何でも屋キャンディのお仕事ファイル                  
 
  第三章 魔法師ルウ  
           
 
 

 クロノスは、もうすぐ側まで来ている。一方ニコルは、食べかけの芋半個を無理からに口に押し込み、残りの三個に手を伸ばしたところだった。
 懐に入れる。椅子から下りる。とたとたと走る。それがいかにも危なっかしい。
 予想通り、煤けた外套の下から、半欠けの芋が一つ転がり落ちた。それを拾おうとする端で、またころころ別の芋が転がる。
「キャンディ」
 額に手を当て、やれやれとカイが首を振る。
「もうちょっと待て」
 そう背中越しに呼びかけてから、カイはニコルの元まで歩み寄った。落ちた芋を拾う。それをニコルに渡す。
「あ……ありがとう」
 と、答えて手を出すニコルの足元で、また何かが転がった。
 ――一瞬で。
 辺りの空気が凍り付いた。全員の目が、床に吸いつけられる。そこだけ光が当てられたかのように輝く、ブルー・スター。計ったように、床の中央まで転がり、止まる。
 誰が最初に、我が身を手にするのか。
 艶然とした煌きが、そう誘う。異常な緊張が辺りを満たし、時が止まる。そして、
 弾ける。
「ニコル!」
 いくつもの手が、ブルー・スターを求めて伸びた。わずかの差で、芋を握り締めたカイの手が最初に達する。
 芋の先で、それを弾く。ふわっと空に、優美な弧が描かれる。
 そのままどうっと倒れ込んだカイの上に重なりながら、男達は目だけでそれを追った。すとんと星が、ニコルの手に納まる。数瞬の間の後、男達が咆えた。
 突進する。獰猛な獣のような形相で、ニコルに迫る。その前に、ひらりと翠緑色の影が落ちる。
「ぎゃあ!」
 銀の一閃が、先頭の男を空間ごと切り裂いた。伸ばした腕が、千切れて飛ぶ。酒場の壁にぶち当たり、未練がましく爪を立てながら、その腕が落ちる。
「うおおぉ……」
 身をよじりながら男は蹲った。吹き上げる血が、彼の顔を濡らす。くすんだ灰色耳を、赤く染める。その色と匂いに煽られて、居並ぶ者達に殺気が漲る。
「クロノス、お前は先に逃げろ」
 小さくそう言うと、カイは背の大剣を取った。それを叩きつけるように打ち下ろす。問答無用の背後からの攻撃に、赤茶色の尻尾を立てたしんがりの男は、沈むはずであった。だが、カイの大剣は、その目的を達する前に弾かれた。目の前に立ち塞がるのは、酒場の親父。長剣を構え、ぎらりとした目でカイを見る。
「ふん」
 カノートを握る両手に力を込める。
「やっぱりてめえが親玉か」
 言葉と剣のかち合う音が、同時に響く。続けて三回、火花が散る。そして、止まる。
 まずいな。
 睨み合うカイと酒場の親父を視界の端に捉えながら、キャンディは小さく口元を歪めた。翻した剣の先で、血の花が咲く。敵の動きが鈍ったところで、半歩下がる。間髪入れず、相手が一歩、詰めてくる。
 じりじりと、キャンディは追い込まれていた。もう背後に余裕はない。自分だけならこの囲みを、一点突破することも可能だが。ニコルがいては、そうもいかない。
 仕方ないな。
 胸のうちでそう呟くと、キャンディは両手で持っていた剣を、右に移した。前に突き出し、水平に寝かせる。その動きに、男達の列がわずかに止まる。
 キャンディの左手が、翠緑色の外套の裾を小さく払った。腰にある、魔唱球をつかむ。そこへ一気に気を流す。
「アルディナ・カッシータ」
 炎の色に染まった魔唱球が、正面の男に向かって飛んだ。当たる寸前で弾ける。炎を吹き出しながら、囲む男達をなぞるように、球は半円の軌跡を作った。
 赤い炎が、列を乱す。すかさずニコルを抱き、キャンディは駆けた。炎に包まれ、悲鳴を上げながら転がる男達を飛び越える。がっぷり四つに組む、カイと親玉の脇をすり抜け、叫ぶ。
「ニコル、クロノス、走れ!」
 扉を蹴飛ばし、ニコルを外に放り投げながら、さらに声を張る。
「カイ、行くぞ!」
「そう簡単に、行くかってーの」
 きりきりと軋む音を発する剣を構えながら、カイは唸った。
 押されている。力は、酒場の親父が上だった。じわじわと、大剣カノートが、相手の剣に伏せられていく様を目の端で捉えながら、親父を睨む。
 今この力を流して弾いても、やつの方が早く構えられる。かと言って、このまま完全に伏せられてしまっても、やっぱりやつが先手を取りに来る。
 カイの額から、汗が滴る。目の玉をひん剥き、歯軋りしながら迫る親父の顔に、気で負けてなるかと顎を突き出す。互いの鼻先が、触れそうなくらいにまで近付く。
「カイ!」
「うっしゃあああ!」
 キャンディの声に、カイはぐいっと頭を反らした。のけぞるように、後ろに引く。親父の顔が、一瞬戸惑う。
 その顔に、カイは反動の全てを見舞った。鈍い音が、脳を揺らす。痺れがそこから全身に走る。剣を握る手も、地を踏む足にも、力が入らない。意地だけで、それを保つ。
 ずるりと、相手の体がカイの体に、しな垂れかかるように崩れた。
「ざみゃあ……みやがれ……」
 幾分、ろれつの回らない口でそう言うと、カイは酒場を飛び出した。まだ揺れる脳のせいで、歩いているのか、走っているのか、よく分からない。つんのめりながらも、前へ進む。その足元が、炎に染まる。

 
 
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  第三章・2