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卒業(園)ビデオアルバム制作

この仕事は、
映画のような芸術ではなく、
テレビのような娯楽でもない。

10年後に、自分の子供を愛した記憶を呼び起こすものだ。
その時に親は涙が出るほどの感動が起こる。
そういう記録の仕事だ。

子供は、10年後に親に愛してもらったことを思い出すことで荒野の人生を
強く生きていく勇気がわいてくる。
そのための記録の仕事だ。

僕はこのために情熱を燃やせる方を探しています。

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ここのコーナーは、ビデオの構成について学んでいきます。

台本そのものを本格的に学びたい方は、シナリオ作法の通信教育がありますので、ぜひそれを受けられるといいと思います。 谷口もほんの少しですが学ばさせてもらいました。
この「卒業ビデオアルバム制作」は、フィクションではありませんから映画の台本は必要ありません。 しかし、1本のビデオ作品を作る上でそれと共通したものがあります。 それが「構成」です。


(1) ビデオ表現のバックグラウンド

「ビデオ」という表現について理解するために、他の表現とどう違うのか調べて見ましょう。


@ 絵画と写真

「絵」の歴史は古いです。 おおよそ人類の誕生のときからあるかもしれない。 象形文字の起源でもある。
人類の初めの「記録」ではないだろうか。 自分の気持ちや考えをなんとか残したい、そんな願いは人間だけに許された文化だ。 それが現代では自分の子供の姿を残したいという欲求を「家庭用ビデオカメラ」で実現したのだと思う。
この仕事は、本質的にはその親の欲求をビデオ屋が代わりに行うというものだ。
この仕事の根本的なことなので覚えて欲しい。 この仕事はアートではない。

「絵」は、初めは、見えるものを描くという行為であった。
それが近代では、見えないものやイメージといった内面的なものを表現するものへと進化していく。
「写真」も初めは「絵」より正確に写す道具であった。
それが今ではあらゆるものに使われている。
絵画と写真の大きい違いは、絵画は描く人が想像で描写できるものに対して写真は基本的にはレンズに入ってきた光どおりに写るということだろう。 あくまで大雑把なところだが。
二次元的な(平面的な)表現としては、絵画、写真、ビデオ、では同じだ。
そこに起こる「構図」ということも共通点が多い。 絵画を学んできた人は、ビデオを撮らせてもこの構図が決まっている。
ぜひ絵画で構図を学ぶべきだと思う。 必修だろう。
さて、ビデオにあって絵画や写真にないものがある。
それは「時間」だ。
この「時間」という概念はおそらく人間だけが意識できるものだろう。
他の生物は、その瞬間で生きている。 その一瞬が自分にとって有利か不利か、そういう生き方が動物だ。
自分がこの世に生まれてきて、やがて自分の「死」を迎える「人生」という時間を意識し考えることが出来るのは「人」だけだ。
ということは、この人生について何にも考えて生きなかったら、それは動物的な生き方と言えるかもしれない。
腹が減ったから喰った。 発情したから交尾した。 喰われそうだから逃げた。 疲れたから寝た。
ただそれだけの毎日だったら動物とあまり変らない生き方だ。
生きることの「意味」を考え生活を「工夫」して自分の人生に「価値」を作っていくこと、そこに「時間」があって、その時間を上手に使うことが「人」らしく生きることではないだろうか。
「時間」は決して目に見えるものではないが実在する不思議なものだ。
その見えない「時間」が絵画や写真になくビデオにある。
ならばビデオは、絵画や写真より「上」の表現だろうか?
そう考える方は、文化音痴だ。
それぞれの表現にはそれぞれの表現方法があって、我々人間はそのTPOに合わせてそれを使い分けているので、そこに表現として「上」とか「下」ということはありえないのだ。
例えば、子供の運動会を思い起こして欲しい。
写真でもビデオでも撮れるが、我が子が頑張って歯を食いしばってコーナーを走っていく姿は、ビデオより写真の方が「歯を食いしばった一瞬」をもぎ取るのに相応しい。
遊戯でどういう風な演技をしたのか、その流れはビデオの方がよく分かる。
前者と後者の違いは、「時間」にあることに気付いて欲しい。

