特心眼、及び心眼は、基本的にただ読み取る作業でしかない。その間、自分の意識は散り散りに千切れ、何かを感じたり考えたりすることはできない。対象が脳であれ、物であれ、残っている記憶は膨大だ。あらかじめ犯人が特定できている場合は、あたりをつけて臨むことで、的確な情報だけを取り出すことも可能だが。そうでない場合は、そこに残る全てを拾い上げなくてはならない。散漫な思考の中、必要なものかどうかを見極めながら情報を選び取っていくことは、不可能に等しいのだ。
とはいえ、全ての記憶を読み取ることは、容量的に無理がある。よって心眼者は、適当に時間を区切り、中でも、最も強い思念なり気の変化があった箇所に狙いを定め、その前後を丸ごと拾う。そしてそれを全て記録盤に残す。ディオがやったことも、まさしくこれだ。情報の選択、及び分析は、改めての作業となる。つまり、記録盤に殺人者の姿が映っているのか、もしくは、犯人に繋がる手掛りを捉えているのか等については。ディオ自身も、今はまだはっきりと確信し得ぬことであった。
部屋の蝋燭が吹き消される。スクリーンに注がれる光だけが灯りとなる。と、その明るい画面が、真っ暗になる。像映が始まる。
「ディオ、これは?」
闇ばかり続く画面に、副署長が解説を求める。
「あの転移魔法陣の部屋です。夜間は利用者がいないため、灯りを消していたのでしょう」
「うむ」
副署長は頷き、ベッツを振り返った。左手を上げ、軽く手首を捻るように回し、先に進めと合図する。しばらくすると、スクリーンの闇に一つ光点が生まれ、それがちらちらと忙しく動いた。慌ててベッツが、像映のスピードを落とす。
揺れる光点の形が、はっきりとする。炎だ。その直ぐ下に、時おり棒のような影が浮かび出る。副署長が左手を翳して合図をし、画像が止められる。
「燭台ですね」
副署長が尋ねるより早く、ディオは答えた。スクリーンには、朧な輪郭しか映っていない。燭台と言われなければ、何であるかの判別は難しい。この辺りが、特心眼の限界を示す部分であった。
物に残る記憶は、人の脳に残る物に比べ抽象的だ。しかも受け取った情報は、その瞬間から劣化を始める。記録盤に移すわずかの間に、かなり不鮮明となってしまうのだ。続いて現れた、まるで子供が青い絵の具をなすりつけたかのような画像も、ディオが「被害者、ラフラス・ドーレ聖使徒の衣です」と言わなければ、何が何だか、さっぱり分からない代物だった。
「しかし、何ですな」
副署長の向こう隣に座っている男、カーディナー署長が、腕を組んだまま言った。
「特心眼というのは、結構、いい加減なものなんですな」
言葉尻に、軽く失笑が混じる。
だったら、自分でやってみて下さいよ。
大人気ないことは充分承知の上で、ディオは呟いた。ただし、心の中で。
「では、ご自身でなさいますか?」
って……副署長?
ディオは目を丸くして、横を向いた。同じように、目を白黒させる、カーディナー署長と目が合う。
「いや、フラー副所長。私は別に」
「ご自身が難しいなら、どこか、別の町から特心眼者を引っ張って来られるとか」
「フラー副所長……」
「まあ、たとえそう為されたとしても、これほどのものは得られないでしょうな。強い思念が発せられた瞬間なら、痕跡も多く、それなりに読み取ることができるでしょうが。こういう穏やかな状況下にあるものを、見取ることは困難を極める。ディオでなければ、未だ画面には何も映らないでしょう」
副、副署長……。
思わずそう感動するディオの二つ隣りの席で、カーディナー署長が顔をしかめた。
「私とて、特心眼者の力には、感心しているのです。ただもっと、鮮明な映像を予想していたもので。ここまでに関して言えば、全く収穫はなく」
「収穫はありますよ」
一番後ろの座席で、声が響く。マーチェスだ。
「最初の真っ暗な闇は、この時間帯に転移魔法陣を使う予定がなかったことを示しています。深夜ですからね、当然です。しかし、そこにドーレ聖使徒は降りてきた。自ら使うつもりだったのか、あるいは誰かを迎えるためだったのか。いずれにせよ、それは正規の手続きを経たものではないでしょう。聖僕も伴わず、部屋の灯りもつけず、携えた蝋燭一本のみでここにいた。その不自然さが、それを証明しています」
「なるほど、確かに」
尖った顔を縦に揺らして、カーディナー署長は頷いた。
「となると、彼は待っていたわけだ。転移魔法陣から現れる者を。アルサーンスからの訪問者を」
「記録からすると、そうなるでしょうが。断定はまだ」
副署長の手が、また上がる。ベッツが映像を、さらに進める。
青い色が不規則に揺れる。蝋燭の灯りが、その足元を照らす。淡く、細い線が浮かぶ。緩やかな曲線。ディオが小声で「あれは転移魔方陣です」と解説する。
『約……束……』
急に背後で、声が響いた。ファルスの人間ではない、アルサーンスの人間でもない。掠れたような声を出したのは、像映機。スクリーンに映し出された人物の放つ声。
場が、ざわめく。そこに、
『……時間……だ』
と、また声が被さる。青い衣が、はっきりとしてくる。形、そして、その上の顔。ドーレ聖使徒の表情までもが、途切れ途切れではあったが映し出される。
「かなり、苛立っていたようです」
ディオが説明する。
「その気持ちが、強く残っていました。なので、映像も鮮明に」
「つまり、彼はどこかへ行こうとしていたのではなく、待っていたということだな」
副署長が腕を組む。
「約束の時間になっても相手が現れないことに、苛立っていた。それで――」
声が止まる。スクリーンに、異様な染みができる。聖使徒の背後、その石壁が、ちりちりと黒い炎で焼かれるかのように、揺らめく。瞬く間に穴が空き、そこから漆黒の空間が現れる。そして、歪む。
これは、自法転移――。
凄まじい魔力で空いた穴に、誰もがごくりと唾を呑む。画面全体に、暗く影が落ちる。
『……娘は?』
『知らぬ!』
そう声が鳴った後の展開は早かった。
ドーレ聖使徒の顔が、恐怖に引き攣る。ぐしゃりと異様な音がして、スクリーンが黒一色となる。これで終わりか? 虚ろにみなが思う側で、黒が揺らぐ。淡くそこに、影が浮き出る。
ぶれるように、二重の輪郭線が浮かび上がった瞬間、今度は逆に、光が画面を支配した。
「転移魔法陣か?」
聖務官の誰かが呟いた言葉に、悲鳴のような声が重なる。
『――ルダ、ルダ、ルダ――』
光と影がせめぎ合い、激しく画面が乱れる。