普段使っている譜本を翻刻した上で、適宜読み仮名を加えました。
赤字は、曲節を表しています
平家正節「月見」 | 八坂流「訪月」 |
---|---|
口説 六月九日の日、新都の事始、八月十一日上棟、十一月十三日遷幸と定めらる。
古き都は荒れ行けば、今の都は繁昌す。浅ましかりつる夏も暮て、秋にも既に成りにけり。
秋も漸ふ半ばに成り行けば、福原の
下ケ 新都に御坐す人々、名所の月を見んとて、 |
詢(口説) 六月九日の日、新都の事初有って、同き八月十日の日、御棟上、
同き十一月七日の日、御遷幸とぞ聞へし。舊き都は荒れ行けば、今の都は繁昌す。
浅ましかりし夏も過ぎ、秋も半に成りにけり。福原に
下ケ 御坐ける人々は、名所の月を見んとて、 |
三重甲 或は源氏の大将の昔の跡を
上 忍びつつ、須磨より明石の浦づたひ
甲 淡路の 上 瀬戸を押渡り、絵嶋が磯の月を見る。 下リ 或は白浦・吹上・和歌の浦・住吉・難波・高砂・尾上の月の曙を詠めて帰る人も有り。 旧都に残る人々は、伏見・広沢の月を見る。 |
中音 或は源氏の大将の、昔の跡を尋ねつつ、須磨や明石の浦つたへ、 或は白浦・吹上・和歌の浦・住吉・難波江・高砂・尾上の月の曙を、詠めて帰る人も有り。 旧都に残る人々は、伏見・広沢の月を見る。 |
初重 中にも徳大寺の左大将実定の卿は、古き都の月を恋つつ、八月十日余に、福原よりぞ、登りたまふ。 | 詢 中にも福原に御坐ける、後徳大寺の左大将実定の卿は、旧都の月を恋ひたまひて、
入道相国に暇乞い、八月十日余に、旧き都へ帰り登られたりけるが、
下リ 終道も、名所名所の月を見る。 三重甲 雀の松原・御影の松・生田・昆陽野の月を見る。 甲 雲井に晒す布引の瀧に映ろふ月は、 猶最と清けき影なれや。是や此求め塚と名付けしは、彼嶋のほとり也。 初重 恋故、身を失ひし二人の男の墓とかや。 初重中音 稲の湊の曙に、霧立渡る難波潟、男山の 下 月影は、石清水にや宿る覧。 呂 むつだの 初重 夜半の虫の音に、稲葉にそよぐ風の音、秋の山の紅葉の色、心を摧く便りと成る。 |
重初重 何事も皆替り果てて、稀に残る家は、門前草深くして、庭上露繁し。
呂 蓬が杣 初重 浅茅が原、鳥の臥処と荒れ果てて、虫の声々恨みつつ、黄菊紫蘭の野辺とぞ成りにける。 |
詢 大将、舊都に帰り見玉へば、人々の家々は、去ぬる夏、加茂川・桂川に壊ち入れ、筏に組浮べ、
資材雑具を舟に積で、福原へ運び下されければ、偶たま残る家々は、門前草深く、庭上露繁し。
蓬が杣、浅茅が原、鳥の臥処と荒れ果てて、虫の声々恨みつつ、
下ケ 黄菊紫蘭の野辺とぞ成りにける。 |
指声 今故郷の余波とては、近衛河原の大宮ばかりぞ御坐ける。大将、此御所に参り、
まづ随身を以て惣門を叩かせらるれば、内より女の声にて
峯声 誰や蓬生の露打払ふ人も無き処にと、咎むれば、 |
指声 今、古き都の名残とては、御妹、近衛河原の大宮の御所斗なり。
詢 大将、かしこへ参らつさせ玉ひて、まづ随身を以て惣門を 下ケ 叩かせらるれば、内より女房の声にて 折声 誰や蓬生の露打払ふ人だにも稀なる処にと、咎むれば、 |
素声 是は福原より大将殿の御上り候らふと申す。
左侍はば、惣門は錠の鎖されて侍ふに、東表の小門より参らせたまへと申しければ、
大将去らばとて、東の小門よりぞ
ハツミ 参られける。 |
素声 是は福原より大将殿の御登り候と申す。
左侍はば、惣門は錠の鎖されて侍に、東しの小門より参せたまふべしと申す。
大将偖はとて、東の門よりぞ
ハツミ 参らせ玉ひける。 |
口説 大宮、御徒然の余に、昔をや思し召出させ御坐けん。
南面の御格子揚させ、御琵琶遊ばされける折節、大将つうと参られたり、 大宮いかにやいかに
下ケ 夢かや現か、是へ是へと召れける。 |
詢 折節大宮は、月に愛させ玉ひて、
下ケ 南の臺にして、 御琵琶・御撥音、鮮やかにこそ遊ばされけれ。 |