絵画や写真は、「瞬間的結論」表現であるのに対してビデオは、「プロセス解説」表現になる。

それがどういうことなのか、ぜひ研修で感じ取ってもらいたい。


A 言葉と文章

言葉は、耳に入ってくる「記号」に対して文章は「目」に入ってくるそれだ。
「聞く」にしても「読む」にしてもそこには時間が必要となる。
この「時間」の流れがビデオ表現と同じところとなる。
しかし、ビデオは「絵」で状況を客観的に伝えやすいのに対して言葉と文章は、「意味」を伝えることに向いている。
どういうことかと言うと、言葉や文章では形容詞の表現が得意だ。
「美しい花」と文章では簡単に表現できるが、その「美しい」のところはビデオではどうにも表現することが困難だ。
実際に台本ではそういった形容詞を使って書いてはいけないことになっている。
また、思いや考え方といったものもビデオだけでは表現が難しい。
ある男が怒っているとする。
それがどう怒っているのかビデオだったらその男の顔のアップの1カットで見せることが出来るが、言葉や文章ではずいぶんと長い説明を加えないと分からない。
こういったところの違いがある。 この違いをよく理解した上でビデオに言葉や文章をミックスする。
そうすると表現に膨らみが出来るわけだ。
そのビデオに挿入する言葉が「ナレーション」や「セリフ」となる。
また、文章や文字は「テロップ」としてビデオに入れられるわけだ。
ただここで気をつけなければならないのが、「ナレーション」や「セリフ」はビデオ映像を見ながら理解をできるが「テロップ」は、文字を見ている分「絵」を見なかったことになる。 テロップだらけの編集は、ビデオの絵が背景になってしまうということを分かって欲しい。

さて、この「言葉」と「文章」にはビデオと同じ「時間」がある表現だ。
そこに時間の流れに沿った「構成」というものを考えることになる。
簡単に言えば、ビデオの構成は言葉や文章と同じで、それで学ぶ。
文章で構成が取れない限りビデオでも構成が出来ないということだ。
この「構成」をシナリオ作法の通信教育を受けることで上達ができることを知っていて欲しい。
学ぶかどうかは、本人のやるきの問題だ。


B 音楽と効果音、現場音

編集で音楽を入れることをBGM(バック・グラウンド・ミュージック)と言います。
仕事でBGMを入れる場合、著作フリーの音源を使います。
BGMは、その場面に「感情」を加える効果があります。 楽しい、悲しい、嬉しい、寂しい、怖い、など音源で表現している人の感情をビデオに付け加えられます。
また、ボーカルが付いている場合、その言葉の意味もビデオに加わります。
BGMは、適材適所に入れないと見ている人に違和感を与えてしまいます。 自分の好みの音源ではなく、その場面に合わせることが大切です。 また、なんでもかんでもBGMを入れることを「ベタ付け」と言いますが、非常にくどいです。

BGMは、あまり知られていない方がベストです。
なぜなら、認知度の高い音源は、見る人がその曲に対して思い入れがあるからです。 もし、その曲にお母さんが失恋の思い出があったりしたら買ってもらえません。 そういうことなのです。

効果音は、SE(サウンド・エフェクト)とも言います。
ドキュメンタリーに関係ないようですが、時と場合によっては必要なことがあります。
幼稚園のお泊まり保育の取材で、早朝の点描に別録りした小鳥のさえずりのSEをかぶせるといい場面ができることがある。
また、宿舎の全景を撮っているときに、向かい側の宿から大音響のカラオケが聞こえてきたことがある。 やはり別録りで「夕方の音」を探した。 
めったにこの仕事ではやったことがないが、人の仕草に効果音を付けると、それを強調できる。
面白いからといってやりすぎるとそこが「臭く」なります。

現場音は、その場所の雰囲気を出すためには必要だが、無い方がいいこともある。
例えば、子供のインタビューやナレーション録りなどでだ。
回りの雑音を切って言葉を明瞭に収録するのには、「指向性マイク」を使います。

「音」は、ビデオ映像をより引き立てるものです。


C まとめ

ビデオの「絵」の構図は絵画で、時間の流れでの「構成」はシナリオ作法で、ビデオの修飾は、「音」で学びます。
そしてこの全部のバランスがとれた作品を目指しましょう。


(2) 構 成

(1)のことを頭に入れた上で構成を考えましょう。
例えば、BGMの入った場面に盆踊りのような音楽のある場面をつなげると、くどくて「臭い」ということです。


@ カットと場面と局面

「分かる」、理解できるということは、その前提に「分けることができる」ということがあります。
分からないというのは、分析して要素を「分けられない」のです。
さぁ、時間の流れがあるビデオ表現を分けて考えてみましょう。

カットとは、一つの時間で途切れていない最小単位の映像です。
いくつかのカットが組み合わされて一つの場面、シーン、になります。
そのたくさんのシーンを束ねて局面、シークエンス、になります。
局面の中の場面が、バラバラではなくある規律で組合されていくことが大切です。
同じように、場面の中のカットもそうです。
その組み合わせ方は、「表現」のところで詳しく学んでいきましょう。
ここでは、カット、場面、局面、それぞれに共通した最も重要なポイントを覚えましょう。

