何でも屋キャンディのお仕事ファイル                  
 
  第一章 それが始まり  
           
 
 

「金があるなら、それでよし。さっさとここから――おわっ!」
 キャンディは、意志の力を突破して、その小振りな口元から漏れ出た音を、両手で押さえ込んだ。だが、彼女の示した驚きは、その顔にしっかりと現れていた。
 大きく目を見開く。空色の瞳の中心が、細く萎む。
 あの石は――ブルー・スター……?

 空の彼方に佇むは 金の乙女と銀の乙女
 薄紫の花衣 手繰り寄せるは白き肌
 すらりと伸びたその背の後ろ 輝く髪を二つ連ね
 互いに微笑み手を取りて エトールの頂き仰ぐべし

 異国の言葉で語られる、この詩に出てくるエトール山。その山の奥に眠る、神秘の柱に石は奉られているという。
 ただし、この詩自体は、『天空物語』というお伽噺の中のものだ。それが、どういうわけか幻の宝石といわれるブルー・スターと結びついて、語られるようになった。
 だが、思えば幻の宝石というのも、かなり嘘くさい。もちろん噂は、山ほど聞いた。
 普通、宝石というと、削り、磨きをかけて美しくなるものだが、その石は天から生まれ落ちたかのように、限りなく滑らかな球体をしているのだ。その名の通り、青く輝く玉の深部に、白く星のように煌く筋が出るのが特徴で、真っ暗な闇すらも照らすと言われている。古代、グルニッジ王国の興亡を描いた叙事詩に、初めてその名が出てきて以来、歴史書、小説、真偽を問わず、様々な書物を賑わしてきた。そして、当たり前のように、その存在は肯定された。
 お蔭で、現実ではいろいろと、面白いことが起きた。共通の認識のもと、まがい物が出回ったのだ。自分の家に隠し持っている青い石が、ブルー・スターなのだと信じている金持ち連中は、かなりの数となるのではないだろうか。この場合は、偽物を本物と偽ったわけだが、堂々と偽物として売る輩もたくさんいた。宝石屋はもとより、ちょっとした観光地に、必ずといっていいほどそれは並ぶ。昔、この地にかの石があったという伝説をおまけにつけて。
 ここまで考えると、ますますブルー・スターの存在が怪しく思える。何やら上手く、商売に乗せられただけではないだろうか。夏の暑い日に、ダルドル魚を食べれば精がつくと、デタラメを言って儲けた魚屋とか。女性が愛の告白をする時は、カシュラという菓子を男性に渡すといいなどと、これまた嘘八百をついて大儲けした菓子屋とか。それらと、同じことではないだろうか。
 ――と。
 ほんの一瞬前まで、キャンディはそう思っていた。
 だが、これは……。
 キャンディの瞳孔が、さらに細る。
 ニコルが取り出した、その拳ほどの青い玉は、宝石屋の店先や、ましてや、土産物屋に釣り下がっているものとは、まったく違っていた。
 まず、その青さが普通でない。石の持つ重さがない。喩えるなら海。液体の持つ艶と揺らめき。しっかりとニコルの手に握られているのが不思議なほど、その存在は柔らかく見える。
 一方、その神秘の海に抱かれている星は、強い。単に輝きの強さだけではなく、凛とした鋭さがある。しかも、一体どういう加減なのか、光り方が一様ではないので、輪郭が絶えず揺らいでいる。まさしく星の瞬きが、そこにあるかのようなのだ。
 これは……本物だ。
 直感的に、キャンディは確信した。改めてニコルを見やる。渦巻く疑問の嵐の中から、一つを選び出し言葉にする。
「これを、どこで?」
 だが、その一つを口にしたことで、歯止めがきかなくなる。
「どうして、こんなものを? どうやって手に入れた? そもそも、お前は誰だ? どこから来た? なぜこの町に? なぜここに?」
 咎めるようなキャンディの口調に、ニコルは目を瞬かせた。しまった――と、キャンディは反省したが、意外にもニコルの顔に怯えたような色はなく、形の良い唇から流れ出た言葉も、確かだった。
「どうしてこんなものを持っているのか。僕は誰なのか。どこから来たのか。僕自身、知らないんです。記憶が……なぜだか分からないけど、何も覚えていなくて。ただ、頭の中にあるのは、突き上げるようにあるのは、エトール山へ行かなければならないということ。そこに行けば、この石が導いてくれるということ。仲間の元へ……僕の仲間、人間の元へ」
「記憶……喪失だと?」
 キャンディは、細い眉をひそめた。
 それほど衝撃はなかった。何かあってここに来た――ということは、容易に想像できた。その言動から、まともな状態でないことも、十分察することができた。しかし、何もかも、綺麗さっぱり忘れているというのは、少々都合が良すぎるのではないか。
「お願いします」
 ニコルの目が、またしっとりと濡れる。
「お礼は必ずします。エトール山へ連れていってくれたら、その先の道さえ見つけることができたら。この石は、差し上げます」
 などと乞われて、はい、分かりましたと言えるか?
 キャンディは、ますます身構えた。
 こんな簡単に、ブルー・スターを渡すということが、まずあり得ない。世界の至宝だぞ。幻の宝玉だぞ。噂によっては、その聖なる力で、国をも滅ぼすという代物だぞ。この話には裏がある。そう考えるのが自然だ。自然だが――。
 キャンディは、そこでまた眉を寄せた。
 嘘のない目だ。澄んだ心を映す目だ。自慢じゃないが、そういう見極めには自信がある。簡単にとさっきは思ったが、そもそもエトール山がどこにあるか、存在しているのかすら分からない状態なのだから、ある意味それは、順当な報酬とも言えるだろう。
 乗ってみるか。
 キャンディの口が、薄く開いた。
 この目に、応えてみるか。
 軽く、身を乗り出す。

 
 
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  第一章・3