの書き込みのテーマだ。

これからの時代を生きる。
そのためには、

「消費」ではなく「成長」を目指し続ける人生を歩める「心構え」。

これを身に付ければいい。
学校の成績ではないところの「心の成長」、
これの基本が「自立」ということになる。

この「自立」を真剣に考えてみよう。
たとえ会社員ではあっても「自立」していれば、
常にその人は、人生で「スキルアップ」を目指すでしょう。

「会社をあてにしない自立心でシッカリと自分の成長を目指す。」

どういう状況下でも「成長」を目指して生きる。

ここにこそ、生きていてダイナミックな人生の面白さが味わえるのさ。

少なくても、僕は、そうして生きてきた。
そして、脱サラして今の仕事で生き延びることができた。

早く、終身雇用の「一生涯安泰」という妄想から目覚めた人が、
これからの時代を堂々と生きていけるだろうね。

こういうふうに考えて僕と同じ仕事を目指してみたらどうだろうか?

少なくても、僕は、30年前にこういう考え方をして、脱サラをした。
そして、自分でビックリするほどに面白い人生を作り上げることができた。

僕の歳で「一生涯安泰」を求めてきた人こそが、
今、窮屈な人生を歩んでいることでしょう。

さぁ、このことを本当によく考えてみよう。

「消費」に溺れて生きていては、結果はでない。
「成長」し続けるところに人生の面白さができる。

そういう人生の土台が「自立」だ。

そしてすべての商売は、「営業」から始まる。

機材という「物」で喜ぶ幼稚な状態から、

「自立」し「営業」を元気良くできる人に「成長」しよう。

そういう生きる元気があるのなら、
どうせなら、個人事業をした方が、断然面白いさ。
本物の「自由」が手に入る。


13/4/24(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の夜に調理実習をした。
先週は、痛風が出たのでビールはもちろん、肉料理もNGだった。

料理教室で習った「つくね」の復習だ。
料理教室では使わなかった「鳥軟骨」を近所のスーパーでは売っていないので、
わざわざ車で、別のスーパーへ仕入れに行った。

僕は、肉料理がそれほど好きではないけど、
この「軟骨入りつくね」には、目がない。
自分が食べたい料理は、真剣に作るものだとつくづく思った。

考えてみれば、当たり前だ。
キャンプでのレシピ本を何冊か持っているけど、
肉料理やゴテゴテ料理が多いので、どうしても作る気がしなくて上達しなかった。

でも、
今年もまた通う料理教室は、「和食基本コース」だ。
僕の味覚に嬉しい味。
「好きこそ、ものの上手なれ」とか言うのは、本当だ。
僕は、それでビデオ屋になった。

しかし!
つなぎに入れる片栗粉を使うのを忘れた。
ちゃんとそれを用意していたのだが、忘れた。
でもそれがなくてもちゃんと、だんごになったけどね。

たぶん、艶や何かで違いがあるのだろうか、
今夜も再挑戦だ。
「鳥軟骨」がまだ大量にある。

この「軟骨入りつくね」を作るために「たまご1/2」が必要だった。
そこで、たまごの4ヶ入りパックを買って、
たまご2ヶ半を使って「にら玉」も作ることにした。

こちらは、もうすでに3〜4回目のチャレンジだ。
料理教室では習っていない。
僕が「にら」大好きなので研究している。

こちらは、残念ながら調味料に「醤油」を入れるのを忘れて、
味が締まらなかった。
クッソ〜〜〜、こっちも今夜、再挑戦だ。

その他、ホタルイカ、これは生で頂いた。
アサリの酒蒸し。 バターを強めにして、シナモンで香り付けした。
これ、とってもGOOD!だった、酒のつまみにね。

僕の調理は、すべてキャンプ用品を使って実習している。
つくねに入れる生姜も、ツールナイフの「のこぎり」を使っておろす。

包丁ではなく、オピネル・ナイフで切る。
これは、片歯研ぎで、歯を鋭角にしている。
研ぎ方も料理教室で習ったとおりにしている。

もう一本、オピネル・ナイフがある。
こちらは工作用だ。
「斧」や「ナタ」の研ぎ方で両刃研ぎにしてある。

なんだか、調理人に一歩づつ近付いているような気分にはなれている。
かっこいいよなぁ・・・・調理人。
憧れているんだ。

子育ても、
その面白さが分かれば、夢中になってお父さん自身で子育てをするものさ。
他人任せではなくなる。


13/4/23(火)朝 復活サイクリストの日記

痛風が収まって、やっと自転車に乗れた。

昨日は、
江戸川に架かる野田橋のふもとにある幼稚園まで、
追加納品を朝早くした。

当然のことながら、自転車で持っていける量だから、
そうした。
ちゃんと仕事をしている。

ついでに、あくまで、ついでにその先をサイクリングする事にした。
そこの園長先生に、幼稚園の看板をバックに僕と自転車をデジカメで撮ってもらって、
そこからスタートした。

江戸川の土手を淡々と走る。
川をどんどんと上って行く。
北風の向かい風が強い。
ウインドーブレイカーがバタバタと音を立ててたなびく。

アベノミクス効果だろうか、
土手ではやたらに工事をしていた。
ダンプがしきりに行き交う。

公共工事が盛んになって、お父さんの懐が温まる。
それで、僕の作っているDVDが売れて、
僕にお金が入ると、子供たちにそれが吸い取られて、
子供たちは、「成長」のためにお金を使って欲しいのだが、
ただの「消費」にしてしまう。
しかし、その使われたお金は、どこかのお父さんの財布に入って、
また、僕のDVDを買ってもらって・・・・・・

本当にそうなるのかねぇ?

ともかく、走っていて工事現場があったので、それをデジカメで撮った。
これもサイクリングの「風景」の一つだ。

土手にある花、景色、これらをカメラに収める。
そうしているうちに「庄和町」に着く。
ここは、「大凧上げ」で有名だ。

子供が小さい頃、それを揚げるのを見に行ったことがある。
だいたいゴールデンウイークにやっている。
それの準備を土手にしてあった。
「大凧上げ」の赤いのぼりを撮る。

ついでに、「大凧会館」に寄った。
この間の大震災で、会館が被害にあったようだ。
「休館」していた。
どちらかと言うと、「閉館」に近い様子だ。
普及させるメドが立っていない様子。
駐車場にあったトイレに入ったのだが、水が止められていた。

震災の傷跡をこうして目の前で見ると、
その悲しさが、肌身に感じる。

そこからすぐ土手に出ないで一般道を走ると、
地元の名手だろうか、大きな運送屋さんのところに出る。
「本社」と書かれたガラス張りの建物の中に、
「復興日本 こころはひとつ」というのぼりを飾っていた。
そして、そこら中に「和凧」を飾っていた。 これもカッシャ。

土手に戻って走る。
工事で迂回させられる。
そこに、
道の駅「ごか」が現れた。

小腹がすいていたので、そこで「天ぷらそば」を食べる。
食べる前にこれも、カッシャ。

そこから、以前に行ったことがある「関宿博物館」が近くにある。
写真を撮るのが目的で行ったら・・・・・「休館」
そう、昨日は月曜日だったんだな。
この手の類は、みんなお休みだ。
それでも悔しいから「休館」の看板をカッシャ。

そこから江戸川は、利根川になる。
ユッタリ、のんびり、流れる利根川をバックに自転車をカッシャ。
自転車を立てかけた看板をよく見ると、
「マムシに注意」とあった。
おぉ、怖ぁぁぁ。

栗橋に出た。
国道を横断するのに、川向こうへ橋を渡って行かねばならない。
そこからそのまま左岸を行けば「渡良瀬遊水地」になる。
昨日は、
また橋を渡って右岸に戻る。

川を上って行くと、すぐに「渡良瀬川」と「利根川」の分岐が見える。
これをカッシャ。

しばらくすると道の駅「おおとね」が出てくる。
ここでも「けんちんそば」を注文したら、
すごい量だ。 食べ残してしまった。 これもカッシャ。

土手に戻って、また走る。
腹一杯。 土手で大の字に寝てみたくなる。
すっかり「マムシ」のことを忘れて実行する事にした。

土手に置いてある車止めにデジカメを仕込む。
タイマーをかけて急いで自転車が寝ているところに添い寝するように走る。

と、そのときにその車止めの角が僕の右足のモモにぶつかる。
気にしないで、演出どおりにした。

撮り終わって、あまりにズキズキとぶつかったところがするので見たら怪我をしていた。
ズボンのそこが10p以上破けて、
そこから傷口が見えた。

救急で持っているバンドエイドの「キズ、パワーパッド」で応急処置をする。
これも旅の思い出なので、3カットもその様子を描写した。

結構いいインパクトが撮れたところで、土手を走る。
しかし!
サイクリングをしている人でなければ分からないと思うけど、
ギャーを一番のローにして、アンクリングするような向かい風。
ちっとも前に進んでいかない。

本当は、伊勢崎まで行くつもりだったが、
とても辿り着きそうにないので、羽生から輪行で帰った。

「絵」的にイマイチ、変化が少なかったのだけど、
工事現場と怪我の写真が面白いものになった。
もちろん、帰ってから速攻でこれをスライドショーにした。

サイクリングのスライドショーのコレクションがまた一つ増えた。
走行距離は、向かい風で80`だった。


13/4/22(月)朝 キャンプじぃじの日記

いつも日曜日のお昼に寄るインド人のカレーやさんで、
昨日は、「special super hot」でオーダーしたら、
本当にそれが出た。
辛さは、「super hot」までしかメニューにない。

カレーは辛くなくっちゃカレーでない。

子供がいた頃、バーモンドカレーに牛乳を入れるという信じられない食べ物が食卓に出た。
わざわざ、子供用、僕用、と二種類のカレーを作らせたものだ。
それの反動で、思いっきり「辛いカレー」が食べたいんだな。

子供がいないと、とっても身軽だ。
その身軽さゆえに一週間が一日に感じる。
僕は、
それほどに「子供」というものに負荷があったわけだ。

「快適」「簡単」「気楽」

子育てをこれでしていないだろうか・・・・・・・
金を払って子育てを他人任せにしていないだろうか・・・・・

なぜ、僕は子育てに強烈な「負荷」があって、耐えられたのだろう。
子供が好きだったからさ。
ヘッチャラだった。

一週間に米が30`を消費する生活でも、
滅茶苦茶大変だったけど、心の奥底では面白かったのさ。

子育てのための「親子キャンプ」も、
わざわざ雪が深い福島まで行って、雪中キャンプをしたが、
それ以外にも冬場のキャンプをしたが、
安物のシュラフでいつも僕一人風邪をひいていたが、

結局、面白かったのさ。

子供に遊んでもらっていたんだな、今、思うと。
それで、
三番目の子が転職をして一年、今どうしているのか様子をばぁばが電話で尋ねたら、
その子が、御殿場まで来いという。

親を呼び出すんだよ。
まったく・・・・
4月28日にその子の近所に宿を取れと僕が指示した。
結局、金のかかる話しだ。
その日の「遊び代」は、僕持ちに決まっている。

昨日の夜、いつものようにうつ病の古い友人と、大家のおばぁちゃんと僕とばぁばで夕食を囲んだ。
寒いので鍋にした。
そのときに、話題で次男坊に「長男をしょっ引く懸賞金」として、
10万を次男坊の口座に振り込んだ、と、うっかり僕は喋ってしまった。

ばぁばが呆れ顔をした。
子供に遊んでもらうのに、やたらに金がかかるような気がする。
僕は、貧乏人だ。
金の生る木じゃないんだ!


13/4/21(日)朝 Snowmen Camup Club 活動報告

4月20日(土) 「親子で工作」活動を実施

昨日は、ダウンジャケットがなければ寒いくらいの気温だった。

まさか、使わないだろうと思ったけど、持って行ったキャンプストーブ、
MANASRU 126 がなければ震え上がるところだった。
これは、冬のキャンプでは、必携のグッズだ。

これのゴトクにドーナッツ型の部品を取り付ければ、
本当のストーブとして使える。
音がうるさいのが難点だが、遠赤外線が出て、とっても暖かい。

そのドーナッツ型の部品がまだ使えそうだが、壊れてきたので、
ショップに電話で問い合わせたら、
本体は、まだ生産しているらしいけど、
その部品は、もう作っていなくて在庫切れだそうだ。

冬場のキャンプに必携のものなのに、
随分とレア物になっているようだ。

ただし、
この秋にその部品を作るかどうかの「企画会議」をするとのことだ。
わずかながらの希望があるらしいので、
秋以降にまた問い合わせしてください、と言われた。

スター商事さん、お願い、作って!

いつものように、「親子で工作」の準備をしているところに、
公園管理者の人がやって来た。
以前にも来た顔見知りの人だった。

最初は、久しぶりだったので、知っている人とは分からずに、
なにか、クレームを出されるのかとヒヤッとした。
でも、その人は、とってもフレンドリーだ。

公園管理者という立場ではなく、僕の活動に感心を持ってくれている。
わざわざ、部下らしい若者を携帯で呼びつけて、
その人を紹介してくれるほどだった。

なぜか、タープの下で名刺交換をすることになった。
久しぶりに会った方の肩書きは、「主幹」とある。
会社だと何に当たるのだろうか? 課長?それとも部長?

若い部下の方は、「主任」とある。
「係長」なのかね?
ともかく、二人とも中間管理職らしい。

公園で、何かキャンプの企画を立ち上げる時には、
僕がお手伝いをしますということで分かれた。

午後から、「親子で工作」のボランティア活動を始めた。
隣のサイトで、炭の火起こしをするのにライターを忘れたというので、
午前中にバーナーを持って行って僕が炭に火を付けてあげた親子が来た。

お父さんが小学校二年生の男の子の手を握って、
二人で竹を割ったり、切ったり、削ったり、して竹とんぼを作った。

出来上がって、飛ばしたのだが、
羽が筋に沿って割れてしまった。
残っていた材料をあげて、お家でもう一回作り直そうと僕が言った。

お父さんに「木のメダル」に子供の名前と日付を書き込んでもらい、
思いっきり大げさに、子供を表彰してこれをあげてくださいと頼んだ。
お父さんは、ちょっと照れくさかった様子だ。

でも、そこのところが、その大げさなお父さんの表彰こそが、
子供の心に残るんだよね。

「子育て」と言うと、何か難しい教育をしなければいけないと勘違いをする父親がいるものだ。
確かに、そういうものもあるけど、
普段は、もっと簡単な「習慣」の積み重ねでいいのさ。

そう、
その大げさな表彰こそが、一番の子育てなんだ。
僕の子は、やり過ぎて、最後にはその効果が怪しくなったぐらいにした。

よく、幼稚園の運動会の最後に、チョコレートか何かが入ったメダルを、
先生が子供一人、一人、に配っていたりするでしょう。
それと同じさ。

ボーイスカウトでもやっている。
こっちの方は、セレモニーと称する儀式で、もっと大げさに、
○○章を授与する。

子供だましと言えば、そうだが効果覿面なのさ。
ぜひ、ここの読者のお父さんもお試しあれ!
ぜひ、やって下さい、何でもいいから「表彰」を!

結局、お客さんは、その親子だけで、小雨が降ってきて撤収をした。
ばぁばと二人でいつもの店「みさき」で打ち上げをした。

ボーズよりは、マシだったけど一組の親子しか来なかったな、と僕が言ったら、
ばぁば、公園管理者の方が尋ねてくださった、とポジティブに言うんだな。
まぁ、そういう日だったようだ。


13/4/20(土)朝 キャンプじぃじの日記

「キャンプ」は言いかえれば、ドロンコ遊びでもある。

さぁ、「免疫力」をきったねぇキャンプで鍛えよう!

