蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十二章 魔術(2)  
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      二  

 立ち込める朝靄の向こうで、松明の火が、徐々にその色味を淡くする。炎の輪郭が、拡散するようにぼやけていくのに対し、闇に沈んでいた形は、次第に描線となって空間に浮き出てくる。
 メラン川の中央には、中州があった。一様ではないが、緩やかに流れる水面の底は浅い。馬の膝を、わずかに超える程度の深さだ。川幅は広いが、互いの矢が届かない距離ではない。まず弓で、相手の戦力を削ることも考えられるが、リブラは端からその考えを、念頭には置いていなかった。それでは、背後に森を構える敵軍の方が、有利になる。何より、無駄な時間は、もう残されていない。
 フィシュメルの援軍は、すぐ側まで迫ってきていた。歩兵が主体なだけに、いったんこちらが逃げに入れば、振りきることは可能だ。ただしその前に、この目前の敵を蹴散らさなければならない。
 リブラは、濃密な靄を睨みつけた。少しずつ、少しずつ、そこに光が射し込む。風の通り道ができる。
 怒涛の総攻撃を前にして、時は極限にまでしなり、張り詰めた。


 見上げる空の漆黒が、薄っすらと青みを帯びた色に変わっているように思い、ティトは震えた。
 もうすぐ夜が明ける。
 丸い瞳の中で、銀の星が滲む。
 このままじゃ、旦那が――。
「ティト!」
 走り出したティトの背に向かってそう叫ぶと、フレディックは振り返った。
「お願いです。作業を続けて下さい」
 声に悲痛な響きが混ざる。
「倍の報酬を払います。だから――」
「じゃが……のぉ……」
 ひどく間延びした低い声。単に年齢だけではない、この種族独特の言い回しだ。褐色の大岩を切り出して作ったかのような、見事な体格。ラグル三人分はあろうかという巨人、ジャナ族。フレディックに与えられた使命は、このジャナ族の力を借り、中州より少しばかり下がったところに堰を作ることだった。
 川は中州を過ぎると、いったん東に大きく折れる。その後、緩やかに南西へ進路を取り、王都カロイドレーンを巻き込むようにして海に流れる。その王都より東、グルビア山脈沿いに、ナバラダ森という大きな森があった。そこに、彼らは住んでいた。
 長い枯茶色の毛を持つ獣の皮を衣にし、鋭く加工した石器を手に、のし歩く。初めて見た者なら、竦み上がる光景だ。だが、性格は極めて温厚で、基本的に森の恵みを糧として、ジャナ族は穏やかに暮らしていた。しかし、自然の恵みだけでは、足りぬこともある。そういう時に、彼らはしばしば、森の外に糧を求めた。山から掘り出した鉱石類を売ったり、その巨体を生かして、人間から力仕事を引き受けることで、不足分を補充した。人間側にとっても、これは利のあることだ。しかし、意外にも、後者の方はそれほど多くを占めない。理由は、彼らの仕事ぶりに関係していた。
 仕事の依頼があると、ジャナ族はまず、それに見合う報酬を要求する。このとき、いかなる交渉も許されない。全ては依頼される側に決定権がある。これは、何も人間相手に限ることではなく、ジャナ族間でも同じであった。確かに、あの、のらりくらりとした調子で話し合いなどしていたら、いつまでたっても事は進まないだろう。円滑に仕事を為すための、これは彼らなりの知恵と言えるかもしれない。
 しかし、この点に関しては、余裕を持って報酬を用意しておけば済むことである。問題は、その先にあった。
 彼らは依頼を受けた時、その仕事の内容から自分達で勝手に計算を始める。仕事に当たる人数は、いつも十人。内容に応じて増やしたり、減らしたりということはしない。よって、計算するのはかかる日数。その間の拘束に対する代価が、仕事の報酬となるわけだ。
 例えば百本の丸太を切り出し運んで欲しいと頼んだら、五日間、銀貨十枚で引き受けると彼らは答える。この五日間と銀貨十枚は絶対で、決して変わることはない。仮に、計算通り事が運ばず、四日ほどで仕事を終えてしまったとしても、彼らの動きは止まらない。五日目も、朝早くからせっせと木を倒し、黙々とそれを運ぶ十人の巨人の姿を、依頼者は見ることとなる。だが、まだこれはいい。厄介なのは、逆の場合だ。
 十本、二十本。たとえまだ、丸太が残っていたとしても、五日経った時点で仕事は放棄される。いや、依頼者にとっては放棄だが、彼らからすれば、それが終了なのだ。しかも、一度終わった仕事に対して、彼らは興味を持たない。続きを、残りをと懇願しても、彼らは不思議そうな顔をして、こう繰り返す。

 
 
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  第二十二章(2)・1