いのちのきみよ。われ、きみを愛す。

=旅=

ちょっとでかけてくる、と言ってジタンが姿を消してから一週間が経とうとしていた。窓辺に揺れる白いカーテンを透かして、夜空に浮かぶ青白い月が見える。
もうこんな時間。
つい読み耽っていた本から顔を上げて月に目を向け、ガーネットはそっとため息をついた。
ジタンの腰が定まらないのは今に始まったことではない。
もともとこの奔放で風のような青年を、ひとところに留め置こうとするのが無謀なのだ。
それが分かっていたから、ガーネットは絶対に彼を拘束したりしなかった。
彼女の手綱がゆるいのを見越して、ジタンはちょくちょくこうやって飛び出してゆく。
ただ、長く城を空けることは滅多になかった。必ず二、三日で帰ってくる。なのに、今回は一体どうしたのだろう、婚礼も近いのに…。
眉宇のあたりに微かに不安を漂わせて、ガーネットが瞬く。
と、一陣の風が窓から吹き込んできた。あおられたカーテンが激しくはためく。窓を閉めようと立ち上がって、彼女はカーテンの向こうの人影に気づいた。
―ジタン!
名を呼ばれて照れながら、彼は窓をひょいと軽く飛び越え、部屋の中に入ってきた。
―お行儀悪いわ。せめてそっちのバルコニーから入ってきてよ。
口うるさいお姫さまだが、しかしその目は一週間ぶりに彼に会えた喜びで輝いている。ジタンの方も、久しぶりの彼女との逢瀬に嬉しさを隠しきれない。
―出かけよう。
開口一番、彼は言った。両腕を伸ばして、ガーネットの体を自分の胸に引き寄せながら。
―ちっちゃな飛空艇をシドから借りてきた。今からすぐでかけよう。夜の飛行もおつなもんだぜ。
リンドブルムまで足を伸ばして、あのくそ忙しいシドに会ったから、一週間もかかったのか。そこは得心のいったガーネットだったが…だが突然出かけるとはどういうことなのだろう?その論理の飛躍になかなかついていけない。
自分の体をくるむジタンの逞しい腕をはがして、彼の顔が真正面から見える位置に立ちなおし、彼女は彼を見上げた。
―どういうこと?
―報告にいかなきゃ。
ジタンは手短に即答した。
―あ…。
すぐに、ガーネットにはジタンの言おうとしたことが分かった。
―黒魔導士の村…?
―うん。ビビと。
―それからミコトと、クジャと?
―それと、マダイン・サリもな。お前のお父さんにちゃんと報告しとかないと、空から召喚獣を吹っかけられそうだもんな。
そう言ってジタンは目を細める。
うん。と頷き、ガーネットはいつの間にかまた自分がジタンの腕の中に戻されているのに気づいて苦笑した。
―ねえ。
―ん?
―それから、もしいけるのだったら、輝ける島にも行きましょう。
―……。
―テラへの入り口はもう塞がれてしまったかしら?
彼女の想いがジタンの心に流れ込んでくる。
―いいよ。あそこにはいい思い出なんてないんだし。
感謝の気持ちを隠して、拗ねた子供のようにくぐもった声でつぶやくジタンの髪を、下からガーネットが引っ張った。
―またそんなこと言って。意地っ張り。
そして居心地のいい腕の中で優しく微笑み彼女は言うのだ。
―あなたを生んだ人はいないかもしれないけど、あなたを生んだ世界はあるわ。私がこのガイアに生命をもらったように、あなたはテラに生命をもらった。わたしも、あなたを生んでくれた世界にちゃんとお礼を言わなくちゃ。
あどけない瞳で彼女は彼を見上げた。
愛しさが体の奥から突き上げてくる。その気持ちは抑えようがなくて、けれどもどう表したらいいのかわからなくて、彼はただ彼女を力いっぱい抱きしめた。
―ジタン?
―ああ。
―行くでしょう?
―ああ。
―ジタンったら、ああ、ばっかり。
―ああ。
くすくすと彼女が肩を揺らす。黒い艶やかな髪の房が、一緒に揺れる。彼女の髪のかぐわしい香りが匂い立つ。
―でも、今夜は待ってね。三箇所全部周ったら二、三日はかかるだろうから、その間の仕事を先に済ませておかなくちゃ。
―手伝えること、あるか?
ガーネットはにっこり笑った。
―ええ、いっぱい!