今日は、

「親子で工作」

のボランティア活動を戸田市の道満グリーンパークで行います!


13/4/19(金)朝 キャンプじぃじの日記

「アレルギー日本」 新潮45 2013/5号
新潮社 刊 840円

二人のドクターがアレルギーは、生活の豊かさ−−−文明で起こると言っている。

藤田ドクターは、
「潔癖症が、免疫の力を低くする」と訴えている。

海老沢ドクターは、
「生活が豊かになり、免疫的トレーニングをまったくしない状態」と訴えている。

細菌やウイルスの対しての抵抗力が「きれい」で弱まったということを言っている。
「きれい」を追い求める今の生活習慣病というふうに言い換えられるようだ。
ドクターが言っているのだから科学的根拠がそこにはある。

免疫力の低下という「肉体的」な目に見えるものが、
「快適」「便利」「簡単」な生活でなっている。

僕の言うことは、あくまで推論でしかないが、
ならば、
「心」はどうだろうか?

「快適」「便利」「簡単」を浴びるようにして育てられるとどうなるのだろうか?

「我慢」出来ない人になることは、簡単に想像できるでしょう。
これが一番よく分かることが、トイレだ。

僕は、地面に穴を掘って、そこにシャワー用のテントを張ったトイレで用が足せるように子供たちに体験させた。
これを実行するために、僕自身も率先してやった。

一番、難儀をしたのは、僕自身だった。
子供たちは、ストレスなくできた。
こういう実験的な体験を僕は、身をもってしたんだ。
この体験をとおして、いかに普段の「快適」が「心の耐性」を弱めているのかが僕には、分かった。

それで、「快適病」の度合いは、穴掘りトイレで分かる。

と、考えるようになった。
さぎ山野営場のサイトの引越しで、古くなったシャワーテントを処分したのだが、
新しいものを買って、
「穴を掘っただけ」のトイレの設置をまたしようと思う。

レジャーキャンプではなく、
子育てのためのキャンプで、最も分かりやすい違いがこれだ。

躊躇するのは、子供ではなく大人の方であることを父親が体験できる。
これを体験できるキャンプ場は、ほとんどない。
プライベイトなキャンプ場である、さぎ山野営場ぐらいだろう。

「学校の成績」に関係ないが、
例えば、こうして「心の耐性」を鍛えられた子は、
将来、「営業」に強くなるといった「生きる術」が身に付きやすいのさ。

「快適」ではない環境が「心の耐性」を強く育てる。
これを親子キャンプで強く子育てを意識して欲しいところだ。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件になる」
生きる条件が多ければ、多いほど、「生き延びる力」が弱まる。

「生き延びる力」は、こういう原理である。


さて、
一昨日、僕の四人の男の子のうち、
放蕩息子をやっている次男坊が電動ドリルを借りに来た。

この子は、子供が出来ているのに「家出」を繰り返している様子だったが、
どうやら、落ち着いてきたようだ。
「こうでなくっちゃ嫌だ」という条件の多そうな人とくっ付いた。

この子は、
中学生の時に悪さばかりするので、高校へ行くチャンスを与えることもしないで、
勘当をした子だ。
ヤンチャが我がままの人とくっ付いてうまくいくはずがない。

でも、最近になって様子に変化が見られる。
僕から放り出されて、「生き延びる術」が、身に付いたようだ。
次男坊特有の要領のよさもあって、
非常にずうずうしく生きている。

そこに、やっと少しだけ「大人」に成長できた様子だ。

同じく放蕩息子をしている長男をしょっ引いた者に、
懸賞金支払いをすると、子供たちに宣言をしたのだが、

その懸賞金支払いを前払いという名目で、
この次男坊に今日、銀行振り込みをすることにした。

ちょっとした冗談のゲームだ。
でも、ひょっとしたら、ひょっとするかも知れない。


13/4/18(木)朝 ビデオマンの日記

木曜日は、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込むものだ。

大学生が、就職活動をするときに、
「エントリーシート」なるものを企業に提出しているのでしょう。
僕のその時代にはなかった。

それで、一人の学生が100社近くの新入社員募集に応募するらしい。
優秀な子は、30〜40社のエントリーで決めるという。

僕の営業展開は、一回にだいたい70〜80軒を目標にしている。
そこから、一軒の顧客獲得を目指す。

学生の就職活動と、偶然だが、回る件数がだいたい同じだ。

考えてみたら、
学生の就職活動と僕の営業展開は、本質的に同じだと、
このことで気付いた。

今の学生は、全員「営業」を体験していることになる。
「自分」を一所懸命に「売り込む」んだな。

いいことだ。
どんな仕事でも最初に「営業」があるということを示している。

この「営業」を元気良くどうできるのか・・・・・・

ここには、学校の成績以外のことが試されるでしょう。
企業の人事担当者によって、
それのどこを見るのかは、違いがあるだろうが、
間違えなく、どんな担当者でも感じ取るところが、

「自立をした一人の大人の社会人」

ではないだろうか?
その上で、それぞれの「専門性」を見るのではないだろうか?
「おぼっちゃま」「おじょうさま」は、敬遠されるのではないかね。

これからの日本社会は、否が応でも
全世界を相手に、商売をしていく上で、「独創性」のあるものを作っていかねばならない。

「安価」なものは、中国やインドといった国々に仕事が奪われる。
付加価値の高い仕事を目指さなければならない。

昨日、家電量販店にプリンターのインクを買いに行った時のこと、
「油を使わずに揚げ物ができる」電気製品をしきりにアピールしていた。
アメリカ製だ。

本来だったら、こういうものを日本企業が編み出さなければダメなんだな。
アメリカにやられている。
「スマートフォン」だって、本当は、日本企業が編み出すべきものだった。
SONYが作るべきものだった。

トヨタの「プリウス」は、日本のこれからの商売にあり方を示しているでしょう。

こういうことでの役立つ人材を企業では求めているはずだ。
誰にも簡単には真似できない独特の商品なり、サービスを商品化する。
これが、
これからの日本社会を元気にする。

「卒業ビデオアルバム」制作をこういう視点で考えてみよう。
結構、いけるのではないかね。

死ぬ前に、これの普及を見たいものだ。


13/4/17(水)朝 キャンプじぃじの日記

痛風を甘くみていた。
痛み止めの薬が効かなくて、昨日、一晩、痛みで起きたり寝たりした。
程度は、ビッコひきながらも歩けるのでたいしたことはない。

もし、死ぬ直前に痛風が出たとしたら・・・・・
ひぇ〜〜、神様の裁きだな。
怖ろしい。

ところで、今の子供たちは、あまりに「安全」の環境で育っているので、
「怖い」という体験が少なすぎるでしょう。
「怖い」ものがないから、好き放題なことをする子がいる。

ダダをこねるのは、「怖い」存在がないからだ。
怪我を体験したことがないことも、子供の成長にいいことではないさ。
「怖い」「痛い」体験は、その子に丁度いい程度で必要さ。

昔は、「地震・雷・火事・オヤジ」と言った。
それほどに「オヤジ」が怖い存在だった。

今は、「虐待」が報道で取り上げられて、
過剰反応を起こして、
さらに「分かりのいいお父さん」になってしまっていないだろうか。

「ダメなものは、ダメ。」をシッカリと子供に教えよう。
とくに、父親の知らないところで、
じぃちゃんが「無駄買い」で子供を甘やかしてしまっていることもある。

大自然の厳しさ、辛さ、これを子供にたくさん体験させて欲しいね。
お父さんと一緒なら、そういう環境でも子供は嬉しいさ。
へっちゃらさ。

それにしても、痛ぁ〜〜〜い、痛風。
病院へ行こう。
医者は、病人のためにいる。

快適な日々を過ごしている人に、医者はいらない。

痛みを知っているからこそ、人に優しくなれるのでしょう。
病気で学ぶものがあるのさ、痛ぇ・・・・・。
人生も、失敗からたくさんのことを学ぶのさ。

僕には、四人の男の子がいるけど、
上、二人は、育て方が悪くて失敗した。
それの反省で、ここに書き込みを始めたのさ。

同じドジ踏むなよ、若いお父さん。


13/4/16(火)朝 キャンプじぃじの日記

歳をとると、疲れが三日後に出る。
結構、次の日はヘイチャラなものだ。
しかし、忘れた頃に疲れがドッドッとでてくる。

これは、どうやら痛風でも同じようだ。
この間の、御宿の旅では、調子付いてビールをたくさん呑んだ。
肴がうまいのと、楽しかったので、ついつい自己基準をはるかに超えてビールを呑んだ。
痛風に最悪のアジの開きも食べた。

それが、昨日の夜に出た・・・・痛風が・・・・
まだ、それの予兆なので、即、痛み止めの薬を飲んだね、夜中。

僕のビールの自己基準はこうだ。
枝豆は食べないで、350の缶ビールを一日あたり一本。

昨日の夜は、調理実習をしていたので、この基準を守っていた。
それなのに、ヤバイ状態になったのは、
数日前の御宿でのビール以外に原因が見付からない。

僕は、こうして、「痛風」についての考察をしながら、
今でも「成長」を目指しているのさ。
「消費」ではなく「成長」を目指す。
これこそが、生きる面白さだ。

ところで、僕の成長の一つのその「調理」だが、
昨日、料理教室で「修了証書授与」が行われた。
通いだして一年経ったんだな。

それで、その時に代表で挨拶をして欲しいと、料理教室の先生に頼まれてしまった。
そのクラスでは、じぃちゃんばっかり約30人。
ほとんどの人が定年退職だ。
僕よりは、大方年上だ。

でも、僕の頭に毛が少ないせいか、実年齢より上に見えるのかな?
僕は、代表で前に立ち、先生からの証書を受け取った。

僕の挨拶はこうだ、
 「初めは、何種類かの調理を平行して作るので、
  何がなんだかサッパリ分からなかったけど、
  今日も、そうだったけど、
  平行して作るんだということに、この一年でやっと慣れた。
  僕は、もう一年留年して、もうちょっと身に付けたい。
  先生方、いろいろありがとうございました。」

その後で、なぜ僕が代表を務めたのかをちょっとだけ、先生が語った。
それは、
僕が積極的に洗い物をして場の雰囲気をよくしたと言う。

僕は、この料理教室の途中でそれに気付いたんだな。
「調理」を上達させるためには、「洗い物」の達人になればいい、とね。
ちゃんと、先生がそこを見ていたわけだ。

こうして、僕は、「成長」を目指しているのさ。

だけど、普段の自主トレ調理実習では、
ばぁばに「これ、洗って」と言いつけているけどね。

しょうがないでしょう、台所ではなく部屋で実習をしているんだから。
昨日だって、
「鳥の皮」でダシを取ったスープを作った後、
その皮を部屋で焼いたら、大変。
警報機がしきりに「火事です、火事です、」と、鳴ったさ。

バカなことをしていると自分でも思うね。
でも、このヤンチャが成長の源さ。
なんでこうも僕の人生は愉快なんでしょうか、
ボロアパート住まいの貧乏人なんだがね。

せっかく生きてるんだから・・・・・


13/4/15(月)朝 復活サイクリストの日記

まぁ、年寄りのサイクリングが流行っているのだが、
歳に似合わないレーシングスーツを着て、
派手なロードレーサーに乗っている人がいる。

「物」から始める日本人の特徴だな。
たいがい、ショップの人の言いなりか何かではないだろうか。
歳をとっての激しい運動は、危険だ。

「サイクリングの面白さ」を表したくて作り出したスライドショーのDVDは、
今、6タイトルまでコレクションが増えた。

その中に、ソロサイクリングではなく、ばぁばと一緒のものがある。
ばぁばの自転車は、ビアンキ社製だが、
見た目は、ほとんど「ママチャリ」だ。

それで、サイクリングをしている写真がふんだんにある。
車種は関係ない。
基本さえ押さえれば、どんな自転車でもサイクリングが出来る。

僕は、「物」に遊ばれるのが嫌いな性格だ。
だから、ばぁばのように普通の自転車で「人生を楽しむ」ことを強調したいね。

サドルの高さ、
サドルからハンドルまでの距離、
変速機の使い方、
クランクのピッチ、

基本さえ押さえれば、十分にサイクリングが出来る。

サイクリングは、水泳に次ぐ全身運動なんだそうだ。
慣れれば、「旅」の要素があるので、
僕のように「サイクリングの旅」を楽しむことが出来る。

また、子供にサイクリングを教えれば、
初めは、父親の後ろに付いて行くだけだが、
次第に、
「読図」をしながら走れるようになる。

僕は、自分の子に「ソロサイクリング」をたくさん体験させた。

子供の自立に多いに効果があったと思う。

子供の自立に向けた「成長」を僕は、「親子キャンプ」と「サイクリング」で行った。
ぜひ子育ての目標を

「自立をした一人の大人の社会人」

にシッカリと強く意識して欲しい。
「自立」に役立つ遊びなんだよ、サイクリングは。

サイクリングを子育てに応用して欲しいという願いを込めて、
スライドショーのタイトルを増やしていこうと思う。


13/4/14(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、御宿一泊サイクリングの二日目。

一昨日の昼間、漁港に船がたくさん停泊をしていた。
それが、昨日の朝にはいなくなる。
それらを写真に撮った。

その仕事ぶりを表現するためには、
昨日の午後2時ごろ、船が帰港するところと、
荷揚げするところが写真で欲しい。

朝食は、朝の7時半。
それから午後2時までの範囲でサイクリングをすることにした。

メキシコの船が難破をしたストーリー。
それを展示している会館とそれの記念塔。
難破の現場。

それらをアトランダムに行って写真を撮った。
これを編集でストーリーにする。
ここらへんは、現役のビデオ屋の仕事だ。

それから、一宮〜大原間の山道や海岸沿いをサイクリングして、
お気に入りの大原漁港の前にある「船頭の台所」でお昼をいただいた。
釜飯を食べた。

午後2時には、岩和田漁港に帰る予定だったが、
30分押しで戻る。
漁船が帰ってきていた。

入港する漁船。
荷揚げする人たち。
フォークリフトで運ぶ。
何やら組合の人たちと商談かなにかをしているところ。
それらを写真で撮った。

車のキャリアに自転車を載せて、民宿をバックに車を撮る。
これで、今回の取材終了。
まるで仕事をしているみたい。

これから、撮った写真をスライドショーに編集してDVDを作る。
結構な大作になる。
BGMが2曲分の尺になりそうなので、
メニューで、初日一曲、二日目一曲、に分けようと思う。

なんでしょうか・・・・・
サイクリングのスライドショー作りにハマリきったな。
面白くてしょうがない。

あぁ、商売の、仕事の方の編集は、まだうんざりするほどあるのになぁ・・・・


13/4/13(土)朝 復活サイクリストの日記

と、いうことで、今朝は御宿の民宿の窓から岩和田漁港を見下ろしている。
ほとんどの漁船は、もう出港した。

ばぁばにこう言った。
「漁船の中には、お前みたいに遅いのがいる。」
ばぁばは、「中には、そういうのがいる」と、言った。
反論しないことで、「自己肯定」をする裏技だな。

