ホーム
営業案内
卒業ビデオ
アルバム制作
営業
構成
表現
技術
子供の撮り方
年間プログラム
活動案内
ユーチューブ
Face Book
メール・アドレス


###############################

卒業(園)ビデオアルバム制作

この仕事は、
映画のような芸術ではなく、
テレビのような娯楽でもない。

10年後に、自分の子供を愛した記憶を呼び起こすものだ。
その時に親は涙が出るほどの感動が起こる。
そういう記録の仕事だ。

子供は、10年後に親に愛してもらったことを思い出すことで荒野の人生を
強く生きていく勇気がわいてくる。
そのための記録の仕事だ。

僕はこのために情熱を燃やせる方を探しています。

###############################



ここのコーナーは、ビデオの表現方法について学びます。

時間の流れがあり「映像」と「音」の組み合わせで表現をするビデオ、これは一つの「言語」であると思います。
さぁ、「ビデオ語」の特徴をつかんで上手に表現できるようにしましょう。


(1) ビデオの言葉づかい

@ カットエンド

カットじりとも言って、その1カットの最後の絵を指します。
カットでも場面でも1本の作品でも一番言いたいこと、結論、を時間の流れで最後にその絵を持っていきます。
このリズムをハッキリと意識しましょう。
カットの初めの部分は、そのカットが何なのかを説明する絵、そして最後にそのカットの目的の絵、というふうに表します。
実際の撮り方は、例えば「タテ割り保育」の味を出したいとします。
年少の子が年長さんに何か教わっているところを探し出して、その2ショットを狙い撃ちします。
その二人は、初めは手を繋いでいるだけでしたが、年少さんがお着替えでブラウスのボタンがうまく付けられません。
そこで、お姉さんの年長さんの子がボタン付けのお手伝いをし始めます。
そして、4つのボタン付けを全部できました。
カメラは、その手を繋いでいるところからボタン付けが終わるまで全部を撮ります。
編集で、手を繋いでいる絵でカットが始まり、お姉さんのお手伝いが始まるところをカットエンドにすれば、「仲のいい年の違う二人の子で、上の子が下の子の面倒を見た。」という感じのカットになろうかと思います。
また、手を繋いでいるところは省いて上のお姉さんがすでに下の子のボタン付けを始めているところから、ボタン付けが終わるところをカットエンドにしたら、「年上のお姉さんが年下の子のボタン付けを上手にしてあげた。」という感じのカットになりそうです。
前者は、ボタン付けを始めた絵がカットエンドなので年上の子の「面倒見の良さ」が表現されやすく、後者はボタン付けが終わるところがカットエンドですので、どうやって上手にボタン付けをしてあげたのかその「作業の様子」を強調したものになります。
編集で、どこからどこまでを見せるかでそのカットの意味が微妙に変ることに注目してください。
そのときにそのカットの最後がどうあるかが重要であることに気付くと思います。
研修では、ここのところを徹底的に身に付けられるようにします。

A 人物の出入り

カットじりに意味ができることを応用して人物の出入りを考えてみましょう。
フレームの中に誰もいないことを舞台用語で「空舞台」と言います。
空舞台に2ショットがフレーム−インするとします。
Aが入った後にBが入ってくると、Bの方がカットじりに近く、そのカットではBについて何か意味が出やすくなります。
初めからフレームに人がいることを「板つき」と言います。
2ショット板つきでBが先に出てAが追うように出たとします。
するとそのカットでは、Aの方がカットじりに近いので、Aについて意味が作れます。
撮影では、狙いとする被写体がフレームに入ったり出たり、あるがままに撮ってきますが、編集でカットじりにこうやって意味付けしながらカットをつなげていきその場面を作っていきます。
撮影素材から、どうやって場面を作るのかここをポイントに研修で学びます。
カットの勉強に「フィックス」を学んでいきますが、フィックスでこの人物の出入りを考え身に付けていきます。
さて、AとBが完全にフレームから出て行くと、カットじりは空舞台になります。
つまり、人がいない背景がカットじりになります。 何か終わった感じがでます。
つまり、文章での「。」になります。
ちなみに、2ショットが一緒にフレームから出て行くと、カットじりに「一緒」という印象が残り、二人の関係が仲がいいことを暗示させることができます。
いかがでしょうか、このようにカットの最後の「絵」に意味を作ってビデオ映像で”作文”をしていくのです。
これが基本中の基本です。

B アクションつなぎ

カットじりの応用編−−−アクションつなぎ。
Aという少年がボールを投げます。
そしてB少年がそれをキャッチします。
この時に、Aがボールを投げ、一瞬ボールが宙にあってカット。 Bがボールを受け取る。 という2カットの場合を考えてみましょう。
Aがボールを投げてそれが宙にあるのですから1カット目のカットじりは「一瞬のボール」です。 つまり投げたボールを強調しやすい。
「投げられたボールをBが(無事)捕れた。」という意味合いになります。
では、Aがボールを投げようとするけど、ボールがまだAの手の中のにあるうちにカット。 次のカットは、一瞬、間があってボールがフレーム−イン。 Bがキャッチしたとします。
すると、今度は、最初のカットのカットじりが「Aとボール」になります。
「AとBの人間関係」が表現されやすくなります。
投げられたボールのカットポイントを少しずらすだけで微妙に意味合いが変ることを研修で実際に試して見ましょう。
このように投げられたボールのように動きのあるところでカットをつなぐことを「アクションつなぎ」と呼びます。
テンポのいい場面が作れます。

