何でも屋キャンディのお仕事ファイル                  
 
  第一章 それが始まり  
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「カイ……」
 溜息のように音を殺して、キャンディが言った。
「昨日、ギュムギニュを食ったな。臭うぞ」
「……うっ」
「相変わらず、酒の臭いも混ざっとるし」
「おい、なにもそこまで言うことはないだろう? せっかく、いい雰囲気だったのに」
「雰囲気を壊したのは、そっちだろう」
「ふふん」
 カイは乗せていた尻を机から下ろした。
「そいつは悪かったな。じゃあ、今夜辺り、場所を変えて」
 キャンディの眉が吊り上がる。
「前々からバカだと思っていたが、どうやら想像以上のようだな。では、貴様にも分かるようにはっきり言ってやろう。貴様とわたしの間に、端から雰囲気などというものはない。たとえ世界が滅び、生きる者は互いだけになったとしても、この原理は変わらない。わたしが貴様に靡くことなど、決してない。断じてない。未来永劫、ない。ここにいても、時間の無駄だ。とっと失せろ!」
「分かったよ」
 幅の広い肩を竦め、カイは言った。
「そう噛み付くな。じゃあ、単純に割り切っていこうぜ。五分と五分。これでどうだ?」
「五分と五分?」
「分け前さ」
 口端に、にやけた笑みを残したまま、カイは少し声を潜めた。
「仕事の報酬。つまり、あの石」
「何だと?」
 キャンディの目に、雷光が走る。
「誰が貴様と組むと言った? それ以前に――」
「なら言いんだぜ。もとは俺が見つけた仕事だ。俺だけでやらせてもらう」
「……貴様」
「一ヶ月、適当にその辺を連れ回して、ガキのおもりをするだけなんざ、ちょろい仕事だぜ」
「……ふっ――」
 ふざけるな!
 という言葉を、キャンディは呑み込んだ。代わりに別の言葉を漏らす。
「ま、待て」
 カイの口元が、大きく弧を描く。意味ありげな視線を投げかける黒い瞳を、凍てつく目で見返しながら、キャンディはあることを考えていた。
 こいつは、使える……と。
 キャンディは、もともとニコルから石を取り上げる気はなかった。仕事が失敗に終っても、石は受け取らずにいるつもりだった。問題は、その間の巨額な出費だ。どうやって金を工面するか、それが頭の悩ませどころであった。
 そこへ、金づるが飛び込んできた。金も女も手に入れようと、二兎を追うバカ者が。こいつを上手く利用して、資金を出させる。別に良心は痛まない。金とはその辺にある泉のように、涌いて出るものだと思っている大富豪からせしめるならまだしも。こんな少年の、身ぐるみを剥ぐような真似を、平気で実行しようとしている輩を騙すことなど、何ともない。
 キャンディの目から、冷ややかさが消える。唇に、薄く笑みが浮かぶ。
「七対三。それなら応じよう」
 カイのにやけた顔が、さすがに強張る。
「おい、そりゃないぜ」
「七、三だ」
「四、六。譲れるのはここまでだ。でなけりゃ、やっぱり俺だけで――」
「分かった」
 キャンディは頷くと、水晶板を手に取った。二束三文の安物ではない。契約など重要な決め事に使う、値の張る方だ。
「わたし、キャメロン、いや、キャンディ・キャットがニコル・ベルファンから受け取る報酬」
 板に金色の文字が走る。
「その報酬の四十パーセントを、カイ・グランに支払う」
 刻まれた文字を、カイの方に向ける。
「これでいいな」
「OKだ」
「では、署名を」
 カイは頷くと、板に手を翳した。
「カイ・グラン」
 しっかりと、その名とその手が板に記される。その横に、キャンディも自身の名と手を連ねた。
 契約成立。
 キャンディは艶然と笑った。
 ニコルから報酬など貰うつもりはない。そんな契約はしていない。ゼロの四十パーセントはゼロである。それを知った時のカイの顔を想像し、キャンディはまた表情を緩めた。
「では、早速出かけるぞ。ニコル、その石はもう、しまいなさい」
「そうそう、俺達の大事な石だからな」
 おどけた調子でそう言うカイを無視して、キャンディは、背後の棚から必要なものを取り出した。
 剣、魔唱球、旅に必要なものが詰められた皮袋、そして、金の入った小袋。
 軽いな。まあ、今回は別口があるから、何とかなるか。
 勢いよく振り返る。お気に入りの翠緑色の外套を持つ。纏った瞬間、明るい空色の瞳に翠が差し込み、珊瑚に覆われた海の色となる。
 媚びるような笑顔をニコルに向けているカイを押しのけ、キャンディは少年の前に立った。儚げな雰囲気だったので小さく見えたが、こうして並ぶと、小柄なキャンディとさほど背は変わらない。
 少年の肩に、手を置く。
「行くぞ、ニコル。まずは――」
 少し迷う。当てはない。ここが伝説のエトール山だという話はたくさんあるが、どれも不確かな、胡散臭いものばかりだ。それでも、その一つ一つを洗っていくぐらいしか、キャンディには道が思いつかなかった。
「まずは?」
 ニコルの瞳が、明るく輝く。その希望と期待の光に、キャンディの胸がきゅんと痛む。
「まずは、サントマルツへ行ってみよう。伝説のある山の中で、ここから最も近い」
「ふん」
 軽く鼻で笑うような音が、カイの口から漏れる。その音を聞きながら、キャンディはニコルのために、この男から搾り取れるだけ搾り取ってやろうと、強く誓った。

 

 
 
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  第一章・5