蒼き騎士の伝説 第六巻                  
 
  第十八章 水の民(2)  
        第十八章・1へ
 
 
 

 

      二  

 ミクは、頬に冷たい刺激を覚えた。続いて、ゴボゴボとこもるような響きが、辺りに満ちているのを捉える。喉の奥には軽い痛み。口に、あるいは鼻に、大量の水が流れ込んだことを示す痕跡だ。胸に苦しさはない。呼吸も至極穏やかだ。手足もこの通り、自由に伸ばすことができるし、目も、
「――あっ」
 高い水音が反響する。反射的に、顔を音の方に向ける。洞窟の中の水溜りに、大きな波紋が三つ、重なり合いながら広がっている。
 何かが落ちた――違う、何かが逃げた?
 ゆっくりと上体を起こす。素早く周囲に目を配る。
 先ほどの洞窟とは違っていた。大きさは似たようなものだが、入り口がない。仄かな明かりは洞窟の上部、二つある小さな裂け目から降り注いでいる。ワイヤーロープを使えば登れないことはないが、体を外に出すだけの十分な隙間があるようには思えない。
 一応、試してみるべきか。いや、その必要はないだろう。そんなところから、落ちた記憶はない。自分は沈められたのだ。誰かに足をつかまれ、水の中に引きずりこまれた。
 ミクの目が、再び水溜りに据えられる。波紋はもう消えていた。だが、見た目の静けさとは異なり、妙に緊迫した空気を感じる。
 まだそこに、何かいる。
 直感に従い、ミクはそっと懐を探った。途端、表情が強張る。
 パルコムがなかった。襲われた時に落としたのか。あるいは水の中でもがくうちに沈めてしまったのか。とにかくこれで、ユーリに応援を頼むことはできない。この場は、自力で脱出するしかない。
 ミクの顔から、険しい感情が消える。理と知に支えられた、冷静さが戻る。
 幸い、レイナル・ガンは無事手の中にあった。エネルギーパックは入れ替えたばかりだから、弾数を気にする必要はない。相手は恐らく三――人。人と数えるべき存在であるかは不明だが、よほどの難敵でない限り、倒せない数ではない。出来れば、ここは脅しをかけるだけに止め、上手く切り抜けたいところだが。
 ミクは銃を右手に持つと、低い姿勢で水溜りに一歩近付いた。ぴくりとも動かない水面を睨みつつ、さらに間を詰める。音もなく、水鏡に皺が寄る。水溜りの右縁にある、三十センチほど突き出た石の陰から波紋が広がっていく。
 ミクは、息を殺したまま銃を構えた。これ以上、水辺に近付くことは危険に思えた。相手の方が先に焦れて、飛び出してくるのを待つしかない。長い根競べとなりそうだ、そう覚悟を決めた矢先、空気がわずかに動く。
 ひたりと湿り気を含んだ音が響くと共に、水溜りの縁に何かが掛かる。
 人の……いや、とにかく誰かの手。
 ミクの脳が、判断に苦しむ。
 限られた光しか届かない、やや蒼ざめた色彩で洞窟内が占められていることを差し引いても、その肌は人に比べ青過ぎた。しかも、全体に淡く小さな波模様がある。指は五本。もっとも、それらは完全に独立しておらず、水かきと思しき薄い膜で繋がっている。爪に、さほどの鋭さはないが、全て大きく内側に曲がっており、滑りやすい地面をしっかりと掴む役目を果たしている。
 そこまで観察し終えたところで、ミクの脳が新たな見解を導き出す。
 手……ではなく、何者かの足。爬虫類のような、人ほどの大きさがある、そういう生き物。
 水面に、また波紋が広がる。石の上に雫が滴る。不可思議な生き物の頭が浮かび上がる。
 足と同じく、少し緑がかった青い皮膚。波模様は――いや、こうしてよく見ると、模様ではなく鱗のようだが、それが、毛髪のない頭部全体を覆っている。肌合いはまさしく爬虫類。でも、形が予想とはかなり違っていた。
 頭は人のように丸い。その両サイド、やや高めの位置に大きな耳が付いている。形状は、人というより犬。水かきと同じような質感の、それをもう少し分厚くした感じのものが、ゴールデン・レトリバーの耳のように垂れている。顔も同じく鱗はなく、目、鼻、口の全てが正面を向いている形は、サルを連想させる。ただし、口元の印象はかなり異なる。明らかに他とは違い硬質な、少し出っ張った形をしており、そこだけ見るとアヒルか何かに喩える方が相応しい。
 これは、一体?

 
 
  表紙に戻る         前へ 次へ  
  第十八章(2)・1