専門知識のない研究者によって平家詞曲が紹介されると、
そこに矛盾点が生じるのは致し方ないかも知れませんが、 中にはその矛盾点を正当化しようとする方もあります。 この下には、その一例を紹介しています。 「研究ノート」ページの趣旨にあてはまるよう、
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読みません → ◆伝承者にもどる |
読みます → ◎ノンフィクションへすすむ |
くどいようですが、次の文章に中傷の意図はございません。
平家詞曲を歪めて紹介した学者の一例をご紹介するものです。
◆状況◆
研究材料として平家詞曲に着眼なさった、ある学者が、夏休みを返上して
習った上で研究をすすめる、その姿勢は素晴らしいと思います。 ところで、平家詞曲は、揺らぐことの無い口伝や奏法があり、
ところが、甲午先生の晩年の表情豊かな演奏を聴いた学者は、
*ご自分が監修されたビデオを拝見すると、 ご自分は琵琶も語りもほとんどできないようです。 *甲午師のテープは、「変えた後」に録音されたものです。 演奏会やビデオやCDでお弟子さんの演奏を拝聴しました。
◆考察◆ わずか2句しか習っていないのに弟子を取るのは不思議なことです。 「甲午師の味に深みが増した」ことを「変えた(悪いこと)」とするなら、
さらに「変えることは悪い」と言うのなら、
また、今井検校(名古屋の伝承者)が、“薩摩風の平家”を聴いてから、
最後に、感謝している点を述べて終わりにします。
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私が直接見聞きしたこと、資料から判断できることだけを述べましたが、
虚構や不適切な表現がありましたら、ご面倒でもご一報下さい。
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