蒼き騎士の伝説 第六巻                  
 
  第十七章 失われた欠片(4)  
           
 
 

 エルフィンの少女は、微動だにせず立っていた。長い銀糸の髪と、体をしっかりと包み隠す形の白い衣の端だけが、時折風に煽られている。特に表情もない。ただじっとこちらを見据えている。だがそれは、あくまでも表面だけの穏やかさであって、内面は違っていた。
 嵐のように心が乱れる。占められた想いは、純粋なまでの不安。未だ薄い膜のような輪郭しか持たぬ少女の心は、ほんの少しの揺らぎでも安定を欠いてしまう。距離にしてたった五メートル。自分が離れただけで、こうも怯えてしまう。
 ユーリは小走り気味に、フェルーラのもとに歩みよった。嘘のように、嵐が静まる。少女の顔に、ほんの少しだけ柔らかな動きが施される。
「……で」
 タイミングを探るかのように、サナの口から一音だけが零れた。ユーリが振り向いたのを受け、ようやく言葉を吐く。
「これからどうするの? 奥まで行ってみる?」
「出来れば、そうしたいけど」
 膝を抱えたまま上目遣いで見つめるサナに、ユーリが声を返す。
「思ったより森は深そうだから。島の探索は、ミク達と合流してからにした方が」
「でも、ちょっと時間がかかりそうだって、オフトファー島を離れる時ミクが言ってたじゃない? かなり待つことになるかもしれないわ。その間ずっと、ここにこうしているの?」
「そうは言っても」
「問題は、彼女……なんでしょう?」
 彼女とういう部分だけを囁くように呟いて、サナが続ける。
「確かに彼女に留守番を強いるのは、ティトより難しそうね。だからいっそ、反対にしてみれば?」
「反対?」
「置いていくんじゃなくて、連れていくの。わたしじゃなく、彼女をね。何かを発見した時の調査は、パルコムを通してでもできるし。どうしてもわたしが現場に行く必要が起こったら、その時こそミク達と合流してからにすればいいし。とにかく落ち着かないの。何もしないでこうしているのが。この間にもウル国は、シャン国は――そう思うと」
「サナ……」
「悔しいわね。この足がちゃんと動けば、ユーリにティトを抱いてもらって、みんなで行けるのに」
「それはどうかな」
 サナの表情が薄っすらと翳るのを見取り、ユーリが言う。
「たとえ君が、森の中を一人で歩けたとしても。やっぱり探索は諦めただろう。彼女を……」
 ユーリの目が、再びフェルーラに向けられる。
 離れていた時には縋るような、何かを訴えるような強い目で自分を見つめていたが。今は安心しきって、漠然としか物を捉えていない。海と砂浜と、左端の自分の姿、右下の隅にサナの姿を辛うじて瞳に映すだけで満足している。それが彼女にとっての、世界の全てとなっている。
 そんなフェルーラの心を乱さないよう気を注ぎながら、ユーリはサナに向かって言葉だけを静かに放った。
「こんな状態の彼女を、連れていくのは無理だ。正直、アリエスから降りるだけでも、難しいと思っていたくらいだから。外に出れば、たくさんの気に囲まれるからね」
「それは、どういう意味?」
 ユーリに合わせるように、声のトーンを落としてサナが問う。
「気に囲まれるって、どういう? アリエスには、気を防ぐ力があるの?」
「いや、アリエスにそんな性能はないよ。大体、気というもの自体、形はないし、実体もないし。未だその定義もあやふやなものだからね。でも、どう言ったらいいのかな。人には気持ちが通じるということが確かにあって、それは相手の存在を身近に感じた時によく起こることであって。ただしこの身近というのは気持ちの上の話で、実際の距離であったり何らかの物質で遮られるようなものではないのだけど。それでも例えば、こうして話をしている君と僕の間に、大きな石の壁があったとしたら。やっぱり気持ちは今より少し離れてしまうだろう? 少なくとも瞬間的に、今の状態は断ち切られてしまう――って、よく分からないよね、こんな説明じゃ」
「そうね、確かによく分からないわ。でも」
 サナの顔から翳りが消える。いかにも聡明そうな煌きが、瞳の奥に宿る。

 
 
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  第十七章(4)・3