第一章 最近の国策化学

第三節 代用品の経済


 欧州大戦の時我が国に於いて救荒草木の類に関する展覧会等が開かれ、旧に古本の塵を払って並べられた。今度の場合には余りそうした展覧を見受けない。それに代わって代用品の展覧会や品評会が催されている。古い本から代用食品を探し求める事には先ず望がなかった。それと同じく坊間に現れた代用品にも未だ此れと云う品物は極めて少ないようだ。

 前回と今度とでは其の行方に明らかな区別が認められ、確かに此の問題に対する態度としては進歩を示している。寧ろ今回の方が真剣見を帯びているからであろう。

 代用品に関する研究は決して容易なものではなく、実は大なる科学的知識を要するものである。或は言う、石油を代用品に求めるよりは厳禁を持って行って買えば何時でも買え、然も其の方が大いに安いのである。或は言う、ゴムの代用品に苦労するよりはゴムの産する地に一歩足を踏み入れる方が近道である。之等の言は、眞に然りである。然し科学者としては言われるが如き処に留まり居るべきでは無く、又入り込むべきでも無い。科学者に対しては世間は他の方法を要求するに異いない。

 非常時に際して研究すべき資源には三つの場合がある。自己の権力内に最も豊富に充分の供給を受け得る、兵時には溢れて輸出品となるべきものである。第二には国内にかろうじて供給を充し居る資源にして、然し戦時に需要が膨大すれば不足を来たす場合も少なからざるものである。第三は平時に於いても輸入に依って之を賄い居る資源である。

 第一はこれを別とし第二第三の場合に於いては科学者は如何に此の欠乏に応ずるや、(一)原料資源を要する事少なき代用品を作り(二)製造方法を改良して原料資源の需要量を減じ、(三)国内に有り貯蔵されたる資源を開発する事等に依って其の責めを果たすべきである。

代 用 品

 代用品と言われるものは多くは間に合わせのものと考えられ、又事実も其の例が多いのであるが、科学の進歩志たる場合には反って在来より其の製法、其の品質に於いて勝り其の値に於いても低廉なるものを見出し得るのである。ハーバー法に依る硝酸の如き最も良き此の例である。自動車の馬車に於けるも又之に類するものと考え得るのである。我らは代用品と言うものを斯くの如く進歩改良されたるものにのみ与える名称としたいのである。即ち代用品とは進歩せる工業の製品と言いたいのである。人造毛、特殊鋼、新合金、プラスティック、人絹、アルミニュームの如きは立派なる代用品である。尚紙製織物、人造皮、人造バターの如きは製造方法の単なる進歩にのみ依らず新しき手法に依って表われたる代用品である。次にクロムに替わるにモリブデンを加えるが如きは、其の性質の一部を利用して目的に適合せしめたる代用品である。

 代用品について需給量のバランスも考えるべきで、一噸のクロムに代えるに1kgのモリブデンでは実際上の役には立たない。砂糖大根に代えるに林檎では砂糖含有量が問題にならない。

 これに似た意味で自動車に代えるに馬を以ってするのもしばしば正しい代用品となり得ないのである。代用品は人と原料とに就いて其の需要量を、在来より少なくするもので無くては非常時に於ける眞の代用品とは言えないのである。且つ其の原料供給が国内に充分存している事を望む。

 之に就いて極めて特殊の事情より、即ち金の流出を或は必要を少なくする為、輸入品を抑制する為に人力を多数に要し価格の高まるをも顧みず国内産なるが故に特に之を奨励し需要に応ぜしむる場合があるが、これは一つの例外と見てよかろう。

 代用品の今一つの性質は其の製品の将来性を有しおるべき事である。単に非常時にのみ間に合い得て事終われば全く放棄さるるが如きものであり度くない。例えば人造ゴムの如き或はカゼイン絲の如き又は人造石油の如きは、最もこの点に就き挙げ置くべき事例である。