C モンタージュ

口をパカ〜ンと開けた男のアップ。 それにフランス料理の絵をつなげば男は「腹が減っている」という意味が作れます。
また、そのアップに札束をつなげば「うまく金を手に入れた」という感じになろうかと思います。
男のアップは同じでも次の絵によって意味が変ります。
2つ以上の映像、または映像と音声、そうした「組み合わせ」で新たな意味を作ることを「モンタージュ」と言います。
モンタージュの手法でウソはいくらでもつけます。
二人の子供がヒソヒソ話しをしている絵に忙しそうに動いている先生をつなげば「子供が先生のうわさ話しをしている」という意味が作れそうです。 
面白いからと言ってやり過ぎないように。
悪いことはすぐ覚えてしまう。 困ったものです。

D シャレード

シャレードとは、何かを象徴として示すことによって、その言わんとする意味が伝わる、その何かのことです。
モンタージュが複数の組み合わせで新たな意味を作るのに対して、これは一発で意味を伝えるという感じのものです。
シャレードで多いのが「音」です。
映画では例えば雷の音。 主人公が行き詰まったとき突然「バリバリ・・・・ドッカーン!」なんて常套手段になっています。
「絵」なら構成で起承転結をつくるのですが、そのうちの「結」がいいシャレードになると印象深い作品になります。
これは印象、象徴ですから一作品に頻繁にあってはなりません。
シャレードにはどういうものがあるか、研修で実際のものを見て感じて覚えましょう。

E 目 線

人の「目」には、何かを注視している意味があります。
だから、例えば結婚披露宴で右を見ている人に対して目線と反対のパンをすると、ビデオを見る人に不自然感が残るでしょう。
見合っている者同士を一つのかたまりとして写した方がいいでしょう。
この「目線」を使ってモンタージュができます。 それを「見た目」と呼びます。 
「見た目」に風景のカットをつなげば、その人は景色を楽しんでいるという意味がでます。
それにズーム−インのカットをつなげばかなり強烈な意味が作れます。

さて、目線で注意しなければならないことがあります。
それは、「対話線」とか「イマジナリー・ライン」と呼ばれるものがあることです。
言葉で表現をするなら、
AとBという人が対話をしているときに、AとBをつないだ腺を越してカメラが反対側へ行ってはならない。 ということです。
ビデオで右を向いて話をしている絵に、Bが同じように右を向いて相づちを打っていたらおかしなものになる。
人物が二人だったら気をつけるのは簡単ですが、例えば演壇に一人、それに対して200人の子供たちというときの対話線は、うっかりすると間違えやすい。
どういうことか研修で学んでください。

子供が何か夢中になっているのもこの目線をうまく撮影することで表現できるでしょう。
この仕事は、全部の子供の「顔」を撮るのが肝心な仕事です。
その子供たちの生き生きとした表情、目線、それらを上手に撮れることがその作品の「質」になるでしょう。
画質にこだわるのは、機材オタクです。 この作品質を高める練習を研修で身に付けましょう。

F カットじりを消す

カットじりに意味が出来ます。
しかし、出したくないときには消しゴムを使います。
冗談です。
フィックス以外の動きのある絵でカットじりの意味を消したいときには、絵が動いているうちにカットアウトすれば、ア〜ラ不思議。 意味がなくなります。
例えば看板。 看板に書かれた文字を読ませたいだけでカットじりに意味なんかはできて欲しくはありません。
こういうときは、その看板を右パンしきって文字をフレームアウトさせます。
そして編集で、文字の出具合を調整してみてください。 「文字」を読むだけになるでしょう。
それでは、フィックスの場合はどうやってカットじりを消せるのでしょうか?
38口径のリボルバーで消す。
・・・・・ウソです。
フィックスのカットじりの意味をぼんやりさせるのには、睡眠薬を飲む。
くどっかった、ウソです。
ぼんやりさせて、お茶を濁すのにはOLです。
オーバーラップ、これ本当です。
前のカットと次のカットが次第に重なっていく、例のあれです。

G フレームということ

私たちの目は、ある一点に集中すると、実際はその回りも見えているはずなのに認識されなくなるのだそうです。
ある舞台監督は、これを人の目のズーミング効果というのだと言っていました。
魅力ある舞台では、このズーミング効果で観客を酔わせるのだそうです。
さて、実生活をプラネタリウムのようにそのまま大写ししたら、人の目は本人の興味のおもむくまま何にズームするか分かりません。
10人いたら10ヶ所、違うところを見つめてしまいます。

