蒼き騎士の伝説 第六巻                  
 
  第十八章 水の民(2)  
           
 
 

 奇妙な姿を見つめるうちに、警戒心が薄れ、好奇心が沸き立つ。愛玩動物に共通する、いかにも純朴そうな光を湛えた目も、ミクの心に影響を与えたかもしれない。
 向けていた銃口を、下方に下げる。無垢な光を放つ目と視線を合わせたまま、じりりと足を動かす。一呼吸ごとに数センチ、逸る気持ちと戦いながらにじり寄る。その動きに合わせ、相手のつぶらな瞳が徐々に上目遣いとなる。
 鱗は頭部だけではなく、首から下をも覆っていた。肩、そして腕、骨格からして四つ足ではない。つまり、今見えているのは足ではなく手。認識に三度目の修正を施しつつ、ある決断をする。ミクの足が止まり、代わって薄い唇が動く。
「あなたは、誰?」
 音として捉えたか、それとも言葉として悟ったのか。大きな耳をぴくりと動かし、体を強張らせる相手に向かって、さらに話し続ける。
「私を襲ったのは、あなた?」
 反応はない。やはり、言葉を理解できるような生物ではないのか。
 いや、ひょっとして。
 ミクの口が、再び動く。言語を変えて、最初の問いかけを繰り返す。
「あなたは、誰?」
 キーナスの言葉が、通じるわけがないか。
 予想通りとはいえ、無反応を示す相手にミクは眉を寄せた。
 キュルバナン語も、古代語と呼ばれるエルフィンの言葉も、恐らく理解してもらえないだろう。シュイーラ? ウル? スクーマ島の人々でさえ知らぬ言語を、彼らが操るとは思えない。ここにサナがいれば、もっとたくさんの言葉で話しかけることができるのだが。とりあえず試してみる価値がありそうなのは、地球で学んだカルタスの言語、残り二つくらいか。
「あなたは、誰?」
 これも違う。
「あなたは、だ――うっ」
 車が急ブレーキをかけたかのような音が洞窟内に響き、ミクは思わず両手で耳を塞いだ。その拍子に、瞼も閉じてしまいそうになるのを、辛うじて踏み止まる。目の前には大きな水紋。悲鳴とも取れる奇怪な雄叫びを上げた後、あの生き物が深く水の中に潜ってしまったのだ。
 反響が収まるのを待って、耳から手を放す。まだ波紋の残る水面に、とりあえず銃を向けつつ考える。
 もう、戻って来ないかもしれない。
 失望感を伴うその判断を、新たな波が否定する。水面に刻まれた複雑な模様に、ミクは緩みかけた警戒心をもう一度ピークに上げた。
 一つ、二つ、三つ。
 ぽかりと浮かび上がった青緑色の鱗頭に、半歩後ろに下がる。
 四つ、五つ。
 乱れる波紋に収まる気配はなく、あっと言う間に十数もの鱗頭が水溜りを埋め尽くした。
 もし、一斉に跳びかかって来たら。
 ミクの足が素早く二歩下がる。
 それよりも、もしまた一斉にあの声で叫ばれたら。
 さらに間合いを取り、衝撃に備える。正面の、一番前にいる生き物の口が、ゆっくりと開くのを睨むように見つめる。
「ゴポ、ゴポポ、ゴポ」
 最初、ミクの耳にはそう届いた。水の中に逆向きに沈められたコップから、空気の泡が漏れ立ち昇る時のような音。それが、ごくささやかに響く。
「ゴポゴポ、ポポ」
 しかし音はコップなどではなく、生き物の平たく突起した口から聞こえていた。そう意識してみると、単純な音の下に多様性があることに気付く。
「オマエ――コプ、ハ――コプ、ナンデ」
 舌を、口腔内のどこにも接触させないで発声する音を多く含み、テッドとユーリのみならず、自分もマスターするのに一番手こずったカルタスの言語。いや、正直マスターまでには至っていない。聞く分には問題ないが、話す方には限界がある。どう頑張ってもこの発声法には無理があり、長い文章だと途中で息が詰まってしまうのだ。
 できるだけ短く、ただし要点は的確に会話を進めなければならない。
 難解な言語の使い手である生き物を、ミクは険しい表情で見据えた。言葉を選ぶ作業に手間取る。先に、相手の方が口を開く。
「ナンデ、オレタチノ、コトバヲ?」 
 確か、前にも一度。
 問いかけに、軽いデジャブを覚えるミクに、さらに生き物は畳み掛けた。
「俺達ですら、もう使う者がほとんどいないというのに」
 そう生き物が紡いだ言語は、グルームスラン一帯で広く使われている人の言葉であった。ただし、コポコポとした響きは健在だ。お陰で、ひどく聞き取りにくく、まだ彼ら自身の言語で話してもらえる方が、意思の疎通に間違いがないとミクは判断した。

 
 
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  第十八章(2)・2