アルサーンスの空の下で                  
 
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「……終わりです」
 低く、ベッツが言う。ほんの少し間を置いて、部屋に明かりが灯される。
「ルダ、とは?」
 副署長の問いに、ディオが首を横に振る。
「分かりません」
「では、娘とは?」
「影にそう問われたのは、ドーレ聖使徒ですから。その、御息女では?」
「聖使徒様に、御息女はない。御子息ならいらっしゃるが」
「ふむ」
 カーディナー署長の答えに首を捻り、フラー副署長がさらに尋ねる。
「最後の、あの激しい映像の乱れは?」
「恐らくは、現場にいた者の思念の乱れと、莫大な魔力の放出によるものと思われます」
「莫大な魔力?」
「はい、少なくともあの後、人二人が消えた。転移魔方陣を使わずに、空間をこじ開けた。つまりは二人とも、自法転移で現場から消えたということになります」
「なるほど。とにかく、これで何が起ったかははっきりした。犯人はあの影だ。転移魔法陣を使った者――ではない。彼は、全てが起った後から来たわけだからな。いわば、巻き添えをくらった形に」
「そこまではまだ、分からないでしょう」
 カーディナー署長が、椅子から立ち上がる。表情に、少し嫌味な色が滲む。
「あの影と、全く無関係であるという証拠は、残っていませんでしたからな。ひょっとしたらベルナード聖使徒は、共犯者かもしれない」
 あっさりと。
 カーディナー署長は、その名を出した。ディオ達、アルサーンスの聖務官が、揃って顔をしかめる。  転移魔法陣の記録、及び、自法転移を行えるほどの魔力の持ち主ということから、自ずと的は絞られていた。絞られてはいたが、実際耳にすると、事の重さに心が沈む。完全に疑いが晴れたわけではない以上、苦々しく、その名が響く。
 ベルナード聖使徒は、町の人々に慕われていた。聖会の人間特有の、高圧的な態度や恩着せがましい言動は、微塵もない人だった。穏やかで優しく、彼の『陰』の魔法によって助けられた者は、数知れない。怪我や病気、時に心をも、ベルナード聖使徒は救ってくれた。父のように、祖父のように、そう、それこそ、神のように。彼は人々を癒し、愛し、助けた。
 その彼を、追わなければならない。無論、それは彼のことを信じ、彼を守るためである。あの影を、殺人者の姿を、ベルナード聖使徒は見ているのだ。当然、殺人者は彼を抹殺しようとするだろう。その危険から、ベルナード聖使徒を保護するのだ。だが同時に、聖務官として、疑わしき点を洗う必要がある。残念なことだが、悔しいことだが、カーディナー署長の言葉は正しい。ただ、その作業が、どうにも重々しく感じられるのだ。
「ベルナード聖使徒の御自宅は?」
「すでに押えてあります」
 カーディナー署長の言葉尻に被せるように、フラー副署長が答えた。立ち上がりながら続ける。
「ベルナード聖使徒様は、いらっしゃいませんでした。現場維持、及び、万が一にも聖使徒様がお戻りになられた時に備え、異空結界を張り、聖務官二人を残してあります」
「それで、御家族は?」
「御息女がお一人」
「その方も行方不明で?」
「いえ」
 副署長の顔が、さらに苦る。
「御在宅でした」
「何と」
 大仰にカーディナー署長は手を打ち鳴らした。
「では、まずそこからですな。早速御息女の事情聴取を。うちからも、二人ほどそちらにやってよろしいですな」
「それはもちろん、構いません。ですが」
 副署長がゆっくりとカーディナー署長の方を向く。背の高さの関係から、見上げるような形となる。地位からいっても、そうだ。だが、威厳は負けていない。
「直ぐに、事情聴取を始めることはできません。それでも、よろしいですか?」
 カーディナー署長の顔が、不満を湛え歪む。
「できないとは、なぜ?」
「聖使徒様の御息女は、もうずっと重い病に臥せっておられます。もはや神に召されることは避けられず、今年はレアロの花を見ることはできぬだろうと、聖使徒様はおっしゃっておられました。重病人の事情聴取は、聖使徒、すなわち治癒の魔力を持つ者の許可なくして、行うことはできません。近隣の町の聖務署を通じて、聖使徒の緊急要請を致しましたが。未だお返事を頂いてはおりません。本部の方にも無論連絡は入れてありますが、こちらもいつになるかは」
「それほどまでに、重い病なのですか」
 カーディナー署長が、訝しげに眉を寄せた。「それほどまでに」という言葉を、「本当に」と挿げ替えても、違和感のない顔だ。はっきりとした疑念の表情に、ディオは不快を通り越し、軽く怒りを覚えた。一番のぺーぺーであることも忘れて、口を開く。
「彼女は本当に――」
「ユロン病です」
 穏やかな声でバジルが言った。
「進行状況は、W―A。末期です。ですので、先ほどフラー副署長が申し上げましたように、事情聴取は不可能です。病状については、詳細に記録が残されておりますので、後ほど資料としてそちらに送らせて頂きます。それで、よろしいですね」
 カーディナー署長の鼻の奥で、ぐぬっと息の音が鳴る。口の両端を大きく引き下げ、乱暴に言う。
「できるだけ速やかにお願いしたい」
「もちろんです」
 フラー副署長が答えた。
「では」
 何とも気まずい空気が残るその部屋を、後にする。背後でカーディナー署長が部下をどやしつける声が響く。
「エルベッドとジーノは、聖使徒様のご遺体をお運びしろ。残りは現場をもう一度当たれ。絶対に、ドーレ聖使徒様を殺した犯人を捕まえる。分かったな」
 それで。
 ディオの胸の中にあった怒りが消えた。
 自分達がベルナード聖使徒を慕っていたように、彼らもまた亡くなったドーレ聖使徒を敬い、大切に思っていたのだ。糸屑一本ですら見逃すまいと、ファルスの町の聖務官達が石床に這いつくばる姿を見ながら、ディオはそう思った。
 その姿が滲む。元の場所に戻る。途方に暮れた表情のまま、石壁の中で待ち続けたアルサーンスの聖僕達の前に、ディオ達は再び立った。

 

 
 
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