写真技術を知らないお母さんが運動会で写真を撮ってくると、写っているのです確かに自分の子が。
それはたいがい真ん中にちっちゃく彼女の子が写っている。
本人は間違えなくちっちゃく自分の子が写っているので喜んでいます。
でもなんかつまらない。
もっとその子の表情が見たい。 ちっちゃくてそれが分からない。
そのお母さんは、カメラのファインダーの中の子供に人の目のズーミングをして回りに不要なものがあっても気付かないのです。
見たいものが見たい大きさで撮れる。 これが大切。
カメラマンがこう見たいと四角にちょん切る、それが「視点」です。 そしてその視点通りにシャープに無駄なく区切ることを「フレーミング」と呼びます。
別の言い方をすれば、
フレームは、実際に見えるものから、ここはこうして見て欲しいと、四角に区切って意味を作ることなのです。
そして観客にそのフレームを見せて、よそ見させる余裕なく「なるほどねぇ、こう見てもらいたいのか」と分からさせることです。
フレーミングは、絵画・写真・ビデオに共通する表現方法で美しい絵やいい写真をたくさん見ることで上手になれるでしょう。

H 構 図

構図は、絵画で学ぶのが一番早いと思います。
ここでは、ほんの触りをご紹介しましょう。
現実に見えるものを四角にちょん切ることを「フレーミング」と言います。
そのフレームの中にどういう図柄に整えるのか、それが「構図」です。

絵画では、面積と色の濃さで「重さ」というバランスを考えます。
絵画は1枚の絵にそれを整えるのですが、動画のビデオでは主に「引き絵」でこの構図が取れると落ち着いた美しい作品ができると思います。
この図柄の「重さ」とは、面積が大きい方が小さいものより「重く」、また同じ大きさなら色が薄いものより濃いものを「重い」と計算します。
ですから、小さくても黒いものと、それよりは大きくて明るい図柄がバランスします。 そのことをシンメトリーと呼びます。
その二つがどのぐらいでシンメトリーになるのかは、美しい「絵画」をたくさん見ることで覚えられるでしょう。
谷口のところに近代絵画の写真集がありますので、ぜひそれを鑑賞してください。
シンメトリーのほかに「線」の構図があります。
横線は、それがフレームのどこにあるかで意味がでます。
横線は、「水平線」を暗示することが多く、それがフレームの上にある場合、絶対ではないですが「暗い」「重い」などの印象が出やすいです。 その横線は、「俯瞰(フカン)」の印象があるのです。
逆に横線がフレームの下にあると、「明るい」「落ち着かない」といったイメージを出しやすい。
これは「ローアングル」の構図を連想しやすいからです。
これらのことが良く分かるのが舞台での「引き絵」です。 舞台のステージの線がフレームのどこにくるかで見る印象が変ることを実験してみてください。
次に縦線ではどうでしょうか。
縦線は、フレームのどこにあってもそのことでの意味はあまりでません。
ただ横線より縦線の方が「緊張」「不安」が表現されやすいです。 それに対して横線は「安定」「安らぎ」「広さ」がでやすいでしょう。
横でも縦でもない「斜めの線」は、「動的」「落ち着かない」「不安」などを表現します。
これらのことを頭に入れて美しい絵画を鑑賞しましょう。

I 人物の表情

これはドキュメンタリーですから子供に表情を作らせるわけにはいきません。
全部の子供の「顔」を撮る、それが重要な仕事です。 ですからそれが撮れる場合は極力撮りもらしがないように最善を尽くします。
その場合、全部の子供がニコニコしているというのは、かえって不自然です。 それはしょうがない。
全部の子が撮れないシーン。 この場合そのシーンの目当てを作る。 そのことを「視点」するというが、いろいろな視点のシーンがあって面白い。 そのときに「子供の表情」を追っかけた場面が一つはあっていい。 それが作品全体の中の象徴のシーンに出来れば最高だ。
表情は顔だけではなく体全体のものもある。 
どう表情を見せられるのか研修でその撮り方をよく見て真似てください。
また、一つのシーンの中に象徴としての表情を撮れると、それがそのシーンのシャレードになる場合もある。
このようにところどころにいい表情の子が欲しい。

J 小道具

帽子が一つあったとします。
帽子ですから手に持って、頭にかぶります。 ごく普通の使い方。
もしそれを手に持って空高く投げたとしたら・・・・
何か嬉しいことがあった、試験に受かった、恋人とうまくいった・・・・
逆に帽子を地面に叩きつけたとします。
怖いですね、近づきたくない。
このように小道具は、扱い方によっては意味を作ることが出来ます。
子供が作った父親参観でのプレゼントとカード。
子供が描いたママの顔の絵。
お父さんの大きい靴と子供の小さな靴。
そういった小道具を上手に編集することで見ている人に何かを感じさせることができます。
小道具は立派な役者なのです。 覚えてください。

(2)面白さの出し方

@ 葛 藤

葛藤とは、分かりやすく言えば「困ったこと」です。 ストラッグルとも言います。
この仕事で葛藤を強く出すと、「そんなに幼稚園生活はいやなものなのか」という意図としない意味になるかも知れません。
しかし、子供の様子をマクロレンズで観察するとちょっとした葛藤は見つけられます。

