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ティーデマン・ふすま賞について

 現行の「ティーデマン・ふすま賞」は、山形高等学校のドイツ語担当として招聘されたドイツ人教師Hans Tiedemann先生(写真下)を顕彰した「ティーデマン賞」に始まります。
 ティーデマン先生は、生徒たちに敬愛されながら大正10年から昭和6年まで教壇に立ちました。
 先生は、山形の風土、とりわけ山寺を「もし、自分が死んだら骨の一部を山寺に埋めてくれるように」といわしめるほどほど愛していました。
 山形高等学校第1回卒でふすま同窓会山形支部長であった故篠田秀男氏(篠田病院長)は、昭和32年にミュンヘンでティーデマン先生と旧交をあたためた際、「わたしが美しいこの世を去ったら、平和な山寺のどこか片隅へ小さな粗末な記念の石を置いて、そのそばにあなたに送った種から生えた白樺を一本植えて欲しい」という書状とともに白樺の種を託された。
 帰国後、篠田氏は三輪田輪三初代校長はじめ、恩師・同窓の有志を誘い、宝珠山立石寺の根本中堂の脇に山寺石を置いた記念碑を建立しました。残念ながらティーデマン先生は、昭和33年5月の除幕式を待たずに同年4月、74歳の生涯を終えました。

↑平成24年9月の碑供養寸景


 いま、白樺の繁みに覆われた記念碑は、立石寺の清原浄田貫主によって守られ、9月29日の先生の誕生日を中心に同窓会で供養を行っています。
 昭和34年、篠田氏らは「ティーデマン委員会」を組織、山形大学文理学部(現在は人文学部、理学部)の学生を対象に、「日独文化」に関する優秀な公募論文に与える「ティーデマン賞」を創設しました。初年度は該当論文がなかったため、公募対象を同窓生にも拡大し、昭和35年10月、山寺記念碑前で第1回授賞式が行われました。
 ティーデマン賞は、昭和58年、20回を終えたところで主宰者である篠田氏の死去により中断しました。その後、復活を望む声が大きく、昭和62年、ふすま同窓会が直接主宰する「ティーデマン・ふすま賞」に衣更えしました。論文のテーマも学生・院生にかぎり日独文化の枠をはずしました(平成17年から学位論文は除外)。
 大戦の混乱と国境を越えた師弟のあたたかい交流を秘めたティーデマン・ふすま賞は、賞金は些少であるが、同窓会と若い校友を結ぶ絆として有意義であると自負しています。
 応募の締め切りは、毎年8月31日です。




◎ティーデマン・ふすま賞委員会
  委 員 長   野 村 一 芳 ( 同窓会長 )
  選考委員長  並 河 英 紀 ( 理学部長 )
  選考委員    是 川 晴 彦 ( 人文社会科学部長 )
  選考委員    渡 辺 将 尚 ( 人文25回 )
  選考委員    岩 田 尚 能 ( 理  21回 )

◎ティーデマン賞受賞者(延べ受賞者24人)(昭和35年~昭和58年)

◎ティーデマン・ふすま賞受賞者(延べ受賞者30人、3グループ、通算54人、3グループ)
(昭和63年~令和3年)

     受賞者一覧表はここをクリックしてご覧ください