それは、時間の流れにおいて最初の「絵」と最後の「絵」の変化で「カット」の意味を作るということです。
同じように場面では最初の「カット」から最後の「カット」に変化していくことで意味が出来ます。
局面の変化は、1本のビデオ作品の構成ということになります。
どう「変化」するのか、どう見せるのか、それが作品の「質」です。

A 局面の変化−−−構成

この仕事の場合、1本のビデオアルバムで「起・承・転・結」という構成を取ります。
ちなみに、ここの書き込みは「ハウツーもの」ですからその構成をしていません。
系列立てて要領よく説明したいときには、この構成は不向きです。
お分かりいただけるでしょうか?
なぜこの起承転結という構成がビデオアルバムにいいのか、それはこれが最もドラマチックに感じるものだからです。
すべての映画、ドラマ、演劇、と同じで基本中の基本です。

B 起承転結



ここはタイトルの部分です。 見る人にこれから始まるビデオが何か知らせる役目があります。
そして、「面白そうだ」と感じてもらうためのところでもあります。
具体的には、1分ぐらいでタイトルのテロップが出るまでです。

卒園ビデオアルバムは、そこの幼稚園の特徴をこの「起」のところで見せられればいいと思います。
例えばそこの園が、「タテ割り保育」を実践していたら、そのいいところをここで見せる。
「体験保育」をしている園なら、そういう活動の絵。
また、担任の先生をここでしっかりと見せるのもある。
いきなり年長の子全員を見せるという手も。
「詩」にしておしゃれな感じのスタートの例もある。

ここの部分は、作品の「顔」です。
個性を引き出しましょう。



作品の9割に当たる記録の部分です。
映像文化は、映画で出来上がってきましたが、この文化を理解できない人がいます。
画質や取材量という「情報量」にこだわる方が少なからずともいる。
金はないよりいくらでもあった方がいいに決まっている・・・そういう脳みその回路の人に文化は通じにくいのです。
「ゆきだるま」というタイトルの絵本があります。
チャップリンの初期の作品のように「セリフ」がありません。
「画質」もわざと荒くしています。
しかし、その作品には何とも言えぬほのぼのとしたものが伝わります。
これが大切だ。 
2007年現在ではハイビジョンという精細な画質の「情報量」のフォーマットでは商品化できない。
そういうことにこだわる方は、別の仕事を学ばれるといいと思います。
ここでは、情報量ではなく「情報質」をどう高めることが出来るか、それを研究していくものです。
卒園ビデオアルバムは、主に最終学年を取材しますが、それをどのようにビデオに収めるのか、具体的な技術は別項を参考にしてください。
ここの「承」の部分は、面白いことが重要です。



ここは作品の最後、幼稚園のものではここに園長先生のサビの言葉を入れています。
そこの幼稚園の一番美しい言葉を入れます。
実は、それがそこの「テーマ」であるのです。
「転」は、その作品のテーマのこと。

ここで「テーマ」ということについて定義しておきます。
一般的に間違った使われ方でテーマを「お題目」にしていることが多い。
それは、モチーフを意味するのではなく作品の「結論」、それが本当のテーマなのです。

ここで「テーマ」の出し方の一つの方法を紹介します。

私は、{   }について{   }と、
こう考えます。
そして、それは{   }です。

上の{ }に思い付いたことを埋めてください。
最後の{ }に入れた言葉がテーマです。
テーマは、それが悪いのかいいのか、いらないのか必要なのか、くだらないのか大切なのか、といったあなたの考えです。

例えば、
私は、{愛}について{してもらうのではなく、こちらから一方的に与えるものだ。}と、こう考えます。
そして、それは{本物}です。
{愛}だけでは分からなかったことがこれで伝わるものが出来ます。
この伝わることが大切です。 そしてそれが心に残るものであれば、いいテーマなのです。



これは作品の最後の余韻の部分です。
具体的には数カットで決める。
ここがもし1分もあったら余韻ではなく一つのシーンになってしまう。 見ている人はまだ何かあるのかと勘違いされてしまいます。
印象深くスマートに決めます。


まとめ

起−−−見たい、という期待を持たせる部分で1分ぐらい
承−−−作品の記録の部分、面白いことが大切
転−−−その作品のテーマを出す部分
結−−−余韻、数カットで決める