中音 源氏の宇治の巻には、優婆塞の宮の御娘、
秋の余波を惜みつつ、琵琶を調べて終夜、心を澄し
中ユリ たまひしに、 有明の月の出でけるを、 猶堪へずや思しけん、撥にて招きたまひけんも、今こそ思し召し知られけれ。 |
中音 彼源氏の宇治の巻には、優婆塞の宮の御娘、秋の名残を惜みつつ、
琵琶を調べて終夜、御心を澄させたまひしに、有明の月の山の端より
中ユリ 出けるを、猶堪ずや思し召れけん、撥して招かせ玉ひしも、今こそ思し召し知られけれ。 |
指声 待宵の小侍従と申す女房も、此御所にぞ候はれける。
口説 そも此女房を待宵と召れける事は、或時御前より待宵・帰る朝、何れか哀れは増されると 下ケ 仰せければ、彼女房、 |
詢 大宮、御撥を差納めさせたまひて、如何にや大将、是へ是へと仰せければ、
大将、御前近ふぞ参らつさせたまひて、やや遥に御物語有り。 其後、大将、待宵の小侍従を召出させたまひて、昔今の事共を、終夜語ぞ明させ玉ひける。
抑も此女房を待宵の小侍従と申す事は、或時大宮侍従を召して、待宵と帰る朝、
下ケ 何れかはと仰せければ、侍従取敢ず、 |
上歌 待宵の、更行く鐘の
下 声聞けば、帰る朝の鶏は物かはと 指声 申したりける故にこそ、待宵とは召れけれ。 |
上歌 待宵の、更行く鐘の
下 声聞けば、飽ぬ別れの鶏は物かはと 指声 申したりけるに依てこそ、待宵の小侍従とは召されけれ。 |
口説 大将、此女房を呼び出だひて、昔今の物語共したまひて後、小夜も漸ふ更け行けば、
下ケ 古き都の荒れ行くを、今様にこそ唄われけれ。 |
詢 大将、夜更、人、
下ケ 静まって後、腰簫少し音とり、 色郢曲掛り 蒼草枯なんとす、虫の思ひ怨むなりと云、朗詠をして、 今舊き都の荒れ行く様を、今様にこそ謡はれけれ。 |
三重甲 古き都を来て見れば
上 浅茅が原とぞ荒れにける
甲 月の光は隈無くて 上 秋風のみぞ身には染むと 下リ 押返し押返し、三遍唄ひ澄まされたりければ、大宮を初め奉つて、 御所中の女房達、皆袖をぞ濡らされける。 初重 去程に、夜も漸ふ明け行けば、大将暇申しつつ、福原へこそ、帰られけれ。 |
三重甲 舊き都を来て見れば、浅茅が原とぞ荒れにける
甲 月の光は隈無て、秋風のみぞ身には入むと 下リ 是を二、三遍、謡ひ澄まされければ、 大宮を始参らせて、侍従以下の女房達、皆袖をぞ濡らされける。 初重 去程に、夜も漸ふ明ければ、大将暇申しつつ、福原へこそ、帰られけれ。 |
口説 供に候蔵人を召して、侍従が何と思ふやらん、
余に名残惜し気に見へつるに、汝帰って兎も角も云て来よと宣へば、蔵人
下ケ 走り帰り、畏まって、是は大将殿より申せと候らふとて、 |
素声 侍従、御名残惜み奉って、車寄迄立出、大将殿の御後を遥々と見送り奉って、
泪を押へてぞ留りける。大将、御供に召具せられける蔵人を召て、 侍従がいつよりも名残惜し気に見へつるに、汝行いて、何とも云て来よかしと仰せければ、
ハツミ 蔵人走り帰り、 詢 是は大将殿より申せと候ふとて、 |
上歌 物かはと、君が云ひけん
下 鶏の音の、今朝しもなどか悲しかるらん 半下ケ 女房、取り敢へず 下歌 待たばこそ、更行く鐘もつらからめ、あかぬ別れの鶏の音ぞうき |
上歌 物かはと、君が云けん
下 鶏の音の、今朝しもなどか悲しかるらん 半下ケ 侍従、取敢ず 下歌 待たばこそ、更行く鐘もつらからめ、飽かぬ別れの鶏の音ぞうき |
初重 蔵人走り帰って、此由を申したりければ
初重中音 偖こそ汝をば遣わしたれとて、大将大きに感ぜられけり。 夫よりしてこそ、物かはの蔵人とは召されけれ。 |
初重 蔵人帰り参り、此由を申したりければ
初重中音 偖こそ汝をば遣しつれとて、大将大きに感ぜられけり。 夫よりしてこそ、物かはの蔵人とは召れけれ。 |
Copyright:madoka
初版:2000年9月25日
◆譜本 | 内容の転載・引用を希望の方は、必ずご一報下さい。 |