昨日は、
民宿に朝9時について、そこから一宮までの往復をサイクリングするつもりだった。

しかし!
養老渓谷を回って着いたのが、11時。
民宿の夕食が6時だという。
逆算するとたいした時間がない。

この間の御宿サイクリングで僕一人、イセエビを食べた写真をばぁばに見せたから、
そこに連れて行かないわけには、いかない。
その店は、御宿の隣町に近いところの大原漁港にある。

民宿は、御宿の「岩和田地区」にある「浜よし」だ。
昔、業者仲間と親睦旅行で来たことがある。

民宿に車を停めて、そこを目指してペダルを踏み出した。
民宿から東へ向かっていく。
すると、車が通れないほどの狭い道になる。

とうとう草ぼうぼうの道に・・・・
ばぁば、「あたし、ここへ行くのイヤ」と連発。
道なき道を行く。
こんな面白そうな冒険を見逃すことはできない。

とうとう、道をふさぐように倒木が、
そうとう前に倒れた様子だ。
と、いうことは人通りが数ヶ月間なかったということでしょう。

僕は興奮するね。
ばぁばはしきりに「イヤ、絶対イヤ!」を連発。

トンネルが出てきた。
これがあるということは、どこか、いつか、一般道に出られるはずだ。
もうすでにばぁばの「イヤ」も、耳に慣れてきた。
グングンと行く。

ついに、とても自転車に乗って走ることが出来なくなる。
まるで、ちょっとした登山道みたいだ。
自転車を担いで、小川に架かっている木の橋も渡る。
ばぁばは、怖くて渡れないと騒いでいる。

僕は、冷たく「渡れないならそこから戻れば?」と言った。
ブツブツとサイクリング用のインカムから聞こえてくる。

たいした距離はなかった。
それの出口に、「おんじゅくトレイル『岩和田林間コース』」という看板があった。

そこから、大原まではすぐに着いた。
大原漁港前にある「船頭の台所」でばぁばと二人でイセエビをつついた。
ばぁばは、ヒゲを動かしている海老を見て「かわいそうに」と、言いながら平気で身を食べた。
くかして僕は、女の性、「残酷」を目の当たりに見てしまう。

ふぐ刺しが、たったの千円。
その他にも、漁港ならではの海の幸をいただいた。
生ビールも、痛風にめげず三杯呑んだ。

僕は、サイクリングに酔う旅をするつもりだったが、
ビールで酔っ払った。

店主と話をした。
なんでも30年前には、そのあたりに130軒もの民宿があったそうだ。
今は、営業をしているのは、1〜2軒だけだそうだ。

豪華で、贅沢な海外旅行に客足を取られたのだろうか?
内需拡大を脅かしていないだろうかねぇ・・・・その「豪華」「贅沢」が。
僕は、飛行機が大嫌いだから、関係ない。
大原に、ほんのわずかな金を落とした。

そのまま、国道で民宿へ戻る。
途中、その林道入り口で僕が「もう一回、ここへ行こうか。」とばぁばに尋ねる。
ばぁば、「絶対にイヤ!!!!」と過去最大の拒否。

民宿で、お風呂に入って、デジカメでばぁばの入浴を撮った。
今回の写真もスライドショーにするから、「ゲテモノ好き」の輩は、これのDVDを請求してください。

そして、民宿で夕食には、船盛がでてきた。
たった二人なのにね。
食べ切れなかった。

この話し、明日につづく。


13/4/12(金)朝 復活サイクリストの日記

ばぁばに朝、4時半に起きて、5時には出発すると昨日の夜に言いつけておいたのに、
豚寝した。
起きたのは、5時。 いつもと同じ。
それで、その30分遅れが、到着、1時間以上の延滞になる。

この間、
御宿方面へオートサイクリングをした。
その時には、R-16から東金道路に出て、九十九里浜に9時前には着いていた。
しかし、今朝は、その交差点にあるファミレスに8時半だ。

今日は、これから御宿に一泊してサイクリングを楽しむ。
ばぁばと二人だけで一泊旅行をするのは、この30年以上の間に一度もなかった。
出来るわけがなかった。

子供がいないと身が軽いね。
遅くなったついでに、
御宿まで、大多喜街道を行くつもりだったが、
ちょっと大回りをして養老渓谷を見てこようと思う。

子供がいたころ、
僕は、車で先回りして、子供とばぁばは、そこにある「小湊鉄道」に乗らさせたことがある。
養老渓谷の中を走っていく路線だ。
僕は、見たことがないけど、渡良瀬渓谷と同じようなダイナミックな景色だろうね。

その思い出がある渓谷を見てから御宿入りをする。


13/4/11(木)朝 ビデオマンの日記

コピーガードを外して、不法複製したDVDを他の保護者にばら撒く事例が後を絶たない。
前年度、それが疑われる顧客を一件、一切の取引を年度途中で断わった。

この「一切」というのは、
今までのガードとは、まったく違うタイプのガードを付加して、
「追加注文」を断わるという意味だ。

それは、
お友だちに、1枚、2枚、というレベルではない。
前年度の販売数量より明らかに減るクラスがあった。
全体が下がるのではなく、
特定のクラスだけ有意に下がっていた。

そして、その犯人のクラスではなく、
自分の子が写っていない他のクラスのDVDまでも買った。
たぶん、安価で売る「海賊版」を他のクラスでもやりだしたものと思える。

完璧な犯罪だ。
あまりに悪質だから、取引停止にした。

ガード以外での対応もした。
去年の例では、
ガードを外してばら撒いているらしい犯人がモンスター化したというのがある。
あらゆる無理難題を押し付けるというものがあった。

こちらも強硬な対応を提案した。
相手が難色を示したので、取引停止の宣言までしたが、
先方が折れて条件を飲み込むということがあった。

モンスターペアレントの攻撃には、断固として戦うべきだ。
一歩も譲ってはならない。
ますます付け上がるからだ。

強攻策で、
それまで、30枚まで販売数量が落ちていた仕事が、
一気に90枚も売れるという珍事が起こった。

この「取引停止」という最終手段は、
いつでも「新規開拓」できるということが絶対条件になる。
これがもっとも大きい「安全保障」だ。
生き延びる術だ。

このことは、あらゆる商売に共通する。

コピーガードに頼らず、
注文を「予約制」にした例もある。

予約注文した子だけを撮るというものだ。
そうしたら、一昨年、販売数量が30枚を切るまで落ちていたところが、
80枚に伸びたということも起きた。

今回、出荷しようとしているものも、
それが疑われる数量に落ちたクラスがある。
一クラスだけ異常に販売数量が落ちるのですぐ分かる。

こういう悪質な事例を放置していると、
ほとんど買わなくなるまで落ちる。
過去にこのことで、多くの「取引停止」を実行した。

今回の対応に、
ガードの種類の違うデュプリケーターを昨日、買った。
そして、タイプのまったく違うガードを組み合わせるとどうなるのか、
実験をして、使ってみようと思う。

あまり余計なことをしたくはない。
経年変化でどうなるかが分からないからだ。
しかし、しょうがない。

こういう悪質な複製は、ここ数年著しくひどくなった。

そういう取引先で気持ちよくDVDを作る気を失う方がよっぽどもの損失だろう。
結局最後は、取引停止しかビデオ屋としては手がなくなる。

たぶん、これはどこでも同じような状況を今、迎えているのではないだろうか。
これが、
4年ぶりに新規開拓を始めた最大の理由だ。

信号によるコピーガードだけではなく、
販売方法での複製抑止のノウハウを、いくつか「工夫」して編み出したので、
これを武器にして売り込んでみようと思う。

成功すれば、デメリットをメリットに転換する事になる。


13/4/10(水)朝 キャンプじぃじの日記

多いに反省をした。
そして、「視点」の違いの大きさにも驚いた。

僕は、10年のサラリーマン生活の体験があるが、
それはもう30年近くも前の話しだ。
今の日本社会とは、随分と違う。

30年間、僕はフリーランスをしていて、
サラリーマンと言えども、今の日本社会は相当厳しいだろうと想像をしていたけど、
それほどひどいとは思っていなかった。

重っ苦しい本なのでなかなか読めなかったが、
昨日、やっと読みきった本がある。

「ブラック企業」 今野 晴貴 著
  文春新書刊 770円

僕が脱サラをするときのことだ。
「これからは、終身雇用と年功序列の日本社会から能力主義へと移行する」
と新聞や、その他メヂィアでしきりに報道されていた。
今から30年前。

国鉄がJRになったのもそういう流れの中に起こったような気がする。
最近では、郵便局が民営化をした。
「仕事の効率化」
これが根底にある。

ましてや、民間企業が全世界を相手に生き延びるためには、
必然的に「日本型雇用」は、無理になる。
「能力主義」は、否が応でも避けることができない。

そこまでは、30年前の僕にハッキリと分かっていた。
だから、固定給が高かったけど、
何か「技術職」を目指さなければと思っていた。

28才の僕は、そう考えている内に今の商売を思いついた。
「ビデオで子供を撮って売る商売」
を目指して脱サラをした。

具体的な商売の方法は、まったく分からず終い。
暗中模索で「卒業ビデオアルバム」を商品化した。
これは、今から22年前のことだ。

僕は高卒だよ。
もう一度言う、僕は高卒だ。

その僕が、28才の時にそのときの日本社会がどう変わっていくのか、
そういう社会で生き延びるためには、何を目指すべきなのか、
考えるだけではなく実行に移した。

それは、
「18才で自立」していたからこそ、「必死」に考え実行できたと思う。

「一生涯安泰」という意識は、高校生の時期にもうすでに僕にはなかった。
高校生のときに、「何か商売」をしたいと強く思っていた。

こういう「心の持ち具合」だったので、今の商売を手に入れることが出来た。
今、正に、そういう「気持ちを起こす」ことのできる人が元気良く生きることができる時代になったのだろう。

「一生涯安泰」を求める、今までの日本型雇用の「終身雇用」を当たり前に考えている人が、
このブラック企業にひっかかりやすいのだろう。
その著作にも、それを示唆するところがあった。

しきりに「戦略的思考」をせよと訴えているところだ。

僕の戦略は、幼稚なものだったが、それでも「人生の戦略」に「自営業」を据え置いていたのだ。

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」
で育てられた人は、往々にして「安定志向」だ。
「一生涯安泰」を求めたがる。

こういうふうに育てられた人は、「人生の戦略」自体の概念がないと思えるんだな。
すでに高校生の時点で「現実社会」を意識できていないと思える。

中学生では、今の日本社会を意識できて、
高校生では、自立できるように育てる。

そのことによって、「人生の戦略」を持つ事ができる。
僕は自分の体験で、これを訴えているのさ。

「幼稚であってはならない。 幼子のように素直になる。」

これは生き延びるのに非常に重要な「心の状態」だ。
僕は、30年前の日本社会を「幼稚」に見ていないで、事実を知り、
「素直」に実行をしたわけだ。

著作では、この「ブラック企業」は、
日本型雇用のいいとこ取りの形態だと説明している。
「一生涯安泰」の意識に付け込んで悪事を働くと書いてある。

もう一度言おう、「一生涯安泰」という意識こそが危ない!!

「自分の身は、自分で守る」という自立した人を育てる。

「人生の戦略」を高校生で身に付けさせるように育てる。

これからの日本社会を堂々と生きていくためにどれほどこのことが重要なことか、分かって欲しい。

僕は、この本を読んで反省をした。
「自立」出来ていない人がうつ病になりやすいのは分かっていた。
「依存心」が強いのは、「自立」できていない証拠だ。

しかし、僕はこの本を読んで、
ブラック企業が「意図的にうつ病を起こさせる」という事実は知らなかった。
これは、今の法律では抜け穴になっているが、
明らかに犯罪だ。

僕は、これを知らなかった。 多いに反省をした。

それでも、
高校生で「自立」を身に付けられれば、ブラック企業にひっかかりはしない。
万一、そこに勤めても、軌道修正して新たな「人生の戦略」が立てられるはずだ。

僕が脱サラをして、
「卒業ビデオアルバム」を商品化できる前までは、
零細のビデオ屋を渡り歩いて、技術を盗み取った。
その零細のビデオ屋は、5件渡り歩いた。

そういう極少のところでは、「ブラック企業」以上の嫌がらせがあったね。
僕は、そこを潜り抜けたのさ。

もし、僕がブラック企業に入ったとしたら、こう考えるだろう。
「ここでしか知りえない何かを得たらさっさと辞めて次へ行く。
  そこでも何かを得たら、次へ行く。
   そうしてどんどんキャリアアップするぞ。」

僕は、まったくこういう「心持ち」で、そのビデオ屋を渡り歩いて、
今の制作技術を得たのさ。

この本と僕の「視点」が違うのは、
「ブラック企業と戦う」のではなく「利用」するということだ。

朝日新聞では、「限界にっぽん」という連載があったようだ。
最終回の、4月8日では、
ブラック企業ではなくても「追い出し部屋」の存在を顕わにしている。

昔で言う「肩叩き」「窓際族」のバージョンアップしたもののようだ。
「自立」できなく「依存心」の強い人が狙われる。

さぁ、これからの日本社会を堂々と生きていける人に子どもを育てよう!
ぜひ、ここの書き込みを「素直」に読んでみて欲しい。


13/4/9(火)朝 キャンプじぃじの日記

ここのところの嵐で、
さぎ山野営場の被害がどうなのか、昨日、見に行った。
想定していた被害はなかった。

ただ、芋虫のような種子だか、実だか、サイト地面に降り積もっていた。
地面に食い込むように落ちているので、ブロアーが効かない。
竹ぼうきで、擦るようにして掃いた。

汗、ビッショリ。

さて、今日も幼稚園の入園式だ。
いざ、出陣。


13/4/8(月)朝 キャンプじぃじの日記

今日からレンチャンで幼稚園の入園式を撮る。
新年度の始まりだ。
もう二十数回、これを撮った。
次の「卒業ビデオアルバム」制作の始まり。
好きで始めた今の仕事を手に入れることが出来て本当に良かった。

僕の生きる価値観は、初めから「物」や「金」になかった。
高校を卒業をして会社勤めを始めた時にも、
街で最も安いアパートを借りて自立をした。

その時のサラリーは、同級生の中で最も高かったにも関わらず、
最も安いアパート住まいをした。
その後も、僕の年収は、20才代で当時の「部長級」だった。
これは、スキーで知り合った一回り年上の人の言葉だ。
それでも安アパート主義は、今に至っている。

それでできる予算で、いつも何かに最大の自分投資をした。
仲間は、これを好き勝手にして生きている、と、表現する。
物事に対してのそれは、「視点」の違いだ。

僕は、自分の興味関心に対して最大限の投資をしただけだ。
その結果で、今の仕事を握り締めることが出来た。

そのために僕は、常に「命がけ」で生きてきた。
お金も心も、自分の興味関心に最大限の集中をした。
その結果として、今の仕事が実現した。

もうかれこれ、「卒業ビデオアルバム」の仕事を目指しだして30年近くなる。
これの商品開発、商品化は、すでに20年を越した。
「これで喰っていけたらどれほどいいか」という僕の願いは、
いつの間にか、
「この仕事で、喰ってしまった」になった。

この仕事は、今でも珍しい仕事だ。
ネットで「卒業ビデオアルバム」を検索すると、
このHPがヒットする。
それだけまだ珍しい。

この僕の体験があるからこそ、ここで訴え続けているのさ。

「物や金で幸せになることはない」
物や金で得られるのは、「見栄」だ。
見栄で幸せにはならない。 
逆だ。
人に嫌われる。

また、物や金では、
「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件になる」
とも警告しているのさ。
これだけ物が氾濫しているここ日本で自殺者が多いのは、
このことで説明が出来るでしょう。
「生きる条件」が多過ぎるのさ。

