HOME概説譜本「鵺(ぬえ)」の詞章

普段使っている譜本を翻刻した上で、適宜読み仮名を加えました。
赤字は、曲節を表しています


あらすじ
 源頼政は、保元・平治の合戦の働きも評価されず、 長年大内守護を務めても昇殿を許されなかったが、優れた歌を詠み、三位まで至った。
 仁平の頃に「変化のもの」を、応保の頃に鵺を退治した人でもある。

 仁平の頃、近衛院が、毎夜丑の刻、東三条の森の方から黒雲が来て御殿の上を覆うと、 怯えて発作をお起こしになることがあった。
 かつて寛治の頃、堀川院にも同様の発作があった時に、義家の大声で 発作が止んだという先例に習い、武士に警護させることになった。
 選ばれた頼政は、目に見えぬ変化のものを退治するという理由には不服だったが、勅宣なので、 郎等・猪早太と共に参内し、 頭が猿・胴体が狸・尾は蛇・手足は虎のような姿をした変化のものを退治した。

 応保の頃、二条の院の御寝所で鵺が鳴いたときも頼政が選ばれた。 鵺は一声鳴いたが、月もまだ出ていないので、姿が見えない。 頼政は「かぶら矢」の大きな音で鵺を驚かせ、その羽音を頼りに鵺を射とめた。