今は、まったく違うサビにしたのでそれに合った絵にしていますが、数年前まであるビデオアルバムの最後に「失敗を乗り越える」というナレーションを詩っぽく挿入していました。
それに合った絵としてバンドエイド程度の怪我をわざわざ撮りに行ったことがあります。
そのサビは、10年続きました。
うまく怪我を撮れたのは、10作中8作で残り2作は転ぶところの絵にしました。 
まぁまぁの勝率だったでしょうか。
また、サビではないところで「体験保育」の味を出すためにザリガニ釣りで子供同士で糸をからめてしまって、それを解く絵を使っている例があります。 ナレーションは、「・・・・でもお友達はその糸を解こうとして、でもダメで良く見て考えて、また解こうとして・・・ザリガニ釣りに来たのですがとってもいい体験をしました。」
こんな具合に葛藤が出せると、作品に深い意味が出て面白くなるでしょう。

A 複雑さ

パズルが簡単に解けたらつまらないと思います。
谷口の「親子キャンプのハウツービデオ」がこのHPの別項にありますが、4作の内「遊びの進化」編のトップでたった二つのジグソーパズルの場面があります。 それに対してラストでは、もうちょっと多いパーツのそれがあります。 複雑であること、難しいこと、それがあるからこそ面白い。 人生も同じですね。 陳腐な脚本を「水っぽい」と言いますが、気楽で楽しいという享楽主義的な人生は、やっぱり水っぽい。 この仕事に挑戦して、大変だからこそ面白い。 そんな人生を歩んでみましょう。 せっかくの一回限りの人生を有意義に使いましょう。
さて、この複雑なところに面白さがでますが、いくつかあります。

○ 伏 線

何か重要な場面があって、前もって予備知識を見ている人に与えるテクニックです。
その重要なシーンをより深く理解してもらえます。
アニメ映画「ワンワン物語」で、終わりの方にネズミをストラッグルにしています。
ミッキーマウスではなくそれは、いやなものとして表現しているのですが、どういやなものかトップの方に伏線として登場しています。
また、例えば結婚披露宴で会食シーンに、まだ火の着いていないローソクのアップの点描をインサートします。
中にはローソクをいたずらしている友人がいたりして・・・
急に暗転。
新郎、新婦が入場します。
こう絵をつなげばくどくどしたMCを省けてその入場を盛り上げられます。
伏線は、前知識、省略、セリ上げ、このような効果を出せます。

○ 表と裏

幼稚園に来ている子供たち、ビデオアルバムでは「表」の話しです。
それに対して、家庭でお母さんが子供の服を洗濯をしているのは「裏」の話しとなります。
アクション映画でよくこの「表」と「裏」の話しを交互に見せる手法を見かけると思います。
このことを「パラレルアクション」と呼びます。
かなりいいテンポで話しをグイグイと引っ張っていけます。
このときに、「表」と「裏」が時間軸で平行するので「パラレル」と言うのです。
そしてこのパラレルでは、必ず最後に「表」と「裏」の話しが合流しなければなりません。
この「表」の話しに対して「裏」を見せることを「カットバック」と呼びます。
この仕事で最もよく使うカットバックがあります。
それは、話し手に対して聞き手を見せ、そのリアクションを撮ったりしますが、このことをカットバックでも特に「リバースカット」とも呼んでいます。
この場合でも、話し手の「表」と聞き手の「裏」が最後に広い絵などで合流させるのが基本です。

○ 場面とその間

カットとカットがつながって1つの場面ができます。
場面が構成されて大きな一塊の話しにまとめられたものが局面です。
そしていくつかの局面が起承転結の機能を持ってならべられたときに、一つの作品が完成となります。
さてある資料によると人間が同じ姿勢で同じことをしている忍耐度は、11分しかもたないという研究結果があるそうです。
同じ作業をしているようでも、ため息をついたり、タバコを吸ったり、コーヒーを飲んだり、立ったり、座ったり、座っているだけでも足組みを変えたりと、ともかく気分を変えるものだそうです。
つまり、映像を見ている人にとって、少なくとも10分に1度くらいは気分がガラリと変る刺激がないと「つまらない」と感じるのです。
ということで人の生理的限界で、1場面10分以内が目安になります。 もちろん短ければ短いほど飽きの無い絵になります。
昔流行った「リクルートビデオ」などでも、だいたい10分が勝負でした。 理に適っている。

卒業ビデオアルバムでは、いろいろな行事やテーマを出すシーン、イメージ的なシーン、etc,
と、たくさんの場面から成り立ちます。
これらの場面の橋渡し的なものを「インサートカット」といいます。
これは編集での「インサート」とはまったく別の意味です。 構成上のインサート。
日本映画の世界ではこのインサートカットを使うことは良くないという風潮があったようです。
そんなものなくても表現できる、と教えていた時代があったと聞きます。
本質的なことにしっかり表現したいという骨太な硬派には、小手先のテクニックでチャラチャラごまかすのは許せない、そんな思いが聞こえてきそうです。
それに対して最右翼が、エフェクタ攻めです。
彼らに言わせると編集とはこうするものだ、と言わんばかりに「ビュ〜〜ン」「「ピロロン」「「ボワ〜ン」とのべつくまなく特殊効果を使いたがります。
何年か経ってそこが一番臭くなることを彼らはまったく知りません。

この特殊効果は、谷口の研修ではトップとラストでは使いますが、よほどではない限り本編では「使ってはいけない」と教えます。
また、生絵のインサートカットは積極的に使うよう指導します。