※それぞれの場所の出来事は、各地の名前(下の本文)をクリックしてください。リンクしてます。

黒魔導士の村。
マダイン・サリ
それから、ブラン・バル。
それぞれの場所を巡り、三日の後に、二人はアレクサンドリアに帰ってきた。

いつものようにふかふかの羽枕を抱いて、隣の執務室へ向かおうとしたジタンは、ふと足を止めてベッドのガーネットの方を振り返った。
―あっちの部屋で寝るのも今日が最後かと思ったら、ちょっと寂しいもんだな。
明日はいよいよ挙式である。
―え?もう寝るの?独身最後の夜は、街に繰り出して遊んだりするんじゃないの?
きょとんとした表情で、ガーネットが訊ねる。
ジタンは絶句して、
―お前、その言葉の意味、わかってんの?
逆に問い返す。
―結婚したらなかなか遊べなくなるから、最後の夜を楽しむのでしょう?シドおじ様がそうおっしゃってたわ。タンタラスのみんなとか…会いに行かなくてもいいの?
やはり、ガーネットはガーネットだった。
相変わらずピントのずれてる彼女にジタンは胸を撫で下ろす。
―オレにとっては、明日から以降の方が楽しみだからいいんだ。
―?どうして?
―明日の晩になったら、ダガーにもきっと分かるよ。
ガーネットの頭の上にはしばらくの間?が飛び交っていたが、だがやがて彼の言う「晩」という言葉に思い当たって、彼女は顔を真っ赤に染めた。
―ジ、ジ、ジタンったら…。
焦ってどもってしまう彼女の傍まで戻って、ジタンは笑いながら彼女の額にキスをした。
―今夜はゆっくりお休み。
こつん、と、額を合わせる。
ガーネットは愛らしく頷いて、目を閉じた。

いやしくも一国の女王の婚礼の儀である。
好むと好まざるとに関わらず、広く知らしめねばならない。当然式は盛大なものとならざるを得なかった。
儀式もお披露目の宴も、全てが終了したのはもはや東の空が明るくなる頃であった。
もの皆眠る静けさの中、疲れの残る花嫁を抱き上げて、ジタンは尖塔の階段を上っていた。
―大丈夫?きつくはない?
心配するガーネットに、ジタンは軽く応えてみせる。
―全然平気さ。お前って軽いのな。
―そ、そうかしら。
恥ずかしくなってガーネットはジタンの首にかじりついた。
―最後の仕上げだ。
日が昇りかける。明かり採りの窓から差し込む曙光が、少しずつ輝きを増しながら、はるか高みまで続く螺旋階段を照らし出す。
ようやく彼らが屋上の聖剣まで辿り着いた時には、太陽の光の矢が遥かな連山の尾根を金色に浮かび上がらせていた。
刀身の前でジタンはガーネットを下ろした。
それから二人で向き合うと、彼は厳かに誓いを立てた。
―如何なる時も、汝のそばを離れず、如何なる時も汝を愛し奉ることを誓う。
それは今日、祭壇の前で司祭が述べた誓約の真言だった。
式ではお互いにその誓約に同意するだけである。ジタンはそれをおのれの口でガーネットに誓ったのだ。
アレクサンドリアの象徴、聖なる剣の刀身の前で。
連山の上方に微かに姿を現した陽光が、清々しく聖らかな空気を貫いて差し初める。その黄金の輝きを背に受けたジタンの髪が、折からの風にきらめきながらなびいた。
光はガーネットの白い肌をも洗う。その眩いかんばせに、ジタンは思わず目を細める。
彼の誓約が終ると、その後を継ぐようにガーネットが口を開いた。
―永久(とわ)に御身のもとに侍し、永久に御身とともにあらん。
謳うようなガーネットの美しい声音が、風に乗って響き渡る。
彼女が真言を終えた瞬間、天空に残る紫紺を打ち破って黄金の光が広がった。
辺りに満ちる静謐な輝きの中で、ジタンはそっと妻にくちづけた。
二つの影は睦まじく寄り添い、そして一つに重なる。

こうしてアレクサンドリア女王、ガーネット十七世は、生涯を終える際までともにあった伴侶を、この日、得たのであった。


いとやわらかなる、いと静かなる、しかも多くを告げてやまざる、
かのひとの頬に、かのひとの額にあらわれおれる、

人のこころ魅する微笑と、燃えてあからむ血の色とは、
かのひとが善良にすごし来し日々をぞ語る。

なべて地上のものとあらそわざる平和の心をぞ語る、
けがれなき愛もつ心をぞ語る。

バイロン(斎藤正二訳)


<完>