平家正節「鵺」  平家物語巻之四 平家正節二之上
口説 そもそも、此源三位入道頼政は、 攝津守頼光に五代、三河守頼綱の孫、兵庫頭仲政が子也けり。 去る保元の合戦の時も、味方にて先をかけたりしか共、させる賞にも預らず。 又平治の逆乱にも既に親類を捨て参じたりけれ共、勧賞是疎か也き。 大内守護にて年久しう有りしか共、昇殿をば未だ許されず、年長け齢傾ひて後、述懐の 
下ケ 和歌一首詠てこそ、昇殿をばしたりけれ。
上歌 人知ぬ大内山の   山守は、木隠れてのみ月を見る哉
指声 此歌に寄て昇殿許され、 正下の四位にて暫く候らはれけるが、猶三位を心に掛けつつ
下歌 登る可便り無身は木の下に、しひを拾ひて世を渡る哉
素声 偖こそ三位に成、やがて出家して源三位入道頼政迚、 今年は七十五にぞ成れける。この人の一期の功名と覚しき事は、去ぬる仁平の比をひ、 近衛の院御在位の御時、主上夜な夜な怯へさせ給ふ事有りけり。 有験の高僧貴僧に仰せて大法秘法を修せられけれ共、其の験無し。 御悩は丑の刻斗の事成りけるが、東三条の森の方より 黒雲一群立ち来って  御殿の上に覆へば、主上必ず怯へさせ  ハツミ 給ひけり。
口説 是に依て 公卿詮議有りけり。 去ぬる寛治の比をひ、堀川の院御在位の御時、しかの如く 主上夜な夜な怯へ魂きれさせ給ふ事有りけり。 其時の将軍には義家の朝臣南殿の大床に候らはれけるが、御悩の
強リ下ケ 刻限に及んで、鳴弦する事三度の後、
甲声 高声に前の陸奥国守源の義家ぞやと罵ったりければ
素声(撥ナシ) 聞人皆身の毛よだって御悩必ず怠らせ給ひけり。 然れば先例に任せて、武士に仰せて警固有るべしとて、 源平両家の兵者を撰ぜられけるに、この頼政をぞ撰み  ハツミ 出されける。
口説 頼政 其時は未だ兵庫頭にて候らはれけるが 申されけるは、昔より朝家に武士を召置かれぬる事は逆叛の者を退け、違勅の輩を亡ぼさんが為也。 斯る眼にも見へぬ変化の物仕つれと仰せ下さるる事、未だ承り
強リ下ケ 及ばずと云いながら  勅宣なれば召しに応じて参内す。
 頼政 頼み切たる郎等、遠江国の住人猪早太に、 母衣の風切矧いだりける矢負わせて、唯一人ぞ具したりける。 我身は二重の狩衣に山鳥の尾を以て矧いだりける鋒矢二ツ重籐の弓に取り添えて、南殿の大床に伺候す。 頼政 矢を二ツ手挟みける事は、源中納言雅頼、其時は未だ左少弁にて御坐けるが、 変化の物仕つらふずる仁は頼政ぞ候ふらんと撰み申されたる間、 一の矢にて変化の物射損ずる程ならば、ニの矢にて 
 雅頼の弁のしや首の骨を射んと也。
口説 御悩の刻限に及んで、東三条の森の方より 黒雲一群立ち来って、御殿の上に五丈斗ぞ靉靆たる。 頼政きっと見上げたれば、雲の中に怪しき物の姿有。
強リ下ケ 射損ずる程ならば無に在べし共覚へず。
 頼政、矢取て番ひ、南無八幡大菩薩と心の内に祈念して、 能引て兵と放つ。手応えして はたと中る。頼政、射得たりや応と矢叫びをこそしてんげれ。 猪早太 突と寄落る所を取て押へ、柄も拳も
 通れ通れと続け様に九の刀ぞ
 指たりける。其時上下手手に
下音 火を燈ひて 是を御覧じ見給へば
上音 頭は猿、骸は狸、尾は蛇は、手足は虎の如くにて、鳴く声
 鵺に似たりけり。恐ろしなん共 おろか也。
口説 禁中さざめき合り。 主上御感の余りに頼政に獅子王と云う御劔を下さる。 宇治の左大臣殿賜り次で、頼政に賜ぶとて、御前の階しを半らばかり過ぎさせ給ふ折節、 比は卯月十日余の事なれば、雲井の郭公
下ケ 二声三声音伝て通りければ、左大臣殿
上歌 ほととぎす名をも雲井に   上るかなと 
指声 仰せられ掛けたりければ、 頼政 右の膝を突き、左んの袖を播げて、月を少し傍目に掛けつつ 
下歌 弓張月のいるに任せてと 初重 仕て御劔を賜て罷り出づ。
素声 弓矢を取て天下に名を上るのみならず、 歌道にさへ達者かなとぞ、時の人々感じ合れける。 さて彼の変化の物をば空舟に造り篭めて流されけるとぞ  ハツミ 聞こへし。
口説 又、応保の比をひ、二条の院御在位の御時、 鵺と云う化鳥、屡ば禁中に鳴いて 宸襟を悩まし奉る。今度も
強リ下ケ 先例に任せて、此の頼政をぞ、召されける。
三重甲 比は五月廿日余り、まだ宵の事なれば、鵺只一声音伝て   ニ声共鳴かざりけり
 目指す共知らぬ闇なれば   姿形も見へずして、矢つぼを何くと定め難し。
 頼政、まづ謀事に、 一の矢に大鏑取て番ひ、鵺の声したる内裏の上へぞ射上たる。 鵺、鏑の音に驚いて、虚空に暫ぞひひめいたる。 ニの矢に小鏑取て番ひ、ひいふっと射切て
 鵺と鏑と並べて、前へぞ落ひたる。 
口説 禁中さざめき合、主上御感の余りに頼政に御衣を被させ御坐す。 此度は大炊の御門の右大臣公能公の
下ケ 賜り次で、頼政に御衣を被させ給ふとて
折声 昔の養由は雲の外なる雁を射、 今の頼政は雨の中の鵺を射たりとぞ感ぜられける。
上歌 五月闇 名を顕せる   今宵かなと 
指声 仰せられ掛けたりければ 頼政
下歌 黄昏時も過ぎぬと思ふにと
初重 仕て、御衣を肩に掛けて、罷り出づ 
中音 重ねての勧賞には、伊豆国賜り、子息仲綱受領になる。 我身三位して、丹波の五かの庄 若狭の東宮川を知行して さて御坐ぬべき人の由無き謀叛起こして、 宮をも失ひ奉り、我身も子孫も亡びぬるこそうたてけれ。
※祝儀 御坐しけるとぞ承る(終)。
宴席で語る場合は、※から後を「祝儀節」に語り換える。

Copyright:madoka
初版:2001年3月26日


譜本 内容の転載・引用を希望の方は、 必ずご一報下さい。