このインサートカットがどういうものか、具体的に作品を見て学んでください。
インサートには、その場面に合った「マッチカット」のものと、まったく場面に関係ない「ジャンプカット」の2種類あって、前者は複数のカットで作られる場合が多いが後者はたいがい1カットです。
このインサートを覚えると編集が快感になってきます。
インサートの目的は、場面への修飾と場面変換のメリハリを付けることにあります。
また場合によってはインサートカットで伏線を張ることも出来ます。
インサートで朝顔の成長を表現した例もあります。

○ 人間関係

スチルのプロのカメラマンは、たいがい専門を持っています。
動物写真を撮る人、風景を集めている人、また事件が専門の方、政治家を専門にしている方、またパンフレットなどでの「物撮り」が専門のカメラマン・・・
ビデオでも同じで、子供に興味があるからこそこの仕事が出来ます。
子供を観察する力が必要です。
そして、子供と先生、子供同士、そのような人間関係が撮れることで「ただ写っているビデオ」から「見ていて面白い」ビデオになります。
「たて割り保育」のような子供同士の交流を撮らねばならないこともあります。
「人」をしっかり撮れるように現場で訓練します。
この仕事では必修です。

○ 内面表現

内面表現というと、とても難しいもので避けて通りたい勉強でしょう。
でも、それが出来なかったらプロではない。
といきなり言われたらとても悔しい思いをします。
「そうか、馬鹿にされているな。」
そんな感情が湧いてきます。
ところでその文は、直接バカとは言っていません。
そう受け手が感じやすいだろうということです。
つまりその文では「イヤミ」が込められているのです。 つまりそのイヤミを内面表現している、ということです。
普段の生活でイヤミを使わない人は少ないように思います。
イヤミのない人は、特別に回りの人たちに尊敬されそうです。
しかし、そういう立派な人格者は、逆にイヤミを反対に使った内面表現が下手かも知れない。
何でもそうですが数をこなしてトレーニングしている人が上手だ。
ですから、普通の人なら、必ずイヤミの原理を使って上手に内面表現できるハズです。
・・・・ちょっとやりすぎたかな?

B 変 化

大きい意味で成長とは変化です。
朝から夕方へと時の流れも変化です。
人生も誕生から死へと変化します。
変化を否定することはできません。 変化には表現の何か本質的な意味があるように感じます。
むしろ、この世で変化しないものは何一つ無いのです。
変化をそのまま受け入れ、その中に工夫をして撮影をし表現する。
これがこの仕事でのドキュメンタリーのスタンスです。
この仕事はフィクションではない。

子供たちにどういう変化があるのか、どういう成長があるのか、それを上手に見抜きビデオに記録するのがカメラマンのウデです。
この変化を具体的に表す技術が「比較」です。
「美の中に美はない」
これは僕が高校で美術部だったときに先生に教わった言葉です。
このいい例があります。
お正月に女性が晴れ着を着ますが、その柄が派手で鮮やかなほど着ている人の顔の印象がなくなります。 よほどの美人顔でも着物に相殺されてしまう。 着物の「美」の中に顔の「美」はなくなるのです。
「美しい」と表現したいのなら、その美のカットバックを出して、それを比較できるようにすればいい。
そのカットバックが醜ければ醜いほど「美」が引き立つ。
アンチテーゼの技法も、アンチとテーマの比較です。

「美」とは、その本質はなんでしょうか。
童話に「マッチ売りの少女」があります。
発表された当時は、あまりに悲惨な死なので評価されませんでした。
雪が降り積もる中での少女の死、見た目に綺麗ではありません。
しかし、そういう背景だからこそその子の前向きな何も恨むことのない少女の清らかな心が鮮やかに浮かび上がるのです。
これが「美」です。
画家に富弘さんがいます。 彼は体操で事故を起こし重度の障害を負いました。
そういう背景があるからこそ彼の絵と文は輝くのです。 これが本当の芸術です。
これは昔、同業者の撮影であったことですが、結婚披露宴で綺麗だからといって新婦の友人のブローチとかドレスを写している人がいた。
新婦が後で見てどう思うのでしょうか? その場の主役は新婦であり、たとえ美人ではなくとも彼女こそ美しく撮らねばならないハズです。
そのビデオ屋さんの美意識が疑われます。
同じ結婚披露宴でのことです。
パブリックな会館で、新郎、新婦とも両親がいないというのを撮ったことがある。
どれほどの苦労があったことでしょうか。 想像を絶する。
そのパーティの始めにご両人の紹介が司会者からありました。
その途中、友人から「頑張れよ!」のエール。
その一言で仲居さんがエプロンをまくしあげて大泣きしています。
カメラマンの僕も、ファインダーが涙で見えなくなりました。
これが「美」です。 20年ぐらい前の出来事だけど思い出すと今でも心が熱くなる。
これを卒業ビデオアルバムに込められるようにします。