「消費ではなく成長を目指そう」
紛れもなく、このことは僕の生き方そのものだ。
これを実践したからこそ、今の仕事を手に入れたのさ。

自分が本当にしたい仕事を手に入れるのは、簡単ではない。
「大学さえ出せば、子育てをしたつもり」の子育てでは、
「豪華、贅沢、をかなぐり捨ててでも、自分の仕事を手に入れる」
人に育ちにくいのさ。

そして、
「一生涯安泰」を子供に感じさせて、そう生きるよう仕向けるのは、
結果として、子供は、非常に窮屈な人生を歩むことになる。
これは、不幸でしょう。 

この国は、いい国だ。
「ジャパニーズ・ドリーム」を実現できる可能性があるいい国だ。
この可能性をより高めるためには、
そこには、作戦と実行力が不可欠となる。

これを子供の心に育むためには、だから、

「大自然の厳しさ、辛さ、美しさ、面白さ」

を子供にタップリ体験させるといいのさ。
机にしがみ付いても分からないことが身に付く。

僕は、このことを見つけて、自分の子で実践した。
僕の子供は、自立を果たした。
専門家に障害を指摘された子も、これで自立を果たしたのさ。

小学校一年生から、四年生ぐらいまでは、
お父さん自身で、子供とたくさん遊ぶ事がとっても大切だ。
なぜなら、
そのことによって、「父親が成長する」からだ。

「父親が成長した分、子供の心が成長する」ようにできている。

新年度にあたって、
キャンプじぃじの辛口メッセージでした。


13/4/7(日)朝 キャンプじぃじの日記

アレッ? どうしたんでしょうか?
今朝は、土砂降りの雨のはずだが・・・・・・

そのつもりで、一件の編集のフィニッシュを残しておいたのだが、
今日、オーサリングをして、とりあえず一件仕上げるつもりだったのだが・・・・

まぁ、午前中はお参りだから、
それをサボらないとは、思うけど、
自分で自分の行動が最近、アン・コントローラブルだからなぁ・・・

しかし、青空はいただけないなぁ、見ないようにしよう。

この時期は、サイクリングのトップシーズンだ。
だめ!
そんなことを話題にしてはいけない。

違うことを考えるんだ、谷口君。

夏の肉体労働に向けて、今、サイクリングで体力をつけなければ仕事ができない。
ふんむ、一理はあるな。
しかし! それでもダメ!
そんな素晴らしい屁理屈を振りかざしてはいけない。

違うことを考えるんだ、谷口君。

そもそも、人生は、思ったとおりにいかないところに醍醐味がある。
思ったとおりに、自分の思い通りにならないことに感謝するべきでしょう。
サイクリングできないことに感謝しろ。

ちょっとそれは難しいよなぁ・・・・
サイクリングが出来る幸いに感謝します。

「すべてのことについて感謝しなさい」
出来ないことに感謝するんだ。

いったい、オレは、誰と話してるんだ?
病気か?

そうねぇ、サイクリング病だね。
病気だものしょうがない。

おいおい、礼拝を守れってんだよ。


13/4/6(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、ドアーを出る前は、
江戸川でもサイクリングで一周して、それから編集の仕事をしようと思っていた。
本当に、そう思っていた。

ところが、ドアーを出たところで輪行したくなった。
とりあえず、東武線「新越谷駅」に向かう。
そこで「やぎゅう駅」までの切符を買って自転車を輪行袋に詰めて、
電車に乗った。

でも、直行で渡良瀬遊水地にある道の駅「きたかわべ」に行っても、
まだ店がやっていない時間だった。
そこで、手前の「南栗橋」で電車を降りる。

そこからその道の駅に向かってサイクリングを始めた。
ピッタリの10時に「きたかわべ」に着いた。
そこで、お目当ての「デカにぎり」を買って、展望台で食べた。

食べながら、コースをどうしようかと地図を広げる。
サイクリングのイメージを地図で見るのも楽しみの一つだ。
「デカにぎり」がうまいし、空気も爽やか。
風も穏やかで、ベストコンディッション。

渡良瀬遊水地をそのまま上っていって、渡良瀬川を走ることにした。
いつだったか、調子付いて「渡良瀬渓谷」まで足を延ばしたら、
帰りが遅くなって、ばぁばにイヤミを言われたことがある。
おぉ、嫌だ。

ばぁばのご機嫌をとりながら生きていかねばならない。
まるで僕の保護者か?

渡良瀬川。
思ったとおり、なんて気持ちのいいサイクリングでしょうか。
ワークシャツの袖をまくるとちょっと寒い。
運動には、このぐらいが一番いい。

初めは、曇っていたけど、次第に青空になる。
気温がグングンと上がった。
ついに、Tシャツでも暑苦しくなる。

土手から見下ろしたところにラーメン屋さんが突然あった。
丁度お昼時なので、そこに入った。
ふと、24時間前にイセエビを食べたのか・・・・
思い出してしまった。 昨日はラーメン。

しかし!
ここらへんのラーメンはうまい。
名物「佐野ラーメン」仕立てが多いからだ。
入ったラーメン屋さんも予測どおりそれだった。
ただし、麺を茹で過ぎていた・・・・残念。

お腹も満たしたし、Tシャツでも暑い空気だし、
土手を走って行って、なんだか眠くなる。
あぁ、あそこに簡易ベッドを置いて昼寝したら気持ちいいだろうなぁ・・・
そんなことばかりが頭の中に浮かぶ。

帰りが遅くなるのも嫌だから、
さっさと帰ることにした。
東武線「太田駅」から輪行で帰った。
走行距離、また、たったの60`でした。 でもとっても気持ちが良かったな。

ボロアパートに帰って、編集をした。
一昨日の「御宿」とその前の「筑波山」の写真をスライドショーに編集をした。
DVDにして「サイクリングの旅」シリーズに、2タイトル増えた。
これのコレクションが今、僕の一番ホットな遊びかもね。

結局、仕事の編集は、手付かず。
お粗末でした。


13/4/5(金)朝 復活サイクリストの日記

雨で二日間、狭い部屋に缶詰になった欲求不満が、
昨日、爆発をした。

御宿へサイクリングに出た。

何年か前、
輪行で御宿へ行ったときのこと。
時間配分を考えて、丁度いい時までサイクリングをして、
いざ、電車で帰ろうとしたときに、
目の前で上り電車が来て、発車してしまった。

そこでは、一時間に一本しか電車がない。
結局、
帰りが遅くなって、ばぁばのブーイングを喰らった。
「あたしは働いてるのに一人で遊んでるんだから・・・・」
嫌なセリフ。

そこで昨日は、初めから開き直って、
車に自転車を載せて、朝4時半に起きて、
ここに書き込みを済ませて、さっさと九十九里浜を目指してハンドルを握った。

いかに勢い良く出るかがポイントだ。
そのときに、後ろめたさを出してしまうと、
そこを、ばぁばに突っ込みを入れられてしまう。

そこまで大成功だった。
こういうのって、「営業センス」の技術だと思うね。

なぜそんなに早く出たのかと言うと、
途中に八千代市や千葉市の公園前という渋滞のメッカが二箇所もあるからだ。
そこを早く抜けたかった。

そういうことで、昨日は、朝の9時前には九十九里浜に車を停めてサイクリングを始められた。
海は、まだ「冬」が残っているような荒れた波だった。
でも、
空は雲のない青空。 
空気はほんのちょっとクールだがまったく寒くない。
風は、無風に近かった。
最高だ。

九十九里浜から大原まで、車では分からないサイクリング道路(ところどころなくなるが)を走って気分上々。

中学生らしい子数人が、ウエットスーツを着て、
サーフボードを自転車に積んで、さっそうとすり違って行った。

そうか、今、春休みなんだ。
中学生が毎日サーフィンを楽しんでるんだな。
部屋の中に閉じ込められている子と比べて、
よっぽども豊かな人生を送っていると、僕は思った。

そこには、「学校の成績」「物質的な豊かさ」「金」
といった価値からほど遠い「豊かさ」を僕は感じたな。
たくさん遊べ。
大自然の中で多いに遊べ。
そこに「生きる力」が磨かれるさ。

僕は、またデジカメで写真を撮りながらのんびりと走った。

昔、
僕の四人の男の子のうち、上二人をよく大原のキャンプ場に連れて行ったものだ。
年に一度ではない。
夏の間、毎週、オートキャンプをやった。

でも、結局、それはレジャー・キャンプだったから、
子育てにはなっていなかった。
下、二人の子は、「子育てのためのキャンプ」をやった。
何が違うのか・・・・・・
紙面の都合で端折る。 普段、ここに書き込んでいるとおりだ。

まぁ、そういうことで大原は、僕にとって子供とのレジャーキャンプの思い出の場所な訳だ。
でも、昨日は、海岸沿いに自転車で走っていたので、
まったく違う発見があった。

大原には、漁港があったのだ。 知らなかった。
その漁港の前に「船頭の台所」というのぼりがある店に着いた。

せっかくの旅行だ。
そこでしか食べられないものをいただく。
なんでも、
大原漁港は、イセエビの水揚げ日本一だとか。

僕は、貧乏人で明日からの生活をどうしようか・・・・
なんて、サイクリングの旅では考えない。
まさか、イセエビの刺身を1/4下さい、というオーダーも不可だろう。

一匹丸々、イセエビの刺身を注文した。
それだけでは、味が偏っているから、「おまかせ刺身の盛り合わせ」も頼んだ。
もちろん、それらは食べて無くなる前に、デジカメで記録をした。

胃袋の中で、
イセエビが死後硬直を起こしそうな感じのまま、また僕はペダルを踏む。

そこからは、アップ・ダウンが始まる。
いつものように袋小路に入っては、ユーターンしながら、
大自然の中を走る。

こうして、御宿町に着いた。
ここは、「月の砂漠」で有名だ。
でももう一ついいものがある。
それは、江戸時代にメキシコの船が御宿の海で難破した。
それを「海女さん」が助けたという美談だ。

寒さに震える船員を、海女さんのおっぱいで温めてあげたという。
僕も、御宿で溺れてみたいなぁ・・・・・
だめ?

それの資料館や記念塔がある。

それらをデジカメに収めて、
「御宿」から、「上総一宮」まで輪行して帰路につく。
一宮からは、またペダルを漕いで車まで戻って、
今度は、アクセルを踏んで帰った。

車での移動、180`。
電車での移動、20`。
サイクリングは、たったの60`だった。

オートサイクリング&輪行だ。
大自然、いいとこ取りの究極のサイクリングを楽しんだ。

昨日の夜には、ばぁばと二人で最近気に入っている店に入って、
堂々と、撮れたての写真を見せたさ。
それで、今度泊まりで行きたいか尋ねた。

こういう話術で、僕のサイクリングは、正当化できた。
めでたし、めでたし。


13/4/4(木)朝 ビデオマンの日記

昨日、一昨日、この二日間は雨で編集以外にやることがなかった・・・・

実はあった。
インドアーでアウトドアーの訓練。
調理をした。
久しぶりに、5石の米を炊いたら失敗をした。

おっといけない、今朝はビデオ屋さんに向けた話の日だった。

なんでしょうか、子供がいなくなって気が抜けてるな。
編集を3時間やると嫌になってしまう。
昨日のように、編集の前に自転車に乗って発散できないと、
いつの間にか、違うことを始めてしまう。

若い頃は、徹夜で普通に編集したものだが・・・・
今、それをやると、
結局、間違っていてやり直すことになる。

集中力の低下、加齢だけではないような気がする。

さて、
今年は、久しぶりに営業展開を始めた。
今回は、6ヶ月をかけてかなり計画的に実行をする。
ターゲットが狭いからだ。

内容は、残念だが、ひ・み・つ。
成功するかどうか、気合の問題だな。
子供に飯を食わせるためなら、「火事場のクソ力」が出たものだが、
自分が食うためという動機だと、どうもエネルギーがでてこない。

そこで、
これはサバイバルゲームだと自分に言い聞かせてみる。
自衛隊に、食料もなく山野を何日も掛けて行くレンジャーとか言うものがあるそうだ。

考えて見たら、
僕は、この日本の現実社会を一人でレンジャーをしたようなものだ。
常に「喰えなくなえる」という一種の「死」と隣り合わせで生きてきた。

ここで、気を抜いて死んでなるものか、
子供たちが見ている。
こう思うと、ムラムラと「生き延びようとする」エネルギーが出てきそうだ。

ビデオ屋をやりたいと思っても、出来ないこと・・・・
「営業努力」だ。
「営業」なくして「商売」が立ち上がるはずがない。

さぁ、これを実践するぞ。 オッス!
若いビデオマンもやってみな! オッス!


13/4/3(水)朝 キャンプじぃじの日記

日中、この雨で、仕事の編集以外にやることがなかった、昨日は。

それでも、風呂上りの夜には、調理実習をした。
スーパーで「銀だら」を手に入れることができたので、
二切れは、味噌漬けにして冷蔵庫に眠らせて、
一切れは、寒かったので「海鮮鍋」にした。

冷凍の「海鮮鍋」用のセット、これには小エビ、ホタテ、イカ、
そんなものが入っていて、二人で丁度いい分量だ。
シイタケ、昆布、かつお、でバッチリダシをとって、
そこにそのセットの食材、銀だら、シイタケ、白菜、
食べる寸前に、ネギの「乱切り」を入れて食感を出した。

バッチリだったさ。
僕の腕は、少しずつだが上達している実感を得た。

その他に、
「きつねのぎゅうぎゅう詰め」のはんぺんバージョン、
「ねぎみそのきつね巻き」、
をつまみにビールを呑んだ。

外で呑むより、家の方がうまいんじゃないか・・・・・
そんな気がした。

本当は、「厚揚げのたれ煮」も食材を用意していたが、
ばぁばも負けずに作ったので、これは今夜のお楽しみだ。

ばぁばは、「ふきのとうの味噌和え」を作った。
僕の舌には、ちょっと甘すぎだが、たぶん、ばぁばの好みだろう。
でも、これもツマミに最高だった。

酒のつまみは、「辛い」「しょっぱい」「苦い」が酔っ払っても分かる味だ。
だから、この要素の一つが必ずなければダメだな。
このことは、料理教室では教えてくれない。

子供が全部いなくなった今、
何か工夫をしなければ、「地獄のような人生」に墜落してしまいそうだ。
遊んでんじゃないさ。
必死に「人生を面白く」しているのさ。

本来、
「生きる」って、常に「死」と隣り合わせであったものだ。
しかし、「快適」「気楽」「簡単」が、
「生きているのが当たり前」にしてしまった。

子供にもこれを刷り込んでしまった。

だから、何かで本来の「必死」を普段の生活で味わうべきだな。
「消費」ではなく「成長」を積極的に意識した生き方をしていないと、
あっという間に「快適」「気楽」「簡単」に心が溺れてしまうだろう。

たぶん、これが「うつ病」になる本当のプロセスではないかと、僕には思える。
だから子供には、「快適」「気楽」「簡単」ではない「親子キャンプ」の体験が必要だ。
快適な生活をしていれば、いるほど、必要だ。

このことで子供を「野性」にリセットしよう。

SCCでは、5月3日〜4日にさぎ山野営場の新しいサイトでの
最初のキャンプをやることにした。
新サイトのこけら落としだ。

僕は言うだけではないさ。 実践するさ。


13/4/2(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、ひどい二日酔いだった。
あんなに天気が良かったのに自転車に乗れなかった。
自業自得。

とても脳みそを使う編集はできそうにないし、
さぎ山野営場へ軽作業をしに行った。

SCCの大形テント「竹ハウス」や竹で作ったSCCの倉庫にまだBSの資材が残っていた。
それをBSの倉庫に移した。
少し作業をしては、一休みしながらそれを終わらせた。

これで、新しいサイトでのキャンプがいつでも出来る!

