オロンジの滝への信仰心など、もちろんテッドにはない。だが、清らかで美しい水に対する気後れはある。躊躇なく歩みを進めるギノウよりも強く、テッドは抵抗を感じた。恐らくそれは、文明の差から来るものであろう。
欲するままに破壊し尽くし、修復不可能となって初めて、自然との共生というものを真面目に考えるようになった自分達は、どうしてもそこに後ろめたさを覚える。手付かずの自然というものに、深く頭が下がる。無論、その気持ちはギノウにも少なからずあるだろう。村人達のように神格化こそしていないが、滝壷の中に山道の泥を持ちこまないよう配慮する行為に、それが伺える。その上で、堂々と自然に向う。凛と対等な立場で挑む。テッドは、そんなギノウの姿を少し羨ましく思いながら、後を追った。
「こっちです」
霧のシャワーの向こうから、ギノウが手を伸ばす。滝の真下を通ったわけではないが、二人ともすでにずぶ濡れであった。
突き当たりにある、大きな黒い岩に這いあがる。滝の裏側に回る。そして呻く。
「ここ……が……」
「先に行きますね。暗いので気をつけて下さい」
そう言って、ギノウがひょいと岩陰に隠れるのを、テッドは呆然と見つめた。
しばらく、動けなかった。滝裏のスペースは、奥行きが一メートル足らずの狭いものだった。地層の違いか、あるいは風の影響か。地上から三十メートルくらいまでの部分の岩が、抉られるように侵食を受けていた。期待した空洞は、さらにその先。人一人、やっと通れるか通れないかの、小さな避け目を進まなければならない。
とてもじゃないが、アリエスは通れない。つまり、アリエスはそこに、
……ない。
「何だ? これは」
深いテッドの溜息に合わせ、裂け目がそう囁いた。奥から響いたギノウの声に、とりあえず反応する。止まっていた足を、引きずるように進める。両サイドの岩に手をつきながら、真っ暗な、狭い空間を伝い歩く。
「見て下さい」
裂け目を抜けるや否や、テッドは少し上ずった声のギノウに腕をつかまれた。引き寄せられるまま、最後の一歩を踏み出す。裂け目から体が離れ、遮られていた外からの光が暗闇に射し込む。
一筋の光が、空洞の中を淡く照らした。もし今この瞬間、神の奇跡を説く者があれば、テッドは迷わずその者の手を取り、深く入信の意を示したであろう。
興奮を落ち着けるように深呼吸する。震える手で懐を探り、ペンライトを取り出す。そして、確かに見覚えのある色に向って、光を放つ。そこに浮かび上がった、完璧な輪郭に胸を熱くする。
「……アリエス」
アリエスは、滝裏の大きな空洞の、ちょうど中央に静と佇んでいた。一体、いかなる奇跡が起ったのか。理解するのにそれほど時間はかからなかった。思わず前に踏み出した足が、軽い音を刻む。ひんやりとした波紋が、そこから広がる。
「気をつけて下さい」
ギノウの声が響く。
「この湖も、かなりの深さですから」
「ああ、分かっている」
テッドが答える。
「高度120キロメートルから墜落したアリエスが、潜りこむだけの深さがあるってことはな」
首を傾げ、ギノウが不思議そうな目を向ける。その顔に、テッドは心の底からの笑みを返した。