 代用品を論ずる時其の製品の価格も大いに考えなければならない。質に於いて数に於いて之を間に合わせ得るとしても、余り値が高価では何にもならない。人造ゴムの如きアメリカに於いては殆んど天然ゴムに近き値に於いてこれを生産し得ると称しているが、他国の例に見ると其の域に達する事甚だ遠い感がある。此処に於いて国家が強いて其の生産を希望する時は課税の方法を取る。即ち輸入品に対し高率な関税を課するのである。然し此の方法は勢い国民は高い品物で我慢すべき状態に置かれて来るのである。国民は此の高価に耐えず他に適当なる代用品を求めんとしかえって他の輸入品を新たに加うると言う結果に陥る事がある。

 之に合わせて或る品物の価格が高まる事はそれを用いて作った品物の価格が自ら高まり、其の需要が減退するのは明らかであって、仮に漆の国産を奨励する為、輸入漆の値の高まる事は自ら漆器の値を高め遂に漆器の需要を減退せしめるのみならず湿気の輸出をも減退せしめる結果となるのである。

 代用品として動力用燃料の問題はどこの国でも問題となっているが、今馬を持って動力油に代えるとすれば其の速力に於いて馬はモートルの仲間にはとても及ばない。自動車に代えるに馬を用いるとすれば一体何匹の馬で自動車一台の代用が出来るのか考えようとしても考え付かないではないか。

 馬一匹に対し牧場1.1エークルを要すると云う。しからばモートルに代えるに馬を用いれば、国内に馬の為数百萬エーカーの牧場を要し、工業国として立つ国にとっては此れに間に合う土地を有するもの殆どなし。(1エーカーは四反三畝)

 電力を動力として用いる事は水力に富む少数国を別としては此れも相当に難点を持つ。欧州に於いてはあらゆる現存の水力を完全100%に運用し得ても、今日消費しつつある燃料のわずか五分の二を満たすに足りないという。

 水蒸気の力に代えるに爆発力を利用せる動力策は新しい進境を示している。将来此の方面にデイゼルエンヂン、オイルエンヂンなどが溢れ、用途を広めるのであろう。

 動力油の問題は石炭、木材、製油残渣と各方面から解釈されている。石炭の液化は既に各国之を試みている。約1噸の揮発油を得る為に約3〜4噸の石炭を要する。即ち4000萬噸のベンヂンを作るに1億2000萬〜1億6000萬噸の石炭を要する訳となる。(日本燃料油平時五十萬噸)

 スタインベルゲルに従えば石炭より水素に依って人造されるガソリン1250萬噸を作るに40マークの資金を要し、イギリスに於いては1000萬噸に対し2億ポンドを要すと言う。之に加えるに年額50萬ポンドの経費を要するという。

 此れ等の如く石炭液化は高価なるのみならず人力を要し上記の数に対し40−60萬人の壮夫を要するのである。50億萬マークを用いれば、石油7000萬噸を求める事を得る故、液化ベンヂンの方法が果たして利益也と断ずる事は出来ない。但し飛行機用としてはオクタン価87%の優秀性を液化ベンヂンは有する事は忘れるべからざる事である。

 国内ベンゾールの産額次の如し。(ドイツは化学品を主とす)

列国のベンゾール生産高(単位 百萬噸)

日本
0.03
英国
0.17
ドイツ
0.36
仏国
0.08
米国
0.2
伊国
0.008

 木材を以って動力油を得る事は決して良法ではない。1噸のガソリンを得るに3−4倍の木材を要す。三千萬噸の油には一億立方メーターの木材を要す。

 今各国の山林材積を見るに次の如し。

各国木材産額表(単位100萬立メーター)

日本
64
独逸
49
米国
200
仏国
25
ソ連邦
200
伊国
15
英国
1

 製油副産物の粕などよりはガソリンを作るのに約5倍の原料を要する。現在の原料は750萬噸位しかないのである。また大豆粕に依る方法も有るが之は相当望みがある。

 石油乾留の時にコークスと共に得られるガソリンは石炭の1%くらい有る。化学工業の一原料となる。今欧州に於けるガソリンの価はスイス、オーストリー高く独最も低廉である。今ハンブルグに陸揚してよりの課税その他の費用を(1937年)見るに1リットルの価ハンブルグ5,11関税20,05他の課税0,52アルコール混和2,06倉庫量3,92運賃、利益その他7,30合計38,96ペニッヒ(約35銭日本は1リットル約15銭)となる。


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