君が愛しき言(1)


頭の中が真っ白になった。
歓喜が体の中心を貫き、震えるような衝撃が走る。
世界の始まりと終わりがいっぺんに来た気分で、ガーネットはひたすら走っていた。
ジタンがいる。
目の前にジタンがいる…!

どれだけ待ち焦がれたかしれない、愛しい人。
その胸に飛び込んで、顔を埋める。
ここに、彼は確かにいるのだ。
彼のぬくもりと、胸の鼓動を感じた瞬間、抑えてきた気持ちが噴き出した。
涙で顔をぐしゃぐしゃにして、彼女はジタンの胸に小さな拳を叩きつける。
想いは数知れぬほど渦巻いていたのに、いや、渦巻いていたからこそ、言葉は一言も出てこなかった。それはジタンも同じだった。
悪びれた様子もなく、ジタンがにっと笑ってみせる。
その屈託のない、悪戯小僧のような笑顔がまた、ガーネットの涙を誘ってしまう。
体中の水分が抜けてしまうのではないかと思うほどガーネットが泣くので、ジタンはしまいには心配になってきた。でも、どうしていいか分からず、彼はとにかく腕に力を込めて、そして彼女の名を囁いた。
衆人環視の中。満場の拍手が鳴り響く。

長年ぶりに再会を果たした感動で胸が一杯になっている恋人たちは、そんなことに気づく余裕もなかった。――だが、祝福の裏で、眉を顰める輩もいたのである。
そっと席を立ち、その場を退出する幾人かの貴族たちに目ざとく気づいたのは、スタイナーとベアトリクスであった。

城の大広間で、懐かしい仲間たちは再会を果たした。
ガーネットは離れたくなくて、ずっと彼の腕に触れていた。ジタンはその彼女の手を、片時も離さず、軽く握り締めてくれていた。
もう、離れ離れになるのは嫌だった。そんな気持ちの現れ。でも、そんなわけにはいかないことは、誰よりもガーネットが一番良く分かっていた。
ジタンにはジタンの、ガーネットにはガーネットの場所があるのだから。そしてガーネットには、どんなに愛しくても――いや、愛しいからこそ――ジタンを自分の下に縛り付けておくことはできなかった。
夜も更け、仲間はそれぞれ与えられた部屋に戻っていった。
しかしジタンはその場に残り、広間の隅でスタイナーとなにやら語り合っていた。顔つきが厳しい。それから彼はガーネットを呼び、彼女を連れて広間を出た。
「どうしたの?」
心配そうに見上げる美しい黒い瞳を、ジタンはみつめる。相手をこの上なく愛しく思っているのがありありと分かる、優しく慈しみに溢れた眼差しで。
「俺は、必ず、ダガーを迎えに来る」
質問には答えず、彼はガーネットの頭を引き寄せ、耳元で囁いた。
「君の心が変わらない限り、俺は必ず君を手に入れるために、戻ってくる」
その言葉の意味するものに思い至って、ガーネットは震えた。
彼の告白と、そして迫り来る再びの別れ。
「変わらないわ。何があろうとも、私の心は変わらないわ」
頭をジタンの胸から引きはがし、敢えて彼の目をみつめて、ガーネットは誓う。
だから、戻ってきて…必ず。
声には出さない彼女の想いを、ジタンは確かに受けとめる。
仄かに上気した白い彼女の頬を両手ではさみ、顔を近づける。
恋人たちにしか聞きとれない、ほんのかすかな囁き。
たった、一言。
ジタンのその言葉に、ガーネットは澄んだ双眸を瞬く間に潤ませた。
その瞳から涙が零れ落ちる前に彼は唇でしずくを受け止め、そしてそのまま唇を重ねた。
体の芯から力が抜けていくような、甘美な疼きがガーネットを貫く。

そして彼女が我に返った時、最愛の人はすでにそこから姿を消していたのだった。

「危ねえ…」
逃げるように城から離れつつ、ジタンは汗を拭う。
もう少しで押し倒すところだったぜっ。
イキナリ押し倒したりなんかしたら、一発でガーネットの顰蹙を買うことは目に見えている。これから長い別離が待っているのだ。最後くらいカッコよく決めておかないと、ジタンとしても立つ瀬がない。そうやって言い聞かせているうちに、またもやガーネットの唇と、自分の体に押し付けた彼女の柔らかい胸の感触が蘇ってきて、すぐに彼の体は熱くなってしまう。健全な男児である証拠ではあるが…。
ガーネットを置いて思わずその場から逃げ出したのは、このせいなのだ。
「俺ってここまでスケベだったのか…」
ちょっと自分で自分が嫌になるジタンであった。

だが本当は、そんな暢気なことも言っておれない状況なのである。
スタイナーがジタンに耳打ちしたのは、アレクサンドリアを巡るよからぬ陰謀の噂だった。

アレクサンドリアの国庫は火の車である。
ブラネ女王が晩年黒魔導士製造につぎ込んだ莫大な金は、殆ど全てが手形乱発の借入であった。リンドブルムとブルメシアを無傷で手に入れることができたなら、それは簡単に返済できたはずだった。が、彼の女王は何を考えたのかブルメシアを完膚なきまでに壊滅させてしまった。もし支配していたとしても、それでは却って財政を圧迫するのに、だ。
そして当然のことながら支配はかなわず、ブルメシア及びリンドブルムへの賠償と自国の建て直しに加えて、膨大な借金まで抱える羽目に陥っている。
アレクサンドリアに帰属する諸侯は、薄々王国の窮状を悟っていながら、何の手も打とうとしないどころか、己の財産を守ることに汲々としていた。
そんな中、ガーネットは財務総監と共に、税制の見直しを打ち出したのである。
貴族の優遇措置を廃して、平民との格差をなくそうという新しい税制の構想に、無論貴族はこぞって反対を表明していた。
だが国庫の破綻はそのまま貴族の存亡に関わる問題である。国が破産すれば、当然その処理を巡って紛糾が絶えなくなるだろう。それはアレクサンドリアに所属する貴族全体の弱体化を招くことになる。
そして新税制が施行されれば、国の財政はかなりの回復が見込めるのだ。
理解を示し、折り合いをつけようとする穏健派と、トレノ四候を押し上げて、いっそのこと国家転覆を図ろうとする急進派が入り乱れているのが、現在のアレクサンドリアなのだ。
そして急進派にとっては、女王ガーネットのスキャンダルは願ってもない好餌であった。
ジタンと女王が再会した折、席を立っていったのは、その急進派の筆頭となるキング家の子息とその一派だったのである。
スタイナーはそのことに気づき、現在の状況を詳らかにジタンに伝えたのだった。

国を巡る醜い争いの渦中で、ガーネットは一人戦っていたのだ。
そう思うと、ジタンの胸はまた痛む。
そんな中に彼女を一人残してきてしまった。
彼にできることは、一刻も早く彼女を迎えに行くことだけだった。
そして彼の計画どおりに事が進めば、アレクサンドリアの窮状も、ある程度救うことができるはずだった。

【⇒アレクサンドリア税制についての勝手な設定】