(3) まとまりのある作品

@ 何についての話しか

一つの作品でも、それぞれのシーンでも何の話しかよく分かるようにまとめましょう。
そのためには、

いつ、どこで、だれが、何を、どのようにしたのか、

が具体的に見せられるようにします。
話しの前後の兼ね合いで省略できることもありますが、その5つの要素がそれぞれのシーンで表現するのが基本です。

A 組み合わせを考える

ビデオの「絵」と「音」、「絵」と「文字」、「絵」と「絵」、それらの組み合わせ方が「編集」ですが、その組み合わせ方に変化があるようにします。 いろいろな場面でいつも広い絵からばかりで始まる・・・・というのではなく、例えば「音」が数フレーム先に始まる場面とか、いきなりアップで始まる場面とか、場面の中の組み合わせもいろいろ変化させましょう。

しかし、それぞれの場面で一番最後のカットは、その場面で一番言いたいものを持ってきます。
カットの一番最後、シーンの一番最後、そこは、作者が結論付けたい絵にする。
そして、作品の最後に「転」、テーマという結論があるわけです。
時間の流れでその最後が肝心な表現になるというリズムを身につけましょう。

B 表現をするための3つのトレーニング

卒業ビデオアルバムは、最終学年の一年間をまとめて1本のビデオに収める仕事です。
そのいろいろな出来事を数十分にするということは、そこには「省略」の技術がいることになる。
そしてそれに面白さがでるよう工夫をしなければならない。

いくつかのシーンにそれぞれの視点があり、それが変化に富んでいて最後にいいメッセージがある。
当然、そこには何回も自分の子がでてくる。

そういう作品を目指して作ります。
編集と言うと特殊効果のことだと思う方がおられるが、そうではない。
そういう小手先の技術だけでは本当のプロの仕事ではない。
野球でもサッカーでもゴルフでも、また文筆家でも画家でも音楽家でも、プロとアマチュアの差は歴然としている。
これからこの職業を目指そうという方は、このことを肝に命じて知っていて欲しいことがある。
それは、基礎トレーニングだ。

ビデオで漠然と写っているのではなく、「商品価値」のある1本のビデオを作り上げるためのトレーニングには三つある。


○ テーマ、視点、目標

ここでは、探究心を強く持つ訓練です。
それはなぜなのか、どうしてそうするのか、目的は何か、
一つの事柄に対して疑問をぶつけてみる。
なぜ子供は成長するのか? どこで成長が止まるのか? 成長とはそもそも何なのか?
なぜその保育なのか? なぜ生きるのか? 
そうやって自分の思考を深く、深く、掘り下げるクセを身に付けるようにします。


○ アイディア、ユーモア、センス、デザイン力

関係なくてもどれだけ多くのことを思い付けるか、その発想する量と速さを鍛えます。
真似をするのではなく、ひょんな思い付き、ひらめき、が大量生産できるよう頭を柔らかくします。
これは固定概念に縛られずに自由にのびのびとした精神状態で出来ます。 このトレーニングの最中に形式的な思考はご法度です。
それを逆にしたらどうだ? 大きくしたら? 小さくしたら? 組み合わせたら? 形を変えたら? 似たような他のものでは? 他に使えないか? 入れ替えたら? 問題点を一つに絞ったら? 逆に分けたら? etc,
そんなのダメだとは決めつけないで、このようにたくさん発想することが大切です。
ここの訓練は、先の「テーマ・視点・目標」とは脳みそを使う場所がどうやら違うらしい。


○ 知識、技術、経験

専門知識をどれだけ覚えられるか、要するに学校の授業と同じです。
大脳の左半球のトレーニングです。
また、技術や経験は、頭ではなく体で覚えるトレーニングです。
研修では、ここが中心になります。
たくさん反復練習する必要があります。
また、失敗のフィードバックにも励んでください。


それぞれの具体的なトレーニングの方法は、研修で身に付けてください。
これを無視して何かのはずみで数年間食べることがたまにはありそうです。
しかし、谷口のように20年以上食べ続けることは、たぶん難しいでしょう。
なぜなら、写真学校を卒業してもその後10年以上写真の仕事で食べ続けている方は、めったにいないという事実がそれを証明しています。
専門学校で学べるのは、「知識、技術」ぐらいが大半だからでしょう。
営業努力とこの三つのトレーニングに地道に励み続けた者が何十年も生き続けられる。
機材で喜んでいるレベルではプロになれない。
そこにプロで喰っていく厳しさがある。

無理そうだったら脱サラはしない方がいい。


「見る」という行為は、「知っていく」ということ。
「知っていく」ということは、見るものを「愛する」ことなのです。  谷口則之