この間の、ばぁばの誕生会の時に集まった連中が今度の五月の連休にキャンプをしようと気勢が上がった。
いつでもOKだ。
ついでに最寄の教会の塾の子もお誘いしたいね。

この間、牧師夫人から次の企画の催促があった。
こちらには、
泊りではなく、デイキャンプで誘うことにしよう。


13/4/1(月)朝 キャンプじぃじの日記

思いっきり酔っ払った、昨日。

今も目がグルグル・・・・
昨日のばぁばの誕生日パーティは、
お店の演出もあったりして、大いに騒いだ。

ビールで乾杯したあと、
本物のシャンパンで乾杯、焼酎、あとは覚えていない。
チャンポンで腰を抜かして、帰ったことは覚えている。

古い友人や、大家のおばぁちゃん、最近知り合ったカメラマン、
ともかく、気心の知れた仲間と愉快だった。
お終い。


13/3/31(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、ばぁばがいつになっても起きないと思っていたら、
次は、
花粉症の薬をもらってくる、と言って病院へ行ってしまった。

「花見サイクリング」のテンションは、下がりっぱなしだ。
しょうがないから、季節はずれの寒さだし、
仕事の編集でもしようとしたところに、
病院からばぁばが帰って来た。

昨日のあの寒さだ、もう自転車に乗る気がないばぁばだ。
でも、一応、社交辞令で尋ねた。
「お花見に行かないのかよ?」

僕のモチベーションは、すでにエンプティ。
しかし!
ばぁば、「行くよ」だってさ。

そういうことでお昼にラーメンを二人で食べてからの出発になった。

見沼代用水路コースは、周回コースだ。
それをアレンジすれば、いくらでもショートカットコースができる。
自由自在。

「さぎ山野営場」のすぐそばの公園に車を停めて、
そこから、一番オーソドックスなショートカットコースを走ることにした。

桜は、一昨日ロケハンしたとおり満開だ。
ただ、冬の寒さ。
でも、今、マイブームのデジカメでばぁばをモデルに(被写体に興味はない)桜のトンネルを写真で撮っているうちに、ハイテンションになった。

このコースの桜は、自転車で走って行って、飽きるほどの分量がある。
見応え150%。

ツバキ、つくしんぼう、菜の花、
僕には分からない紫やローズピンクの花、花、花・・・・
そこに桜の花のトンネル。

その桜を見下ろせる喫茶店に入った。
あの寒さだからこそ、そこの店はすいていた。
展望が一番いい席が空いていて、思わず僕は、「ラッキー」と声を出してそこに座った。

ばぁばの後ろ横顔越し、ばぁばがコーヒーをすするところに、
窓に写っている桜並木を望遠で撮る。
そこに、デジカメのその画角の中に、二人のランナーが飛び込んだ。

すごい、ナイス・ショット!
僕は、写真の個展ができるんじゃないかと思ったね。

一休みして、また桜の中を行く。
本当に飽きるほどの桜の中。
ばぁばを(僕の趣味ではない)モデルにシャッターをたくさん切った。

「見沼通船堀」 に出る。
ここでも、デジカメで、カッシャ、カッシャ・・・・
そして、ここに峠の茶屋のような喫茶店がある。
二人で初めてそこに入った。
「昆布茶」を注文した。

もうその時点で午後の四時を回ってしまっていた。
寒さは、ますます勢いづいている。
そこからは、桜を見るのが本当に飽きて、サッサと車が停めてある公園まで走った。

いつもの銭湯で暖まって、いつもの店「みさき」で、
撮れたての写真を二人で見た。

被写体はともかく、面白いねぇ、これ。
店から帰って、速攻でこれをスライドショーに仕上げたさ。

今夜は、ばぁばの誕生パーティを最近、新規開拓した店ですることになっている。
そこでこのスライドショーを披露したいな。

老後の豊かさは、こうするといい。

あぁ、仕事の編集もこのぐらいに熱心にやっつければすぐ上がるのになぁ・・・・・


13/3/30(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、今日の「お花見サイクリング」のロケハンをした。

デジカメでサイクリングのドキュメンタリーを写真で撮って、
それをスライドショーにするのにハマっている。
まったくの趣味だ。

それで、今日、ばぁばと二人で「お花見サイクリング」をして、
写真を撮ることにした。

しかし!
ばぁばは、豚寝して起きようとしない・・・・・・

昨日のロケハン・サイクリングでは、いつもの見沼代用水路コースに桜が満開だった。
ここでは、自転車が通行できなくなるほどの人ごみにはならない。
平日ということもあって、
昨日は、
老人ばかり30人ぐらいのお花見パーティーが一組だけあった。

お花見サイクリングは、もう何年も前から続けてきている。
今日は、その日だというのに、
まったく、ばぁばが起きようとしない・・・・・・

さっさと起きろってんだよ!


13/3/29(金)朝 復活サイクリストの日記

埼玉県と千葉県の県境に江戸川があって、
そこに「野田橋」が架かっている。

その野田橋のたもとに取引先があって、
そこに昨日は、納品をした。
ちゃんと仕事をしている。

そして、ついでにその先にある「筑波山」までサイクリングをした。
幼稚園に車を置かさせてもらうために、
園長先生に事情を説明したら、
ほとんど呆れ顔でエールをいただいた。
お昼代をいただいた。

野田橋を自転車で渡って、利根川に架かっている目吹大橋も渡る。
そこから真東へ向かうと「鬼怒川」に出る。

昔、カブスカウトの活動を夢中になってやっていたが、
そのときに、団専用のキャンプ場がこの付近にあった。
そのころ、年中、そのキャンプ場に通ったものだ。
「倉庫整理」という名目で、一人で行っては、五右衛門風呂を沸かして入っていた。

今ある「さぎ山野営場」にも五右衛門風呂とそれの水槽を作ったが、
結局、僕がたった一回、三番目の子が一回、それに入っただけだった。
新しいサイトに引越しをして、
そのドラム缶は、雨水をためる水槽にした。

鬼怒川の土手を北上すると、「下妻」がある。
それを目指して土手を走る。
走れる土手がなくなって迂回したり、
砂利道になったり、
舗装の道が突然なくなって、人が一人歩くのがやっとの「道」を行ったり、
ところどころで桜が満開。

今までの土手の中では、最も変化に富んだものだった。

そうして走っていると、右手にお城のようなものが見えてくる。
新興宗教の本山か何かだろうか、
面白そうなので、土手から街中に入って、そのお城に向かった。

本当のお城だった。 「豊田城」だった。
ここで見学をすると、目的地に着かなくなるので、写真だけ撮って
土手に戻らず、そこから北上した。

見渡す限りの田圃。
まだ稲を植えていないので、茶色の地面が見える。
広い空。
魚眼レンズでもその空全部を写すことが出来ないほど、広々としていた。

下妻から真東に向かえば、そこに筑波山が見えてくる。
筑波山は、僕の子供と何回もサイクリングで行ったところだ。
でも、その時のコースは、最短距離を走ったので、今回のコースとは全然違う。

筑波山がだんだん大きく見えてきて、
ついに、その中に入る。
いつの間にか、道が広くなっていた。

山道を、最初は自転車を漕いだが、
ついに体力不足、歩いた。
こうして「出来なくなる」ということを素直に受け止めて、
その分、歩くことを楽しむ。 これがいい歳のとり方さ。
そう、自分に言い聞かせた。

子供たちとよく寄ったお土産やさんで「カツどん」を食べた。
祝儀をいただいた園長先生にお土産に「がまの油」を買って、
帰路につく。
豪快なダウンヒルとコーナーリングを楽しむ。

ちょっと遊びすぎて、時間オーバーになっていた。
そこで、
関東鉄道常総線で、「しもつま」から「こきぬ」まで輪行して、
時間をまう。
とってもローカルだ。
車輌がディーゼルで、たった一両。
運転手さんが、マイクを持って車内アナウンスをしていた。
ドアーには、「整理券」の発行機がある。
要するに、線路の上を走るワンマンバスだ。

同じ関東平野の中にいるのに、随分と遠出をした気分になれた。
同じような路線が、渡良瀬渓谷や千葉県の養老渓谷にもある。
ハワイまで行かなくても、「旅上手」なら、すぐそばでこうして「旅」を堪能できる。
何事も工夫次第だ。

「こきぬ」から自転車で幼稚園まで走って帰った。
幼稚園からは、自転車を車に載せてアパートまで戻った。

一回のツーリングで、「オートサイクリング」と「輪行」を一度にしたのは初めてのことだ。
僕の「サイクリング道」は、こうして磨きをいれているのさ。

目指せ、スペシャル復活サイクリスト!


13/3/28(木)朝 ビデオマンの日記

昨日は、さぎ山野営場をほんの少しだけ整備をした。
ここのところの強風で、落ち葉が新しいサイトに積もっていた。
それをブロアで綺麗にしていたら、
小雨が降ってきた。

それで、
雑用をこなして、
大人しく編集をした。

ビデオ編集について知らない一般の人は、
1時間のビデオは、1時間ぐらいの編集だろうと思っていたりする。

モノにもよるが、
「卒業ビデオアルバム」の編集は、上がりの10〜20倍の時間がかかっていると思う。
一気に編集をしたことがないので、大雑把なところだが。

この「編集」が、料理での「調理」によく似ている。
どう「味付け」をするのかは、編集マンの「ウデ」次第だ。
編集マンの「好み」が出る。

僕の味付けは、
別項の 「構成」「表現」 を基本にしている。

小料理屋が長く存続するためには、
この「基本の味付け」を変えずに、「いつもの味」を提供する事が重要だ。
細かい部部では「改良」しても、「味」は変えない。

それでも、どうしても「味付け」を変えざるを得ないこともあった。
そういうときは、事前に取引先の了解をとった。

「自分の味」をどうだせるのか、
そして、それが見ている人に「うまい」と感じてもらって、
初めて「編集マン」になれるのだろう。

「編集マン」は、機材のオペレーターではないんだな。
この仕事は、
鮮度のいい「撮影」という食材を、どう調理するのか、
ここにこそビデオ屋家業の真髄がある。

機材という「物」では、商売にならない。


13/3/27(水)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、取材テープを引き取りに、
いつも手伝ってくれているカメラマンのところへ行った。
ついでに、そこの付近をサイクリングした。

そこは、埼玉県の嵐山町(らんざん)だ。
和紙で有名な小川町が隣にある。

そこに流れる川に「月川」というのがある。
何年か前に、末っ子にソロキャンプを体験させるために、
その川があるところのキャンプ場を使ったことがある。
そのキャンプ場の真ん中をこの月川が流れていた。

その思い出の川に沿って、そのカメラマンとサイクリングをした。
この川は、「つきかわ」と言うが、
川上では「都幾川」と書いて、川下は「槻川」というふうに書かれてあった。
ややこしい川だ。

自然がタップリ。
栃木県に「太平山」があるが、ここにも「大平山」がある。
「嵐山」という名は、京都(嵐山:あらしやま)のそこから拝借したものらしいと聞いたことがある。

やたらに名称に曰くがあるところだ。

そのカメラマンとは、帰り道の途中で別れた。
その後で、
美術館を見つけて、見学をした。

「原爆の図 丸木美術館」だ。
世界的に画家は、一人仕事だが、
この画家は、夫婦で仕事をしていた。

丸木 位里 1901〜1995年 94才で死去
丸木 俊   1912〜2000年 87才で死去

反原爆、反原発、から反戦、そういう社会派の画家だったようだ。
画風は、ご主人が洋画で奥さんが水彩画、それのコラボということだが、
どうも「かかぁ殿下」の印象を受けた。

モノトーンで、「死」を描いたショッキングなものだった。

浮ついている僕の生き方に、喝が入るものだった。
「自分の死」を真正面から考える時に「生き方」がシャープになるものだ。

分かっちゃいるけど、浮ついた僕の人生・・・・・
サイクリングで遊んでる場合じゃないだろう!
そんな声がするような美術館だった。

すみません、僕は、取材テープを引き取りに行っただけでして・・・・・
と、心の中で言い訳を僕はしていた。

美術館のHPは、

http://www.aya.or.jp/~marukimsn/


サイクリングの旅は、こうして面白い。


13/3/26(火)朝 キャンプじぃじの日記

僕の仕事を手伝ってくれているカメラマンがいる。
彼は、埼玉県の嵐山町に住んでいて、
僕の代わりに取材をしてくれたのだが、
そのときのテープをこれからとりに行く。

そこは、
自然がタップリあるところだ。

そういうことで、彼に案内してもらって、
そこをサイクリングする事になった。
去年の今頃にも、二人で走った。

昨日は、小雨が降ったり止んだりの一日で、
朝から晩まで、仕事をしたから体がウズウズするね。

さてさて、どんな景色がたのしめるかな・・・・・


13/3/25(月)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、貧乏人でお金には余裕がないけど、
こうして「親子で工作」のボランティア活動ができる。

「心の余裕」ということかな。
もしかしたら、最も贅沢な遊びではないか・・・・・・
ふと、そんなことを思ってしまった。

そうしたら、
間違えなく、そうだと考えるようになった。

自分以外の人を思うことが出来る「心の力」というものがある。

僕は、自分の子に、これを鍛えてもらったのだろう。
この間の、その「親子で工作」を楽しんでいった親子の笑顔がとってもよかった。

その笑顔が、
自分の子が腹一杯食べて、満足していた顔にオーバーラップした。

それで、僕の方が幸せさ。
もうこの活動は、8〜9年ぐらい続けたと思うけど、
続けられたのは、これで僕が幸せだからだ。

それで、贅沢な遊びをしていると思ったんだな。
若いお父さんも、
自分の子とタップリと遊ぼう。

デイキャンプは、装備も少なくていいし、お金もそれほどかからない。
と、言うか、お金をかけてはいけない。
これで、子供と一緒にたくさん遊ぼう。

小学校一年生から、四年生までは、
タップリ、父親自身で子供と遊ぼう。
デイキャンプで、
子供と一緒にカレーでも作って、親子で食べてみよう。

小学校一年生から、四年生までは、
子供に何かの技能を身につけさせるより、
お父さん自身で遊んでもらった思い出をたくさん子供に作ってあげよう。

このことで、若いお父さん自身が自分以外の人を思う心が鍛えられるさ。
父親が育つのさ。

父親の心が育った分、子供の心も育つものだ。
心は、一生涯育ち続けるもの。
だからこうして、子育てを意識して子供とたくさん遊ぼう。

僕の四人の男の子が、僕から離れていった今、
つくづく、こう思うんだ。

小学校一年生から四年生までは、子供とたくさん遊ぼう。
それが本物の幸せさ。


13/3/24(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

3/23(土) 「親子で工作」のボランティア活動実施

ちょっと冷たい北風だったけど、日差しがあって、
アウトドアーの遊びにはちょうどいい感じの気候だった。

しかし、給料前だからか、花見に客足を取られたか、
道満グリーンパークには、親子連れがまばらだった。

駐車場も、スカスカ。
「今日は、ボーズかな・・・」
そんなつもりでいたら、ばぁばの営業努力が実って、
ちょうどいい組数の親子が来た。

子供がだいたい8〜9人ぐらい。
お父さんが、4人ぐらい。
ママが同じく4人ぐらい。

それでなぜか、小学校一年生の子が多かった。
しかも、「竹とんぼ」の需要が多かった。
さらに、それを作りたい子がバラバラに来た。

「竹とんぼ」は、いくつかの行程があって、
ナイフに慣れていない親子には、それぞれの行程での説明を細かくしなければならない。

こっちでは、最終仕上げ、
あっちでは、最初の穴あけ、
そっちでは、中間の削り・・・・
不用意に工具を子供がいじらないように片付けながら大忙しになった。

ばぁばは、いつものとおり、ドングリを使った工作を教えた。
これは、女の子に人気がある。

今回から全員に「木のメダル」を子供にプレゼントした。
この間、椅子を30脚作るのに買った電動ノコギリがあるので、
「木のメダル」の大量生産が可能となったので、実現した。

「木のメダル」には、予め「親子で工作・参加記念」と書いて、
裏側にこのHPのアドレスをシールで貼った。
そこに、
工作が出来てから、親にそのメダルに「日付」と「子供の名前」を書いてもらう。

僕は、このメダルを思いっきり大げさに表彰して子供にあげてください。
と、親にお願いをした。

親子で工作をすること、
親に表彰してもらえること、
子供にとって、一番幸せなことでしょう。

この「木のメダル」でリピーターも期待が出来るようになれるかも知れない。
今までにない活動の「工夫」だ。


13/3/23(土)朝 キャンプじぃじの日記


今日は、これから

「親子で工作」

のボランティア活動を戸田市の道満グリーンパクで行います。

お近くの方は、ぜひ親子で来てください!!

