蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十二章 魔術(2)  
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「……えっ?」
 慌てて立ち上がったので、危うく胸に抱いたティトを、フレディックは落としそうになった。
「お〜い……お前……何を……やってるぅ……」
「そのぉ……仕事は……終わった……だろう……」
 訝る仲間の声がかかる中、エッテはまた一つ、大きな岩を引きずり、それを川の中へと放り込んだ。
「これは……新しい……仕事の……分だぁ……」
 仲間がなおも首を傾げる。それは、フレディックも同じであった。
「新しい仕事?」
 エッテの茶色い目が、フレディックを見下ろす。瞼が半分、その目にかかり、ごろんと表面が動く。
「朝日がぁ……昇ると……共に……わしらはぁ……あそこに……立つ……それが……新しいぃ……仕事だ……じゃが……トレダは……帰ってしまって……立てない……ロットも……パラドもぉ……ホーナも……立てない……だから……あれはぁ……その……代わりだ」
「そうかぁ……あれは……トレダの代わり……かぁ……」
「ちょっと……待て……トレダはぁ……あの岩より……もう少し……大きいぞ……」
 随分と時間をかけてそう言うと、ジャナ族の一人が切り出した岩に手をかけた。顔の辺りまである高さ、太い木の幹のような両腕を回しても届かぬ大岩が、ずるりとその身を滑らす。
 足音に重い響きを加えながら、ジャナ族は渾身の力でそれを押した。土手を降りる。そのまま、川に入る。水飛沫が散る。巨大な岩がまた一つ、水の中に鎮座する。
「これはぁ……トレダの……代わりだ……」
「待て……トレダはぁ……もう少し……小さいぞ……」
 フレディックの目が見開かれる。ティトの目と口が、丸く開く。どんなに願っても叶わなかった光景が、目の前で繰り広げられる。岩の隙間が、みるみるうちに埋められ、そして、闇が薄れる。
 鈍色の川面に、朝一番の光が落ちる。川幅いっぱいに連なる岩。その前に立ちはだかる六人の巨人。その太ももまでしかないはずの水面が、不満げに膨れ、侵略者の腰を、さらには胸の辺りを激しく打つ。
 それでも巨人は動かなかった。じっと川上を見つめ、山のごとく動かない。グルビア山脈を超えた朝日が、さらに明るく輝く。
 光を半身に受けながら、巨人は胸を張った。美しさを覚えるほど厳かなその姿を、ティトとフレディックは、じっと見つめた。ただ見つめ、立ち尽くした。


 明け方。
 日が昇りきるまでのわずかな時間。その間に、川は恐ろしいほどの勢いで、水かさを増した。中州はもう、すっかり見えなくなっている。
「よもや、このような魔術をお使いになるとは、思いもよりませんでした」
 憤怒の気だけを漲らせ、静まり返る対岸を見つめながら、サドートロが言った。
「夜を徹してしかけた罠が、無駄になりましたね。せっかく、一矢報いる覚悟を決めていたのに」
 しかし、それには答えず、シオは静かに呟いた。
「この、美しい森を失わずにすんで、良かった」
 後ろを振り返る。草地に仕掛けられた、馬の足元をすくう原始的な罠。キーナス軍の突撃と同時に、その罠に沿って自軍を下げ、森の奥深くへと誘い込む。そこに堆く積まれた藁の山に、火を放つ。一つではない。列となって、壁となって、それはキーナス軍を迎える手筈であった。
 だがこれを、無傷で成し遂げられるとは、考えていなかった。露ほども、シオは思っていなかった。
 誰も、失わずにすんで良かった……。
 心の底から思う言葉を、胸の内だけで呟く。そして、厳しいままの視線を、対岸に移す。そこから発せられる気に、唇がきつく結ばれる。
 ヒュールの砦での戦いは、熾烈なものとなるであろう。リブラの隊は、怒りの矛先の全てを、そこに向けるだろう。追いすがる我らがその背後に食らいつき、キーナス、フィシュメル、両国の援軍がさらに入り乱れて……。
 若芽色の瞳が、冷えて固まる。その目を、遠く山の彼方に向ける。
 後は……。
 シオは空を見上げた。遠く意識をそこへ飛ばすかのように、目を閉じる。
 稼げるだけの時は稼いだ。後は頼んだぞ。アルフリート……。

 

 
 
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