C 意外性

人は予想に反したものを見ると注意を惹かれます。
スリルは、身の危険という刺激とこの意外性を使って面白くします。
その他に手品もそうです。 予想できる手品は最低です。
即効的に面白さが出ますが、あまり長い時間やっているとしらけます。
深みのない面白さですから、2回、3回、と見ているうちに飽きます。
谷口が特殊効果が嫌いな理由はここにあります。
卒業ビデオアルバムは、何回も、また大人になってからも見て欲しい、それに耐えられる作品にしたい。 そう願うときにこの「意外性」の面白さは慎重に考えたうえで使うべきです。
そうでないと、その時は調子に乗っていいつもりでも必ず何年か経つとそこがクサくなる。
放送番組ならそのときに流れてお終いですからそれでいいでしょうが、この作品はその子のところで何十年と生き続けるものです。
このことを研修でしっかり伝えていきたいと思います。


作品を面白くするための技術4つを紹介しました。
この他にも、また違う分類法で「面白さ」について研究できるかと思います。
これは調理で言うと「うまみ」の研究になります。
絶対的な正しい答えなどありません。
一流のシェフを目指してお互いにビデオ道を精進してまいりましょう。

(3)映像で表せないもの

写真や文章になくてビデオにある重要な表現に「音」があります。
それと映像を補足するテロップというものもあります。
これらがどういう役割があるのか考えましょう。

@ セリフ

ドキュメンタリーでセリフというと何かヤラセで喋らせることと思ったら、それは間違えです。
この仕事では、「絵」を目当てどおり撮れるようになることが大切ですが、それ以上に人物の「喋り」も上手に拾えるように研修で学んでください。
カメラは違う子を撮っていても身近な子と会話をするといったことも時々ですがありました。
お泊まり保育の夕食のシーンで子供がカメラに向いていないので、その子に声掛けをしたら、それがお母さんに受けていたこともありました。
現場ならではの会話やアナウンスが臨場感を引き出すのです。

A ナレーション

これはセリフと違って作ることができます。
卒業ビデオアルバムで、先生からのはなむけの言葉、園長先生のサビの言葉、各シーンのトビラの言葉、など必要です。

人の言葉には、このようにセリフとナレーションの二通りの使い方があります。
言葉の表現には、
考え方や意思を伝えることができる。
意味や解説などの説明ができる。
過去の出来事を伝えることが出来る。
思いや、美しい、いい香り、暑い、など形容詞の表現を加えることができる。
このような効果があります。

B BGM

BGMは、その場のイメージを強調したいときにそれに合った曲で効果を上げます。
なんでもかんでもBGMを付けてそれのオンパレードにしてしまうことを「BGMのベタ付け」といって下手な編集を指します。
音源は著作フリーを使います。
著作が切れていても聞き覚えのありそうな曲は使いません。
見ている人がその曲に特別な思いを持っていることがあり、作り手では分からない意味を感じてしまう恐れがあるからです。
業務用の著作フリーの音源が一番安心です。

C S E (効果音)

ドキュメンタリーでは、ほとんど同時録音の音が現場に相応しいのですが、時々違うこともあります。
例えば、お泊まり保育で子供たちの宿の向かいのホテルでカラオケの大音響があったりします。
夕方の音を別録音して音声を差し替えたことがあります。
お泊まりで夜のシーンの後、朝を表現するのに早朝の花のアップに別録音の「小鳥のさえずり」にします。
これは僕の常套テクです。 もう20年やっている。
ちなみに、花の絵は昼間アンダーに撮ってカラーバランスを青に傾ければOK。
小鳥のさえずりは、夏の場合朝の4時半ごろがだいたいいい。
夕方のコオロギの声や、ヒグラシの声・・・
やはり欲しいですね。

D テロップ

テロップは、絵だけでは説明できないときにそれを補足するのに使います。
最近のテレビ放送ではやたらにテロップだらけです。
「喋り」を全部テロップしている。
それには理由があって、一つに耳の不自由な方のためと、視聴者がボリュームを完全に絞っていることが多く(くだらない内容ほどそうらしい)それで文字を出しているらしい。
この仕事は、放送の真似を決してしてはならない。 それを研修では教えます。
人はテロップを読み取る間は絵をよく見ていないことになる。
せっかく映像の世界に観客を引き込んだのに、そこでそれが中断してしまいます。
よほどのことではない限りこの仕事では使いません。
ただ、トップやラストなどには、説明の補足、タイトル、エンドタイトル、クレジット、などが活躍できるでしょう。

(4) 映像単語

@ フィックス

カメラを動かさないで撮ることを「フィックス」と呼びます。
カットを学ぶ上で必ず基本として身に付けなければならないものです。

その基本とは、

○ 構図の勉強のために
 フレームの中に絵を上手に収める。
 つまり「絵作り」の勉強をフィックスで学びます。
 アップでの絵作り、引き絵での構図のとり方、レンズの使い方など、
 現場で実際に撮りながら学びます。

○ 構成の勉強のために
 カットじりのタイミング、人物の出入り、絵と絵の組み合わせなど、
 フィックスを使って学びます。
 撮影では、被写体の行動をまる撮りして編集で「調理」しますが、
 どこをどうカットすれば、どういう意味になるか実際に編集をして学びます。

○ 時間軸の勉強のために
 作品全体の時間に総カット数で割ったものを「カット率」と言います。
 カット率(1カットの平均時間)が短いほどテンポがいい作品ということになります。
 早ければいいということではありませんが、この仕事では最終学年の一年間を
 どう短縮(省略)して見せるのかというところが「職業」になりますから、テンポのい
 い方が多くの場面を詰め込むことができます。
 見て飽きない時間内に情報量を増やすためにはカット率を短くした方が有利にな
 ります。
 そのためには必然的にフィックスになります。 そのことをしっかり学びましょう。