今回から、参加をした子供全員に「木のメダル」をプレゼントします。


13/3/22(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の読売、朝刊。 デカデカと一面に

「モノ欲しがらぬ若者」

という記事が出た。
多いに結構。 僕はとっても嬉しくなった。
若い人たちの「生きる感覚」は、
僕が想像するよりも、はるかに素晴らしい。

しかも、単に消費が鈍いということではなく、
自分の人生で「何が重要か」を意識して、そこにはお金を使う傾向があるそうだ。

まだまだごく限られた人たちとは言え「シェア・ハウス」も注目されているという。
これは、テレビでやっていた。

いいぞ、いいぞ、
「消費」で頭がいっぱいではなく、
自分の人生で何か「成長」に結びつくものに夢中になれる生き方。

もうあと10年もすれば、
「豪華な物」で虚勢を張るのが「恥ずかしい」ことになりそうだ。

おおいに結構。

そうだ! その調子で自分の人生を真剣に考えて、行動して、
そして、自分らしく人生を造っていけばいいんだ。

自分で本当にやりたい仕事・・・・・・
これを真剣に考えたら、「一生涯安泰」という発想はなくなるだろう。
そうすれば、自ずと「ブラック企業」に引っ掛ることはない。

ひどいね、この「ブラック企業」は。

あと10年もすれば、
ここの書き込みは、普通の「考え方」になりそうだ。

そうだ、「モノ」ではないぞ。 「生き方」にこだわろう。
せっかく生きているのだから・・・・・


13/3/21(木)朝 ビデオマンの日記

今日、そのナレーションをとって、H24年度の取材がすべて終わる。

「卒業ビデオアルバム」の最初の一件は、
編集し終わって園の見本用を昨日、送った。
これから別の編集が、健康盛にある。

来る日も、来る日も、編集三昧だ。

遊びで、サイクリングのスライドショーを作るのは、
面白くてサッサとやったけど、
なぜ、ビデオの編集では、「プチうつ」になるんだろうか・・・・・

子供がいたときには、こんなことはなかったけど、
とうとう「怠け病」なのだろうか・・・・・

でも、去年いいことを思い付いたんだ。
それは、
編集する前に、自転車に乗って発散させる。
それから、編集をすれば、大人しく仕事が出来るようになることだ。

これのヒントは、
昔、カブスカウトのリーダーをやったときに見つけた。

BSでは、集会の始まりと終わりに「セレモニー」と称した儀式を行う。
これは、子供の心に「メリハリ」をつけさせるためにするのだが、
最初、なかなかそのときに歌を大きな声で子供たちが歌おうとしなかった。

そこで、
集会前に、全員集まったところで30分間、
子供たちが好きなゲームをやらせた。
たいがい「氷鬼」をやっていた。

それから、セレモニーをしたら、
面白いように、ビッシっと歌を歌うようになった。

それで、集会の内容を一所懸命に取り組むようにもなった。

こういう僕の体験から、
仕事の編集前に自転車に乗ると、同じような効果があることが分かったのさ。

人生、何事も工夫次第さ。
「デザインする」ということも、この「工夫」の積み重ねだ。

「一生涯安泰」ではなくて
「人生をデザインする」ことができる人が、カメラマンで食っていけるだろう。

カメラマンだけではない。
どんな職業でも、「工夫を積み重ねる」ことができる人が、
人生を面白く仕上げることが出来るのさ。

消費で頭がいっぱいの人は、この「工夫」ができないものだ。
「買って済ませる」ことしか思いつかない様子だ。

だから、
「消費」ではなく「成長」を目指すことは、
ビデオ屋をやっていく上で必須なんだな。


13/3/20(水)朝 キャンプじぃじの日記

終わった、平成24年度の取材は、
ナレーションを一件を除いてすべての取材が終わった。

一年が、アッという間に終わった。
完全に子供がいない初めての一年、本当に軽く終わった。

子供がいるという負担がいかに大きかったのかがよく分かる。
子供を肩車していて、
子供を降ろした直後の、あの、フワッとした感じのようだ。

でも・・・・・
子供がいないといかに寂しいかもよく分かった。

なんでも、末っ子の四番目の子が二番目の子にバイクを譲るために、
今日、昼間に帰って来るそうだ。
ついでに「オヤジに昼飯をご馳走になる」と、
昨日、ばぁばに電話があった。

僕の子は、四人とも男の子なので、
僕に直接電話をしてくることはない。
反抗期の余韻のようだ。

ばぁばは、その電話で
「いつも、急に言ってくるんだから・・・
  おかぁさんは、仕事でいないけど、お父さんはいる・・・」
と訴えていた。
子供に会えるのが人生で一番嬉しいことのようだ。
でも、残念でした。

貧乏人でも、こうして本物の「幸せ」を得ているのさ。

台風一過の秋晴れ・・・・
そんな感じののびのびした人生だ。

若いお父さん、
子育てを真剣に取り組もうな。
金を払って他人任せの子育てでは、こうならないよ。

なぜって?
それは、父親が、父親として育たないからだ。


13/3/19(火)朝 キャンプじぃじの日記

もうPCのトラブルは、手を焼いてしょうがない。
DVDにするのに、データ量を計算するのだけど、
オーサリングソフトの
タイムラインに映像を乗せたところ、3GBしかないということが起こった。

それで、拡張子変換をやり直しても、同じだ。
おかしい。

いよいよ変だと思って、その映像があるファイルを開いて直接それのプロパティで調べたら、
ちゃんと3.9GBあった。

オーサリングソフトの調子が何かおかしいことが分かった。
ただ、これだけのことで、
この忙しい時期に一日を費やした。

PCのトラブルは、一度起きると、そこから仕事再開まで、
当たり前のように、一日、二日、とかかる。
それで忙しい時を目指して、PCがダダをこねるんだな。

まるで反抗期の子供みたいだ。

今朝は、ここに5時前に書き込んでいる。
今日は、最後の卒園式の撮影だ。
これで一段落だ。

早くサイクリングした〜〜〜い。
お終い。


13/3/18(月)朝 キャンプじぃじの日記

本当は、今日、料理教室なのだが、卒園式を撮らなければならないのでお休みだ。

その教室で出している豆腐料理のレシピ本が気に入っている。
「とろろとうふ ゆず風味」
「とうふのおろし煮」
「とうふとわかめのぬた」
「だいこんととうふの炒め煮」
「さいころめんたい」
「けんちん汁」
「コチュだれどうふ」
「とうふのみそ漬け」
「とうふのもつ煮込み」
を作った。

これの効果が、ばぁばにも出ている。
子供がいなくてばぁばと二人暮らしだが、
地獄のような人生になるのだろうかと思っていた。

それが、思っていたほどでもない。

僕の調理に触発されて、
むしろ今までよりも熱心に飯を作るようになったからだ。

昨日は、うつ病の古い友人と、大家のおばぁちゃん、僕とばぁばで夕食を、
いつものように囲んだが、
「イカの塩辛」「ポテトサラダ」が手作りだった。
これは、手作りでないとうまくない。

韓国の、何て言ったっけ、え〜〜思い出せない・・・
要するに、韓国のお好み焼きをばぁばが作ってくれた。
友人とおばぁちゃんに大うけだった。

年寄りばっかりが集まっても、こうして心豊かなひと時が実現するのさ。
人生、何事も工夫次第だ。
「物の豊かさ」がイコール、「幸せ」という生き方が浸透したと思えるが、
「物」で幸せには、決してならない。

気心の知れた「人」との関係で夕食を囲む

最高さ。

若いお父さん、
ご自分の小さい子と遊ぶ、夕食を囲む、このことこそが、本物の「幸せ」さ。
そして、親の本物の「愛」が、子供を自立に向けて子育てをするものだ。

だから、金を払って子育てを他人任せにするのは、良くないよな。


13/3/17(日)朝 キャンプじぃじの日記

僕はカトリック信者ではないけど、
今度の法王は、人柄のいい人みたいだ。

「貧しい人々のための質素なカトリック教会にしたいと強く望んでいる」
のだそうだ。
今朝の新聞に載っていた。
マザーテレサを思い出すな。

キリストは、金持ちや、宮できらびやかに過ごす人たちのためにいるわけではない。
「重荷を背負っている」人を休ませるためにいる。

ぜひ、それが下々まで浸透して、
よくそれが分かるようになれば素晴らしい。
宗教指導者の模範になって欲しいな。

貧乏人の僕にとって、とっても希望のある記事を読んだ。
さて、今日も仕事を頑張ろう。


13/3/16(土)朝 キャンプじぃじの日記

「卒業ビデオアルバム」の一件を編集で上げるために、
今日は、缶詰だ。

明日、明後日、明々後日、と卒園式を撮る。
ここのところ仕事三昧だな。

仕事の合間に、

「ブラック企業」 今野 晴貴 著 文春新書 770円

を読んでいる。
ついこの間、ここに「もはや企業の利益は、社員に還元されない」
と書き込んだが、
本当に、そういう会社が実在するらしい。

製造業などの古い会社は、昔の日本の「終身雇用」の体質が残っているとも書かれてある。
でも、
世界経済の中で、いつまでもそれが持続できるかどうかは、未知数だろ。

「個人」がシッカリと「自立」をすることで、
「自分の身は自分で守る」
という生きる術を身に付けなければ、これからの時代を生き残ることは出来ない、
こういうことではないのかな?

僕は、ビデオ屋を個人事業でもう30年近くやってきたが、
今の日本の現実社会を泳ぐようにして生きてきた。
当然、そこにはサラリーマンではあり得ない厳しさがある。

いつでも、「食べられなくなる」という危険と一緒に生きてきた。
野生動物と同じだ。
でも、その分、自由がある。

これからは、サラリーマンと言えども、
僕と同じ環境になりつつある、ということなのではないかね?

ならば、その「ブラック企業」にへばりつくのではなく、
自立し、自分の仕事を、個人事業を、初めから目指したほうがよっぽどもいいんじゃないかね。

そのために、今の会社で「スキル・アップ」を目指す・・・・・

僕が、今の商売を立ち上げていく上で、
最初は、零細のビデオ屋さんにギャラ仕事を貰って食い繋いでいた。
そして、ほぼ一年おきに付き合うビデオ屋を渡り歩いた。

そして、
そのギャラで喜んでいたわけではなく、
それらのビデオ屋さんから、いろいろな技術を、たくさんのノウハウを

「盗み取った」

のさ。
包丁一本で、小料理屋を渡り歩いて、「ウデを身に付ける」のと同じことをした。
その感覚があれば、
たとえサラリーマンでも、ブラック企業にいても、

「生き延びる術」

を身に付けて、堂々と生きていけるんじゃないのかね?
要するに、ここでも

「 自 立 」

がキーワードさ。

「消費」で頭がいっぱいの人には、「成長」がない。
ぜひ、「成長」を目指して、自立し、生き延びよう。

その真剣な生き方を子供が見て、覚える。


13/3/15(金)朝 キャンプじぃじの日記

とうとう今日は、卒園式だ。
一年が終わった。

早い、早すぎる。

子供がいなくなった今、一週間が瞬時に終わる感覚になってしまった。

「自分が欲しい」という幼い欲求ではなく、
子供ができて、「子供に何が何でも腹一杯喰わせなくっちゃ」という切羽詰った僕の欲求を満たすために、
僕は、必死に働いた。

それこそが、僕の潜在能力(火事場のクソ力)を高めさせてくれた。
それで、今の商売を立ち上げ、持続する事ができた。

何という不思議な充実感なんでしょうか、
何という不思議な幸福感なんでしょうか・・・・・
それで今、やたらに時間が早く過ぎていく・・・・・

自分の欲望を追い求めた人が失い、
自分以外の人(自分の子供)の生き方を真剣に案じているうちに、

そういうお祈りをしているうちに、

かえって、自分が幸せになってしまう・・・・・

自分の子の成長を祈れる恵みに心から感謝せざるを得ない。

自分以外(自分の子)のために精一杯生きてこられて、感謝だ。

自分のことだけで精一杯、の人生ではなくて、本当に感謝だ。

これこそが、ビックリ仰天する恵み・・・アメイジンググレイスだ。

さぁ、若いお父さん、
子供と一緒に大自然の厳しさ、美しさの只中で本物の人生を親子で築いてみよう!

「一生涯安泰」ではなくて「人生の感動」を子供と一緒に体験しよう!
本物の幸せが分かってくるさ。

もうぼちぼち、
「物を得る喜び」から解放されて本物の「幸せ」を子供と一緒に味わおう!


