HOME研究ノート おねがい
専門知識のない研究者によって平家詞曲が紹介されると、
そこに矛盾点が生じるのは致し方ないかも知れませんが、
中にはその矛盾点を正当化しようとする方もあります。
この下には、その一例を紹介しています。

「研究ノート」ページの趣旨にあてはまるよう、
事実を客観的に述べ、学術目的の指摘をしたつもりですが、
論文ではありませんので、不快に思う方もあるでしょう。
また、平家詞曲をよく知らない方が読んだ場合、
伝承を歪めることの罪の大きさは伝わらないかも知れません。

これを念頭に、読む・読まないのご判断をお願いします。

Copyright:madoka  初版:2001年1月21日
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くどいようですが、次の文章に中傷の意図はございません。
平家詞曲を歪めて紹介した学者の一例をご紹介するものです。


◆状況◆

研究材料として平家詞曲に着眼なさった、ある学者が、夏休みを返上して
館山甲午師のもとで 2句と少し習得されたそうです。
*ご著書より判断。
習った上で研究をすすめる、その姿勢は素晴らしいと思います。

ところで、平家詞曲は、揺らぐことの無い口伝や奏法があり、
勝手に作曲したり言葉を変えることはできません
それでも相伝者であれば 調絃方法や語り方のしくみがわかりますので、
伝承を崩すことなく 語りに表情をつけることが可能になります。
甲午師も無形文化財保持者として晩年まで研究を重ね、味わい深い演奏をしました。

ところが、甲午先生の晩年の表情豊かな演奏を聴いた学者は、
「館山甲午は伝承を変えてしまった」と思われたそうで、
甲午師の没後、「自分が習ったものを何とか残そう」と活動を始めました。
薩摩琵琶や筑前琵琶の奏者を弟子にとり、甲午師のテープを使って教えたのです。

*ご自分が監修されたビデオを拝見すると、 ご自分は琵琶も語りもほとんどできないようです。
*甲午師のテープは、「変えた後」に録音されたものです。

演奏会やビデオやCDでお弟子さんの演奏を拝聴しました。
しかし、違うジャンルで身についた発声法は、平家詞曲の発声法と異なりますし
薩摩琵琶奏者は「吼える様に」、 筑前琵琶奏者は「艶っぽく」聞こえてしまいます。
平家詞曲が終わるときに弾く「琵琶の手(定型のフレーズ)」を
勝手に創作なさっているため
創作はできません! 、異質な印象が残りました。


◆考察◆

わずか2句しか習っていないのに弟子を取るのは不思議なことです。

「甲午師の味に深みが増した」ことを「変えた(悪いこと)」とするなら、
なぜ、「変えた後(悪いほう)」のテープを弟子に覚えさせるのでしょう?

さらに「変えることは悪い」と言うのなら、
なぜ、薩摩調に語りを変え、琵琶のフレーズを創作する(変える)のでしょう?

また、今井検校(名古屋の伝承者)が、“薩摩風の平家”を聴いてから、
“吼えるような語り”をなさる傾向にあります。遺憾に思います。
  追記:2005年6月に今井検校の語りを拝聴した際には、のびのびと語っておられました。
   “吼えるような語り”が相応しくないことを確信されたのでしょう。2006年3月23日

私の考え
師匠の口から弟子の耳へ、という正当な伝承がなく、
テープをまねて演奏する。これは「復元」です。
正当な伝承者の存在を無視して復元する。
さらに名古屋の伝承を歪める。
これは「伝承に対する冒涜」です。

最後に、感謝している点を述べて終わりにします。
*この学者の活動で、平家琵琶の存在が少々アピールされたこと。
*この学者が、仙台の図書館で甲午師のテープを借りた結果、
 それまで埋もれていたテープの資料価値が見直された(らしい)こと。


Copyright:madoka  初版:2000年6月11日
更新:6月23日:サブタイトルとテーブル(表)を追加
改定:2001年1月21日、4月25日:表現を見なおし

私が直接見聞きしたこと、資料から判断できることだけを述べましたが、
虚構や不適切な表現がありましたら、ご面倒でもご一報下さい。


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