研修では、徹底的にこの基本を訓練します。

A パン

カメラを横方向に振ることを「パン」と呼びます。
右、左、による意味の違いはありません。
ただ、フレームサイズをそのままに左右に連続して振ることを「戻りパン」と言って特
別な場合を除いてしないのが基本です。
ただ、幼稚園の発表会のように1台のカメラでリアルタイムを記録する仕事では、
これを使わざるを得ません。
こういう場合には、戻るときに少しサイズを変えるとか、戻りのときにしっかりとフィッ
クスで見せるとか、パンのスピードに変化を与えるとか、なんらかの工夫をします。
しかし、卒業ビデオアルバム制作では、パン本来の意味を出したいときにだけ使います。
パンの意味とは、
「こんな広いところで」
「こんなにたくさんある中で」
「これとこれは」 パンの始めのフィックスの絵と終わりのフィックスの絵の関係を表す。 
だがこれはパンをしなくてもフィックスの2カットでつなげば同じ意味だ。
その違いは微妙なニアンスにある。 パンをした方がジックリとそれを伝えられる。
という三つの意味があります。
もちろん、カットエンドが目的の絵になります。

そのほかに看板の文字を読ませるためにパンをして撮りますが、これはパン本来の意味はありません。
別項でも説明したとおり、この場合最後に「止め」を入れずに文字をフレームアウトします。
また、人物などで動いているものに合わせてパンをすることを「パン・フォロー」と呼びますが、これもパン本来の意味はなく動く被写体に対して見せかけのフィックスです。
走っている子供をパン・フォローした場合、子供が走っているのではなく、子供を乗せた地面が走っているのです。
ビデオ特有な妙な現象です。
なお、編集で特別な意図を除いてパン同士をつながないのがセオリーです。

B チルト

カメラを縦方向に振るものです。
パンと違って、上から下と下から上では意味が違います。
ビデオ屋家業では「チルト」と呼ぶより「パン・アップ」「パン・ダウン」と言うことの方が多いでしょう。

下から上、チルト・アップ
「こういう偉そうな」
「こんなに高くて立派なところに」
チルト・アップのカットじりは、ローアングルになりますのでその意味が出ます。
そして「高さ」を表現します。
あまり立派にしたくなかったら、カットじりでカメラの軸が平行以下にすればいい。

上から下、チルト・ダウン
「こういうところで」
良く見かけるのがビルの屋上からチルト・ダウンしてそのビルの玄関になるというもの。
「このビルでこれから始まる」という意味です。
良く晴れた青空からチルト・ダウンすると、
「こんなに良く晴れた日に」という意味になります。
チルト・ダウンでは「高さ」は表現されません。

C ズーム

ビデオカメラには、スチルカメラと違って10倍、15倍、という高倍率のレンズが付いています。
これは、画質優先のスチルカメラと違ってビデオカメラでは利便性を優先しているのです。
簡単に画面の大きさを変えられるのでついつい使い過ぎてしまいます。 意味のないズームのクセがつかないようにしましょう。
表現としてのズームを考えてみます。
次第にアップすることを「ズーム・イン」または「レンズで寄る」と言います。
その意味は、「このようなところで、これが」という注目を与えます。
逆に次第にロングにすることを「ズーム・アウト」「ズーム・バック」または「レンズで引く」と言います。
意味は、「これは、こういうところにある」となります。
一般的には、ズーム・バックは、そのシーンの終わりに使います。
それは次第に引いていくことに「終了」のイメージがあるからです。
当然のことながらそういう意味があるので、ズームバックは滅多に使うものではありません。
また、ズーム・インは、注目したいもの以外に使うものではありません。
ズームは、その意味を出したいときにだけ使うということを研修で学びましょう。

D ドーリー、クレーン

カメラが移動して撮ることを指します。
横方向にカメラが移動することを「ドーリー撮影」と呼び縦方向にカメラが動くことを「クレーン撮影」と言います。
ズームレンズではレンズの「画角」が変りますが、この移動撮影では画角を変えずに被写体に動きを与えて撮れるものです。
ドーリーとクレーンを混ぜて撮るとダイナミックな絵になります。
ただ、現実的に「卒業ビデオアルバム制作」においては、それは手持ちの撮影となるでしょう。
カメラブレがどうしても起きますのでそこに十分な注意が必要です。
意味としては、被写体の背景に動きを与えてダイナミックにするということです。
また、例えば運動会のお遊戯を撮るような時で全部の子供の顔を写したい場合、カメラが移動して撮らざるを得ないこともあります。

