蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第十一章 神の宿る山(2)  
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      二  

 不意に明るさを感じ、テッドは顔を上げた。杉に良く似た大木の合間を、縫うように進んできた足を止める。空が広がっている。しかも、不自然に見渡せる。
「これは――」
 小さく息をつき、テッドは視線を左から右に滑らせた。
 巨大な鎌で一振りされでもしたかのように、木立の上部が削げていた。雷が落ちたわけでも、土砂崩れが起ったわけでもない様に、人足達が身を竦める。気持ちはテッドも同じであった。ただし、理由は異なる。一体この山にいかなる怒りがもたらされたのかと怯える彼らと違い、テッドは衝撃のあまりの大きさに不安を覚えた。無事、なのかと。
 構造上アリエスは、エンジンが停止するなどのアクシデントがあった場合でも、滑空できるように作られていた。補助翼を開き、浮力を得て、何とか墜落だけは免れるよう設計されているのだ。しかしこれは、成層圏以下の空域での事故に限られており、大気圏内突入と同時に放り出された場合は想定していない。そもそもそういう状況下では、地表に達すること自体が困難を極めるからだ。
 大気圏に突入する際、その角度は狭い範囲に固定される。突入角が浅ければ大気圏に弾かれてしまうし、深過ぎると、船体の耐久度を超える熱で破壊されてしまう。ただし、現代の技術をもってすれば、たとえ一度の狂いも許されない突入角であったとしても、難しくはない。しかしあの時エターナル号は、その技術を駆使する前に、突入を強いられたのだ。
 猛スピードでカルタスと第一衛星との間をすり抜けた船は、一気に大気圏突入を試みた。ルート設定しないままの強行に、メインコンピューターが着陸停止の警告を繰り返す。その横で、ミクが冷静に計器を読み上げる。
「仰角、13度、15度、20度――」
 まだ、浅い。
 その時、テッドはそう思った。弾かれる、と確信した。減速も不十分だ。しかしエターナル号は、すなわちユーリは、そこから奇跡を起こした。
 高度を保ったまま、機首が持ちあがる。巧みな操縦で、速度をマッハ24まで落とす。「高度160、140」、幾分高めのミクの声が示す通り、カルタスに向って落下する。シミュレーションでもあり得ないほど、理想的なコースを辿り大気圏に突入する。
 やった――と思う暇はなかった。その瞬間に、エターナル号は衝撃を受けた。強いエネルギー波が格納庫を吹き飛ばし、アリエスは二機とも空中に放り出された。もっとも、これは不運な出来事などではなく、むしろ幸運であったと喜ぶべきものだ。もし、大気圏への突入前に、アリエスが吹き飛ばされていたのなら。不時着という奇跡を望むことすら、できなかったであろう。
 しかし――。
 テッドは眉を険しく寄せた。
 今はその幸運に、感謝する気持ちは全くなかった。無事に着陸を果たしていない限り、宇宙空間のどこに漂っていようが、地上に着く前に塵となって消えていようが、同じだ。砂漠のアリエスは、使い物にならなかった。この森のアリエスは、どうなのか。腹を激しく木々に擦りつけたことが、衝撃を吸収する形に繋がったのか。それとも機体に深手を負わせることになったのか。テッドは後者に傾きかける気持ちを振り払うように、強く首を振った。
「今度こそ、もう直ぐですよ」
 腰を曲げ、大きく頭を振ったテッドにギノウの声がかかる。疲れたのではないかと気遣う言葉は、胸の内の不安こそ払えなかったが、十分な励みになった。最悪の結果に終わるかもしれない――のだとしても。ようやくゴールに辿りつくことを、テッドは素直に歓迎した。
 ギノウの言う「今度こそ」という言葉は、水の音のことだった。川ではない滝。霊峰ヤスゼ山の御神体、オロンジの滝の音だ。落差はおよそ百十メートル、前面にかなり大きな滝壷があるらしく、そこから流れるトオバネ川は、オサノガセ村を越えた辺りで他の二つの川と合流し、コヨマテ川と名を変え都にまで流れている。その水音を、もう小一時間ほど前から認識していたのだが、歩けど進めど姿を拝むことができなかった。それどころか、どうかすると音が小さく遠ざかることに、テッドは思わず愚痴を漏らした。
 睨むように前方を見る。景色は相変わらずうっそうとしていたが、ギノウの言葉を信じ、さらに進む。目の前に塞がる梢を避け、頭を低く屈める。と、急に、音がぐるりと空間を巡った。大きく広がるようなその感じに、テッドは足元に据えていた視線を上げた。
 煌きが目に入る。頬に風を覚える。いつの間にか空気に、しっとりとした艶が含まれていることに気付く。深く、長い息を吐く。

 
 
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  第十一章(2)・1