13/3/14(木)朝 ビデオマンの日記

僕は、28才のときに脱サラをして、今の商売を目指した。
そのときに、知り合いに「自己啓発セミナー」を受けるように勧められた。

僕は、それまで営業の仕事をしていたが、
先輩に教わったり、自己流だったりしていたところがあった。
それに気付かされた。

そのときの例え話を今でもハッキリ覚えている。

理科の実験用ビーカーに水を入れて、
そこにカエルも入れる。
少しずつバーナーで温める。

カエルは、いつでもそこから逃げ出すことが出来るようにしてある。
しかし、ついに水が沸騰するまでカエルは、ビーカーの中にいた。

これは、「ぬるま湯」に浸かっている人生の「緩さ」を表現している。
僕は、このことを「快適病」と名付けた。

いくら機材があっても、撮影技術がどれほど優秀でも、
商売の「心構え」がしっかりしていなければ、
決して商売を立ち上げたり、持続したりすることができない。

このことを真剣に学びたかったら、
同じように「自己啓発セミナー」を受ければいい。
そして、
商工会議所の「販売士」を学べばいい。
僕は、実行をした。


田舎の国の話し。
病院の二階には、寝たきりの患者ばかりがいた。
そこに木の枝を伝わって、コブラが窓から入り込んだ。
患者、全員、走って逃げたという。

もう一つ、
マンションの5階だか、6階のベランダから母親の赤ちゃんが落ちてきた。
母親は、マンションの下にいて、
落ちてくるその赤ちゃんをシッカリ両手で受け止めて助けたそうだ。
そのときの衝撃は、確か、何百キロの重たさになるという。

この二つの例え話は、
「火事場のクソ力」を表している。

今の生活ぶりの「ぬるま湯」にまず気付くこと。

商売を立ち上げていく上で、
「潜在能力」に気付き、「命がけ」の行動がとれること。

「成功」は、この上で成り立っている。

そして、目を見張るほどの「成長」は、
この条件で「感動」が巻き起こる。

僕は、そのセミナーを受けて、
素直に実行してみたら、いつの間にか、
この商売を目指しだして、もうすぐ30年近くになってしまった。

「志」を明確にし、紙に大きくそれを書き込んで、
毎日、それを見てブレないようにする。
僕は、それを描いたポスターを今でも飾っている。

こうして、僕は、命がけで「営業」をし、
「制作技術」を身に付け、
「卒業ビデオアルバム」という商品を開発し、商品化をした。

「大金持ち」という成功はしなかったが、
だからこそ、逆に「面白い人生」「本当の自由」を得ることに成功した。


そういう僕も、子供がいなくなり、
スッカリ「ぬるま湯」になってきた。
また申込用紙を作って幼稚園へ届けることを忘れていた。
大ボケだ。

気付いたのが昨日の朝。
昨日中に届ければ、間に合うという間一髪のボケをやった。

それで、届ける時間には制約がなかったので、
もちろん、自転車で持って行った。
せっかくだから、
「綾瀬川」沿いに走ってみたくなった。
まだ、一度もこれをやったことがなかったからだ。

大自然とはいかないが、人工の構造物と車だらけの道を行くよりは、
よっぽどもマシだった。
綾瀬川は、ついに荒川に沿って流れているところまで行った。

二つの川が隣接している意味とは何だろうか?
不思議な光景だった。
しばらく行くと、「海まで10キロ」と標識がでてきた。

強烈な風さえなければ、誘われるまま行ってしまっただろう。
でも、申込用紙を届けなければならないことを思い出して、
「三つ目通り」を日本橋に向かって走った。

言問橋を渡って、左手にアサヒビールが見えてくる。
通称「ウンコビル」だ。
僕は人生でたくさんの「スーパードライ」を呑んだ。
あのビルの柱の一本は、僕が建てたんだ。

サラリーマンだったころ、そのビルになる前のビアホールで友だちとよく生ビールを呑んだものだ。
大ジョッキは、1.1gのビールが入っていた。
たいがい二杯で酔っ払った。

懐かしい吾妻橋を見て、春日通を越える。
蔵前橋通りで昭和通りに出る。
靖国通りに向かうと、
そこに神田川がある。

昔、流行った「神田川」を口すさんで、
この間とは逆に、神田川沿いに目的地へ向かう。
秋葉原を過ぎて、御茶ノ水、飯田橋・・・・・
明治通り、山手通り、環七、方南通り、を越えた。

そこで、神田川から善福寺川にでる。
しかし、護岸工事で最初のところは走れなかった。
途中から川沿いに走れる。
ここは本当に美しい。 とても都内とは思えない自然がたっぷりとある。

こうして、無事、申込用紙を届けた。
ちゃんと仕事をした。

帰りは、大人しく一般道の環七で帰った。
総走行距離は、90`だった。
この間、トリップメーターを付けたので、正確だ。

夜には調理実習をした。

ところで、このコーナーは、何の話だったっけ?

アッ、そうだ、

「本物の自由」は、「自立」と「自己責任」の上で成り立つ。


13/3/13(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、「銀だら」の味噌漬けを焼いた。

もう3〜4日、味噌漬けにしていたので、
赤みその味がタップリ染みていた。

そして、ただでさえ油がすごい銀だらが、
さらにその油が濃くなっていた。

ビールのつまみに最高だ。

料理教室は、この4月で一年になる。
「手打ち麺」のコースもあるらしい。

とっても興味があるけど、
今の「和食基本コース」では、
復習をあまりやらなかったので、中途半端だ。
そこで、
もう一年、留年することにした。
昨日、授業料を振り込んで、申し込みをした。

キャンプ用品を使って、「和食」を作る。
だいぶ慣れてきた。
そして、
使ったコッヘルや、計量スプーンなど、
いかに早く洗うことが出来るのか、
これが上達のための秘訣らしいことも分かってきた。

「キャンプじぃじ」が今まで最も苦手だった「調理」は、
少しずつ上達しているよ。

若いお父さんも、
父親ならではの「子育て」の基本を学んで上達しよう。

その基本中の基本は、こうさ。

子供が20才では、「成人」に育てること。

「自立をした一人の大人の社会人」を目指して子育てをするのさ。

そのために、いろいろな「教育」がある。
「大学さえ出せば子育てをした つ も り 」の子育ては、
「教育」が目的化をしてしまっているよ。
本末転倒。
このことに早く気付いて、

子供を自立させることをシッカリと目標に持とう。


13/3/12(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、さぎ山野営場での新しいサイトで仕事をした。

新しいサイトでは、「竹ハウス」や薪割り場、倉庫など、
全部のものが出来上がったが、
まだボーイスカウトの資材が整理できていない。

SCCの倉庫や「竹ハウス」にまだそれらが積み込まれている。
資材が整理されれば、キャンプが可能となる。

それは、僕が勝手にできないので、
違う作業を始めた。

それは、道路からサイトまでの「道」だ。
簡単ではない。
道路からサイトまでだいたい5〜6メーターほどの高低差がある。

だから斜面に九十九折に「道」を開墾し始めた。
細めの木をチェーンソーで倒して、
根切り用の斧で、根っこを掘りまくった。
そして、特に急なところを整地した。

この作業は、何日も掛かりそうだ。

何かを作る面白さというものがある。
面白いんだけどね、キャンプ・サイト作り。
それにしても結構な肉体労働だ。

本当にでかいおもちゃだ、これ。


13/3/11(月)朝 キャンプじぃじの日記

大震災からまる2年。

僕には想像できない厳しさが、今もあるという。
でも、それを乗り越えようとしている人々もたくさんいるらしい。

そのたくさんの人々から、
必ず「強く生きる」生き方を教えられる人が現れるだろう。

些細なことで、不平不満を抱く「生きていくのに条件の多い人」は、
そういう「強く生きる」ことができる人に人生を学び直すチャンスが訪れるだろう。

その「強く生きる」ことができる人は、
たぶん、今、まだ子供さ。
僕も、その子たちが大きくなったら、彼らに学ばさせてもらおう。
そういう目には見えない大いなる宝を、きっと、被災地の人たちが握り締めるさ。

きっといつか、本物の幸せを掴み取るさ。

「幸せは、それを感じ取る能力」

人生は、生きている限り、こうして成長するところに感動が起こるのさ。
きっといつかは、「強く生きる」ことを教えてくれる人が現れる。

きっといつかは、そこから子供たちに「強く生きる」ことを教える父親が現れる。


13/3/10(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、ここに書き込むのを忘れてしまった。

年度内納品をする仕事が、金曜日の内に仕上がったので、
昨日は、サイクリングに出た。

「輪行の面白さ」と題して、
僕の輪行のドキュメンタリー写真をスライド・ショーにした。
それは、2タイトル出来た。

今度は、「オート・サイクリングの面白さ」というのを作りたくなった。

「オート・サイクリング」は、
自転車を車に積んで、目的地まで車で移動し、
そこで、おいしいところだけサイクリングする事だ。

「輪行」と「オート・サイクリング」は、
どちらも全部走らないで、いいとこ取りのサイクリングだ。

それらの違いは、
「輪行」は、電車の駅があるところ、という制約がある。
でも、どこの駅でもいいという自由がある。

「オート・サイクリング」は、駐車場さえあれば、
好きなところまで行ける自由さがある。
その反面、必ず車まで戻らなければならないということになる。

後者は、もし万一、迷子になって車まで戻れないと大変なことになる。
過去に何回か、それを体験した。

さて、
昨日は、鎌倉・江ノ島、方面へオートサイクリングをした。
これのスライド・ショーを作る目的で、バシバシ写真を撮った。

ついでに、ばぁばも連れて行った。

出演者としては、ちょっと難があるけど、
タダで作らなければならないので、しょうがない。
そういう意味では、僕自身もとても魅力的なタレントとは言えない。

この二人が登場するスライド・ショーだ。
よほど「絵」が面白くなければ、誰も見てもらえないという訳で、
気合を入れて写真を撮った。

どういうツーリングだったかは、
長くなるのでここでは、端折る。
写真は、100枚ぐらいも撮った。
興味のある読者の方は、スライド・ショーのDVDを差し上げるから連絡をしてください。

春を通り越して、夏の暑さを感じる海岸線。
江ノ電。
ジャンク。
人ごみ。

これから、「オート・サイクリングの面白さ」の第一作を作りたいのでお終い。

何か作るのは、ワクワクするね。

帰り際、最近知り合ったカメラマンから電話があった。
「谷口さん、お誕生日、おめでとう」と彼が言う。
そうだった、9日は、僕のバースディだった。

昔、子供がいたところは、子供がケーキを食べたいので、
僕の誕生日を喜んでいたことがある。

子供がいなくなった今、スッカリ誕生日を忘れていた。

昨日の夜は、そういうことで、彼にタップリ酒を呑ませたさ。
おかげで、また呑み過ぎ・・・・・
頭がフラフラ・・・・・
プレゼントに、僕の家族の集合写真をB3の大きさにして額縁まで付けてたものを貰った。

今夜は、この写真とスライド・ショーで宴会だ。


13/3/8(金)朝 復活サイクリストの日記

ちょっとした手配ミスだ。
今、
年度内納品に向けて一所懸命に仕事の処理をしているが、
それの材料になるコピーガード用のDVDの在庫切れを起こしてしまった。

慌ててそれを発注したけど、
それが手元に届いたのは、昨日の夜になった。

そういうことで、昨日は、処理をしたくても何も出来ない状態になった。
そこに、一本の電話が入る。

卒園式を単体で撮って販売する仕事があるのだが、
それの申込用紙を作るのを忘れていて、
催促の電話だった。
超特急で申込用紙を印刷して届けなければならない。

僕は、ここにこう書き込んでいる。

「生きる条件が多い人は、結局、不自由な人生を送る。

  大切なのは、その条件の中で工夫して人生を面白く作り上げることだ。」

僕は、口先で言うだけではない。 実践者だ。
急ぎたい仕事は、物理的に出来ない。
別件は、急いで処理が出来る。

それで、申込用紙はかさばらない。
ここがとっても重要なポイントだ。

ゆえに、自転車で持って行く・・・・・・
ね、こうして人生を「工夫」するのさ。

僕は昨日の朝、9時には、北東約15`ぐらい離れた取引先を目指して、
ペダルを踏み出した。

申込用紙は、何の問題もなく届けることが出来た。
問題なのは、そこから歩いて江戸川に出られるところだったことだ。

昨日は、天気もいいし、春の暖かさでなんとなくウキウキするし、
風もなく穏やかだし・・・・・・
アパートに戻っても仕事は出来ないし・・・・・・

僕は、歩いて江戸川に出るのではなく、
大自然に誘われるまま自転車でそこに行ってしまった。
ほとんど、「考える」ことなしに、
土手に出る前にスーパーで買い物をしていた。

朝の10時過ぎ、小腹がすいていた。
それで、オニギリを買いたかった。
それをスーパーで物色している内に、うまそうな「おいなりさん」を見つける。

カゴに入っていたオニギリを返品し、
その「おいなりさん」三つ入りを買った。

千葉県側の野田橋から土手を自転車で南下し走っていくと、
左手に「キッコウマン」が見えてくる。
僕の大好きな醤油の工場だ。

それを過ぎたところで、おいなりさんを食べたね。 最高。
広々とした風景、心地いいそよ風、
時間が、ゆっくり動いている。

そういう中で食べるおいなりさん。
完璧に僕の脳みそは、ツーリング・モードになった。

しょうがない、我慢が出来ないもう一人の「僕」の欲求を満たすべく、
と、言っても、帰っても仕事が出来ないんだから、
判断は、間違っていない、そのままサイクリングした。

僕は、「その条件の中で人生を工夫する」を実践した。

江戸川の土手は、子供たちとたくさんサイクリングしたところだ。
思い出が詰まっている。

しばらく行くと、右手に江戸川、左手に運河が出てくる。
その運河を行く。

運河沿いに公園がある。
近くには、東京理科大学や霊波の光という新興宗教の本山がある。

僕は、その運河に掛かっている小さな浮き橋で、自転車を押して渡った。
子供たちとの思い出が一気に噴き出した。
涙が出そうになった。

気持ちを取り直して、
また江戸川の土手を走る。
そこ、ここで、土手に生えている山菜摘みをしている人がいた。
放射能は、大丈夫なのかねぇ?

暖かいけど、ヒバリはまだ鳴いていない。
子供たちと一緒に走ったのとは、逆周りのコースを一周して帰った。

いよいよ、サイクリングのトップシーズンだ。

今朝は、昨日の夜に届いたDVDをコピーしているさ。
しかし!、今度は、
このDVDに盤面印刷するプリンターのインク切れを起こした・・・・・・

電気屋さんが開く、10時半までは、盤面印刷ができない・・・・

ダメだ、こりゃ。


13/3/7(木)朝 ビデオマンの日記

個人事業のビデオ屋で大概の人が苦手なのが「営業」だろう。
商売上の戦略をあまり大ピラにできないけど、
今朝は、この「営業」について考える。

「営業現場を動画で見る」

これは、実際に僕が「飛び込み営業」をしたときの映像だ。
実際にこのときに、一件の顧客ができて、取引をした。
ただ、
どうしても取材が重なってしまって、こちらから取引をお断りせざるを得なくなった。

商売の難しさは、こういうところにある。

そこで、今回、売り上がらない取引先を整理し、
そこで、新規開拓をする事にしたわけだ。
これは、僕の商売上の戦略になる。

時期は、機材を揃えてからにするつもりだったが、
前倒しにする事にした。
こう計画するところは、「戦術」に当たる。

商売を「理念」「戦略」「戦術」で捉えること、
これが、実は、「営業」に当たる。

動画でのものは、「営業」の一部だ。
まずこのことを知って欲しい。

個人事業と言えども、
必ずそこには、「理念・戦略・戦術」をハッキリと明文化をする。
そのことによって、ブレることなくその商売の目標を達成させることが出来るわけだ。

「何でもビデオでお撮りします」
こういう商売感覚は、早晩、行き詰まりやすい。
まずこの「青写真」をシッカリ志として持つこと、
これが出来て次に進むことが出来る。

大局的な「営業」の学びは、上記の通りだ。
これを真剣に学びたかったら、
商工会議所の「販売士」を受講すればいい。

機材という「物」で喜んでいるレベルでは、いつまで経っても商売を立ち上げることはできない。

さて、その学びの中の「戦術」での「営業」とは・・・・・

まずは、顧客を獲得しなければ、まったく商売にならない。
そこで「新規開拓」で取引先を得る。
その代表的なものが、動画での「飛び込み営業」になる。

その他に「紹介」で新規開拓する手法もある。

どちらも、「取引」にまで結び付けさせるためのグッズが必要だ。
それが、「広告」だったり「販売促進物」だったり、
こういうものを準備する。
実は、これも「営業」行為なんだな。