E 画 角

映像には、「広角」とか「望遠」と言った「画角」による表現があります。
広角は、遠近法を強調します。 絵に立体感がでて広さやダイナミックさを表現します。
その特徴に、バックが小さくなる。 パンフォーカス(何ににもピントが合っているように見えること)に向いている。 手ブレが比較的目立たない。 人物の顔など輪郭が写らないために人相が変ることがある。 などがあります。
望遠には、たくさんのものを重ねて写したいときに向いています。 
意味としては、「いろいろな山並み」「ゴミゴミした人波」「たくさんのビル」などの表現が出来ます。
特徴としては、バックが大きくなる(極端な望遠では手前より奥のほうが大きくなる)。 被写体深度(ピントが合う範囲)が浅くなる。 手ブレが目立つ。 などです。
広角でも望遠でもない、人間の見た感じの画角を「標準」と言っていますが、銀塩の一眼レフカメラで「50ミリ」のレンズがそれです。
研修では、この標準レンズでフィックスの絵を十分に学んでから、広角・望遠を指導していきます。

(5) フレームのサイズ

演劇に対して映画は、アップの芸術と呼ばれています。
例えば、役者に手紙が届くシチュエーションで、舞台では役者がそれを読まない限り観客に内容が伝わりません。
しかし、映画では手紙をアップすることで観客自身がそれを読むことが出来ます。
どちらが優秀かということが言いたいのではありません。 そういう特長の違いがあるのです。
このフレームサイズを考えてみましょう。

@ フルショット

これはそこのシーンの視点のサイズです。
子供たちが遊んでいる「園庭」が視点になっている場合、園庭全体がフルショットです。 
しかし「子供」が視点されているシーンでは園庭にいる子供全部でフルショットということになります。
一人の子供を視点にしていたら、たくさんいる子供のうち、その子だけを写したサイズがフルショットということになります。
何を視点するのかでこの「フルショット」で写す範囲が違うことを研修で学びましょう。

A アップショット

フルショットに対してそれより大きく写すサイズです。
視点された被写体について詳しく説明を加えるサイズと言ったらいいでしょうか。
アップは刺激的ですがフルショットとのバランスで多すぎると長く見ていられません。
アップは、制作者の主観を表すことが出来ます。 カメラマンが何を言いたいのか分かるサイズ。
何がどうしたのかを分からせることができます。
また小道具でシャレードを利かせたい場合もアップです。

B ロングショット(引き絵)

ロングはフルショットに客観的な説明を加えるサイズです。
視点しているものに「舞台」を与えるという感じのもです。
視点しているものにどういう環境、背景、バックゾーン、があるのか分からせるものです。

C タイトショット

それぞれのサイズで意味を失わないギリギリの大きさのもの。
そのサイズのそのカットの意味をハッキリと伝えたいときに使います。

D ルーズショット

目当てのサイズのカットに余裕を持たせてジックリ見せたい時に使います。

フルショットに対してアップショット、ロングショットがどうあるのか、その例を紹介しましょう。

1人のカメラマンがビデオカメラを担いでいます。
カメラマンが撮影をしているということに視点をしたら、カメラマンとカメラが無駄なく写るサイズがフルショットで、カメラはアップショット、カメラマンがいる場所を広く撮るのがロングショット、ということになります。
被写体は同じでもビデオカメラについての話なら、そのカメラだけのサイズがフルショットで、カメラマンとカメラが写るものはロングショット、カメラのレンズだけを写せば、それがアップショットということになります。
視点によってサイズが変るということを理解しましょう。

(6) 人物のサイズ

人物に対してサイズを指定する呼び方があり、前項の視点によって変るものではありません。
人物の正面以外での撮影では、その人物の目線方向を背中より空けるのが自然です。

@ フルフィギア(FF)

一人の人物の全身のサイズです。
一人の人物を視点にしていたらこのFFがフルショットということになります。

A グループショット

舞台などで一群の人物を指します。
「上手グループ」と言ったら、舞台に向かって右手側にいる何人かの人物という意味です。

B ウエストサイズ

人物の腰から頭までのサイズです。
その人物の手の表情を捕らえたいときに使います。

C バストサイズ

人物の胸から頭までのサイズです。
人物の「喋り」を撮るときのサイズです。
インタビューサイズ。

D アップサイズ

人物の表情や仕草を捕らえるサイズです。
顔のアップ、手のアップ、足のアップ、どのようなときが効果的か研修で学んでください。
被写体の内面をえぐり撮りたいときに使います。

E クローズアップサイズ

アップよりも激しく内面に迫りたいときに使います。
この仕事では使いません。

(7) 時 間

それぞれのサイズにふさわしい時間の提示があります。

@ ロングショット

ロングは情報量が多いので長く見せます。
場面にもよりますが、おおむね7〜8秒かそれ以上です。
ロングで2秒、なんて言うことはあり得ません。 見ている人は何だかさっぱり分からないものになります。
そこのシーンの舞台がどうあるのか、観客が十分に理解できるだろう時間の長さを考えます。

A フルショット

これはだいたい4〜5秒、かそれ以上です。
視点されたものが喋りだったらバストサイズになりますが、その話しを撮る場合数分間ということもあります。

B アップショット

アップは、撮る人の主観がでます。 ですからあまり長い時間見せると撮影者の思いと違う意味が出る恐れがあります。
長くて5〜6秒ぐらいです。 それより短い方がいいでしょう。

C 動きのある絵

パンやドーリーなど絵に動きがある場合、動いている間の長さのカットになります。
必然的に長くなる。 だいたい10秒前後かそれ以上です。


「見る」という行為は、「知っていく」ということ。
「知っていく」ということは、見るものを「愛する」ことなのです。  谷口則之