それで、自分のお客さんが出来たとする。
そして、取引が始まる。

この時に「打ち合わせ」「準備」「撮影」「納品」「アフターサービス」
という流れがあるが、
これらすべて「営業」なんだ。

つまり、見込み客と接するところは、全部「営業」ということになる。

そこには「営業トーク」といったテクニックがあるし、
「根回し」という段取りもある。
非常に多岐にわたるわけだ。

だから、「商売」の全般を「体験」で身に付けなければならないものがたくさんある。
「撮影技術」だけでは、商売にはならない。

僕は、この「営業」をサラリーマンのときに学ぶことが出来た。
それで、今の商売を立ち上げることができて、
それを「継続」することも出来た。

真剣に、命がけで、学んで初めて「成功」する。

真剣に、命がけで、実行できて「成功」する。

人生の感動は、だから「成長」にあるのさ。


13/3/6(水)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、「卒業ビデオアルバム」用の遠足の取材をした。
完全に仕事だ。
ただ、移動手段が自転車だっただけのこと・・・・・

幼稚園の子供たちは、電車で「井の頭公園駅」まで来る。
そこから公園の中を歩くわけだが、
ビデオ屋は、そこで全員を撮るのが仕事だ。

駅には、10時を少し過ぎたころに子供たちが来る予定だ。
だから、それに合わせてそこに僕は着いていなければならない。

この公園は、南北に細長くある。
それで、歩いて行った先の最寄の駅は、「吉祥寺駅」だ。
そこで、その「吉祥寺駅」に自転車を置いて、戻るようにして「井の頭公園駅」に張り付くことにした。

時間に制約があるので、
行きは、一般道を自転車で走った。
都内は、息苦しい。
空気が汚いだけではなく、自然がなくて人工物のビルなどばかりだからだ。

だから、楽しむサイクリングでは、間違っても都内に行かない。
仕事だから、しょうがない。
うるさい車と戦うようにしながら、
昭和通を行き、外堀通り、方南通り、井の頭通り、
それで目的地の「吉祥寺駅」に行った。

だいたい、「見沼代用水路コース」一周と同じぐらいの距離だ。
40〜50`。

走り初めに、朝早くジョギングしている親子に出会った。
お父さんと小学校2〜3年生の男の子だ。
たぶん、「家庭教育」として、お父さんがしているのだろう。
とってもいいパパだね。

たぶん、子供が自立した頃に分かるだろうけど、
そうして、子供と一緒にジョギングをした思い出が、一番幸せだったことに気付くだろう。

「子供と遊んであげたつもり」
だったのが、
「子供に遊んでもらっていた」ことに気付くはずだ。
そして、それがとっても幸せだったことが分かるさ。

本当にいいパパだ。 その幸せのお裾分けをいただいて、
僕も気分上々。

防衛省の前に着くと、そのゲートのところで、
民間の警備会社の人が、軍隊を守っていた。
不思議な光景だった。

しばらく行くと、今度は、パパが自転車の前、後ろに子供を乗せて、
さらにもう一人の子をおぶって、走っていた。
4人乗りの自転車。 まるでサーカスだ。
昔、うちのばぁばもやっていた。

頑張れ! 父ちゃん! 僕は笑みでエールを送った。

そうして、「吉祥寺駅」に着いて、そこの駐輪場に自転車を預けて、
徒歩で「井の頭駅」に向かう。

自転車は、たった100円で預かってくれた。
そういうことで、すでに満車だったところを、自転車を少しずつずらすようにして、
僕の一台分を空けてもらった。

「井の頭駅」には、9時半に着いた。 予想通り。
若干、早めに着くというベストな仕事ぶりだ。
それで、駅前の喫茶店で休んだ。

あとは、いつもの通り、淡々と仕事をこなした。
昨日は、とってもいい天気だった。
子供たちに混じって、僕もピクニック気分だ。
仕事だけど、遊んでいるみたい・・・・・・

自分の子供が自立をしていないから、
余計に、こうして子供たちと一緒に公園で過ごすのが楽しい、いや幸せに近い。

子供たちに混じっておにぎりのお弁当を食べて、
僕は、取材終了を先生に告げて、仕事が終わった。

後は、僕はフリーだ。
せっかくだから、「神田川」に沿って帰ることにした。
前日に地図で調べて初めて分かったのだが、
「神田川」の基点が、そこ「井の頭公園」だった。

ところどころ、都内であることを忘れさせるいいロケーションで最高!
なぜ、いままでこれに気付かなかったのか・・・・・
もう20年以上の取引をしてきて、知らなかった・・・・・

近くに「善福寺川」が流れている。
これは、よく知っている。
それほど距離がないので、自転車より徒歩でそこにある「善福寺川公園」を楽しむのがいい。

それで、神田川にその善福寺川が合流した。
そこらへんから、自然が少なくなり、人工の構造物が目立ち始める。
それでも、ところどころに、ツーリングの雰囲気を出してくれる風景があった。

ただ、車止めのポール、
これが、ヘアピンに曲がって、自転車が通るようになっているのがやたらにあって、
とっても、邪魔だった。

いくつか馴染みの道路を横断した。
方南通り、環七、山手通り、明治通り、
ところどころで、川沿いに走れなくて迂回をした。
それでも、しつこくまた神田川を見付けては、それに沿って走った。

いつしか僕は、昔、流行ったフォークソング「神田川」を口ずさんでいた。
天気はいいし、春らしく暖かいし、都内の割りに景色もいいし、
とても仕事をしたとは思えない雰囲気だった。

でも、本当に昨日は仕事をした。

秋葉原で「神田川」に別れを告げて、昭和通を北上した。


13/3/5(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、いつもの銭湯が休みだったので、
越谷の天然温泉「ゆの華」に行った。

聞いた話しだが、
こうしてユッタリ、湯に浸かって体を温めるのはいいそうだ。
僕は、高校を卒業して、
自立を果たしてからは、ずっと銭湯に浸かっているので分からないけど、
何か体にいいとか。

そういうことで、ますます湯船でユッタリした。
たいがい30分は、露天風呂に入っている。

それで、骨までとろけそうな気分で帰ろうとしたときに、
玄関で、これから入ろうとする親子に出会った。

小さな女の子、二歳半ぐらいの子、三人とそのママ。
良く見ると、その女の子達の顔がよく似ている・・・・・・・

僕はビックリして思わずこう言った。
「・・・・まさかの三つ子ちゃん?」
ママ、言われ慣れしているのか、「そうです」と冷静に言う。

三つ子・・・・
三人の子が玄関でじゃれあっている。
昔、僕にも四人の男の子がいて、じゃれあっていたが、年齢はそれぞれ違っていた。

無意識の内に、
いきなり、三人の女の子をどうやって育てるんだろうと僕は、考えていた。
別に僕が育てるわけではないけど、
頭の中で「どうやって育てるんだ?」と訴えている僕がいた。

どうやって、三人の女の子の体を洗い、頭をシャンプーするんだ?
どうやって、子供の手を握るんだ?
親の両手は二本しかない。

どうやって、・・・・・・
次々に思い巡らす。

でも、大変だけど面白そう。

毎日、ドンチャン騒ぎか・・・・・

まぁ、それでも女の子だから、
僕の場合のように子供が毎日「レスリング」をすることはないだろうな。
直したばかりの網戸が、二日後には、サッシごとなくなる、なんてことはないだろうな。

米、30`がたった一週間で消費する・・・・
女の子だから、そこまで食べないだろうか。
でも朝食だけで、1gの牛乳パックが、二本や三本はなくなるだろう、毎日。

女の子の方が育てやすいという。
僕は知らないけど。

もうちょっと大きくなったら「口」がうるさいだろうね。
パパは、大変だな。
家中、女だらけ・・・・・・・・
思わずその気の毒ぶりに笑ちゃうね。

僕は、そのママに「もっと、もっと、眺めていたいけど」と言って、バイバイした。
三つ子ちゃん、僕は産まれて初めて見た。
帰りの車の中でも、
ばぁばに尋ねた。 「どうやって・・・・・」

その衝撃的な親子の「絵」は、一晩たっても鮮明に僕の目に映る。
それで、なぜか幸せの気分にタップリ浸ることができる。
三つ子ちゃんか・・・・・
すっげ〜〜〜〜!


13/3/4(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、古い友人、大家のおばぁちゃん、ばぁばと僕の四人で夕食を囲んだ。
大家のおばぁちゃんが、ウエットに冗談を飛ばすのが上手で面白い。

普段、酒を呑まないうちのばぁばと、そのおばぁちゃんが、
「ひな祭り」だからとか言って、ワインで乾杯をしていた。
かわいくない「ひな祭り」だ。

そこに、最近知り合ったカメラマンも来る。
ついに、
エンジンがかかってしまった。

焼酎が切れて、日本酒にしたのが効く。
また呑み過ぎだ。
それも日本酒だから、だるい。

ということで、お終い。

なんで盛り上がったんだっけなぁ・・・・・・
そうだ、
こうして、フェイス・トゥ・フェイスで実際に「会う」ことが人間、生きるのに重要だ、
そんなことで盛り上がっていた。

子供と一緒に「会う」、「遊ぶ」、ことは、
いかに重要なことか・・・・・・

家族で団欒・・・・・
家族ではなくとも、夕食を囲む・・・・一番幸せなことだ。
日本に住んでいて、日本人だが、気分は、ブータン人になれた。


13/3/3(日)朝 キャンプじぃじの日記

仕事ばかりで、人生に話題がない。
ネタがないと、どうしても「説教」になってしまう。
30年間、男の子を相手に生きているうちに、
スッカリ説教者になってしまった。

その素人説教者だって、今日は、本物の説教を聴きに行く。
ここのところ、レンチャンでサボっていた。

僕は、教会ならどこでもいい。
日本人の感覚の「お参り」ができれば、それで心が癒される。

みんな、
いろいろなものに「癒し」を求めている。
香り、田舎旅行、ペット、etc,

聞いた話しだが、
カトリックの乳香と、仏教のお香、どちらも鎮静効果があるのだそうだ。
先人の「生きる感覚」は、
とっても研ぎ澄まされている。
こういうものを「感覚」で発見するのだから。

今日は、ひな祭りだ。
日本神道のお参りで、おさい銭を捧げるけど、
そのときに、「お願い事」をするでしょう。

本当は、「お願い事」をしたいのでおさい銭を捧げるのではなく、
今までを感謝して、それで、捧げ物をするのが正しいらしいよ。
いつだったか、宮司さんが言っていた。

ぜひこのことを思い出してお参りして欲しいね。
お父さんの真剣な眼差しを子供が見て覚えるからね。

来月は、花祭りがあるね。
教会では、復活祭だ。


13/3/2(土)朝 キャンプじぃじの日記

古い友人で、重度のうつ病のヤツがいる。
もう10年以上働いていない。

初めのころは、なんとか改善させようと、
うつ病に関する本をいろいろ読んでみたが、
結局は、「生活習慣病」の方向があることが分かり、
僕の手には負えなかった。

ここで、「心のトラブル」を起こしたら不幸でしょう、
と訴えているのは、ソイツを見ていて書き込んでいるんだ。

誰でも軽い「うつ」を体験する事がある。
しかし、10年以上も働くことができなくなるほどの重症には、
それなりの特徴がある。

パパが建てた自慢の家に住み、
ママに買ってもらった自慢の車に乗っている。
もう60才に近いのに・・・・

常に受身で「豪華」を手に入れてきた。
自分で築いたのではなく、貰った「物」で虚勢を張って生きている。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件になる」

こう訴えている根拠になっているのさ、ソイツが。
それでも、さらに悪化しないように願って、
日曜日の夕食を一緒にしようと誘うようにした。

もう半年ばかりやっているだろうか、
たぶん皆勤賞に近いと思う。

「自殺者白書」
なるものをネットで調べると、
自殺とうつ病に関連性があることが分かる。
これは、うつ病について書いてある著作にも指摘されている。

これ以上の悪化を防ぐ妙手はないけど、
僕の出来ることで実践しようと思ったんだ。
日曜日にソイツがくれば、
子供のときのように楽しそうにしている。
効果を期待したい。

要するに、甘やかして育ててはいけないんだよ。
そして、「自立」をハッキリと意識して、
つまり自立に明確な時期を定めて、それに向けて子育てをするべきだ。

日本では、20才が「成人」と定めている。
これを無視してはいけない。

ヤツは、四年制大学を出たことを「ステイタス」にしている。
実際は、三流大学を二年留年してやっと卒業をしたのだが、
それが本人の「実力を伴わないプライド」になっている。

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」
と、ここで訴えている根拠がこれだ。

世界的見て、
最も「物」が溢れかえって「便利」「快適」「簡単」に生きられる国なのに、
「不幸」に生きている・・・・・

僕は、本当に思うね。
その「快適」こそが、心が病む大きな一つの原因だとね。

若いお父さん、
なにも自分の子で人体実験する事はないでしょう。

大自然の厳しさの中・・・つまり快適ではない環境・・・で、
子供と一緒に遊ぶことで、うつ病にたいする抗体を子供の心につくろう。

子供がお父さんと一緒に遊びたがるのは、せいぜい小学校四年生までだよ。
それまでが勝負だよ。

心を強く育てないで、知識偏重の子育ては、だから良くないよ。

そういうことで、子供が小学校に入ったところで、
親子でデイキャンプを始めるのが丁度いいのさ。

それで、だからこれを、
幼稚園に通っている子供をもつお父さんに訴えることを目指しだしたのさ。

それを具体的な活動で体験をとおして、若いお父さんに分かってもらいたい。
僕の願いは、こうだ。


13/3/1(金)朝 キャンプじぃじの日記

家族と過ごす時間が少ないことを「不幸」と思う人たち。
彼らは「物」がなくとも十分に幸せに暮らしている。

これは、今の日本の暮らしぶりに警鐘を鳴らしていないだろうか。
とくに子育てにおいて、
社会的に一番の弱者の子供に、
その影響がでていないだろうか。

豪華なキャンプ用品を買い揃えるのでは、
結局「物」依存症だよね。

そうではなくて、「物」を最小限にして、
子供と一緒にデイキャンプをやってみよう!

たくさん子供と一緒の体験を積み重ねてみよう。

そのことで、
何もなくても、子供と過ごすことがとっても素晴らしいことに感じるようになると思う。
このことを目指して、今度の休みには、
子供と一緒にデイキャンプをしてみよう。

ここから、子育てを始めてみよう。
子供と過ごす時間が多ければ多いほど、
子供が愛おしくなるものさ。
難しいことなんか何もない。

ただ、子供と一緒にデイキャンプをして、カレーでも作って食べてこよう。
それでいいと思うな。

お父さんがこれを実行した分、
お母さんに心の余裕も生まれるんだ。
本当さ。

でもこれを中学生になってやったら、子供が嫌がるよ。

だから、子供が小さい内、
子供が小学校に通うようになったら、
子供と一緒にデイキャンプをしよう。

子供が中学生ぐらいになったら、
やる気があるのなら、子供と一緒にもっと冒険にチャレンジできるさ。

僕は、そうして子供と一緒に雪中キャンプもやった。
最後には、子供にソロ・キャンプを体験させた。
自立に向けて、こういうふうに育てた。
とっても良かった。

小学校一年生、ここで子供と一緒にデイキャンプをしよう。