サントマルツ山のふもとから、遥か北西にあるファンダリア領を目指し、キャンディ達は突き進んだ。あれからもう七日、旅の始めから数えると、すでに十二日が過ぎていた。毎日、毎日、日が昇る前から、どっぷりその日が落ちるまで。ただひたすら歩き続ける。そして今日も、泥のように疲れた体を休める場所にやっと辿りついたのは、空に満天の星が瞬く頃であった。
「なんか、胡散臭そうなところだな」
ドッコスという小さな町にある、ただ一軒の酒場の片隅で、カイが囁いた。
深い時間帯にも関わらず、結構客が残っている。薄汚れた木の色を晒すカウンターに立つ者こそまばらだが、六つあるテーブル席の四席までが埋まっていた。すっかり出来上がっている者も多い。気になるのは、その客のどれもが、妙に目つきの悪い、厳つい輩ばかりであることだ。中には、腰に短剣を携えた男もいる。農夫でもない、商売屋でもない。旅の者にしては、荷物がない。
そういや、この辺りに盗賊が出るって話を聞いたな。
カイは心の中だけでそう呟くと、別の言葉を口にした。
「とにかく飯だ、飯。腹減って死にそうだぜ。おい、親父、あるもの全部持ってこい」
「あるもの……全部?」
一斉にこちらに向かって降り注がれた周囲の視線に、ニコルが小さく肩を震わせた。
「でも……でも、他のお客さんもいるから」
「ああ、あいつらは、酒さえありゃいいんだ。それに、今度はキャンディが払う番だからな。たらふく食うんだぞ、少年」
そう上機嫌で笑うカイと、呆れ果てた溜息をつくキャンディの前に、皿が一つ置かれる。乗っているのは、小さなふかしたチットロ芋が二個。
先だけ白い、カイの濃茶色の耳がぴくりと動く。
「えらく、しみったれた前菜だな」
「悪かったな」
客よりも、ごつい体格の主が太い声を出す。
「しみったれた主菜で」
「えっ、主菜?」
「出せるのはこれだけだ」
「これだけって、おい、ふざ――」
「もう一度だけ言うぞ、若いの」
そこで主は、いかにも硬そうな、黒く短い毛で覆われた尻尾を威嚇するように立てた。
「出せるのはこれだけだ。とっとと食って、さっさと出て行け!」
「なっ……てめ――ふごっ」
カイの反論が、キャンディの向う脛への蹴りで封じられる。
「なに……すんだ……よ……おま……え」
痛みをこらえ、息を詰めながら呻くカイに、キャンディが吐息だけで毒づいた。
「状況を見ろ、バカ者。身包み剥がされる前に、ここを出るぞ」
「ふん、それこそ奴らの思うツボだろうが」
脛を摩りながら、小声で続ける。
「こいつら、みんなそうだぜ。つまり、町ぐるみの盗賊団だ。もちろん、公然とやるわけにはいかないから、今は静かにしているが。俺達をここから追い出して、町を出たところを襲う気だ。夜の闇に紛れてな」
「では、貴様は一生この町にいるつもりか?」
「そうじゃなくて、出るなら明るくなってからの方が」
「ここで一晩過ごす気か。寝込みを襲われる方が、不利だろう」
冷ややかな目で、沈黙するカイを見やりながらキャンディが言う。
「どの道、襲われるのだ。だったらもっと、逃げやすい場所の方がいい」
「逃げる?」
カイの口元が不服そうに歪む。
「まったく、こんな奴ら相手に逃げの一手なんて、俺もお前も、名が泣くな」
「わたしは逃げない。逃げるのはお前だ」
「……て、おい」
「ニコルとクロノスを担いで、お前は先に逃げろ。いいな」
「…………」
「あのう……」
キャンディとカイの、言葉の端だけしか音にならない会話が、わずかに途切れたのを見計らって、ニコルが声を出した。
「食べないん……ですか?」
キャンディは皿を見た。いつの間にか、チットロ芋は半分ずつ、限りなく均等に分かれて乗っている。
心の中に春風が吹き込むように感じて、キャンディは微笑した。
「わたし達はいい。クロノスと分けて食べなさい」
「わたし達って、勝手に俺の分――」
「俺もいらない」
俯いたまま、クロノスが呟く。
「そっか、じゃあ俺が一個――痛っ」
伸ばした手を、ぴしゃりと白い尻尾ではたかれ、ついにカイが立ちあがった。
「キャンディ、てめえな」
勢い良く、キャンディも立ち上がる。侮蔑的な目で、カイに一睨みくれてから、その身をくるりと反転させる。
こちらを伺うように、ちらちらと視線を浴びせていた客達が、揃って他所を向く。そ知らぬ振りでそれらを無視すると、キャンディは主に言った。
「親父、世話になったな、いくらだ」
「一五トーマ」
「芋二つで一五トーマ? ぼったくりじゃねえか?」
「いい加減にしろ、カイ」
押し殺したような声で、キャンディが囁く。
「貴様の役目を忘れるな」
そう言い放ち、先に立って歩くキャンディの背に、カイは憤然とした息を一つ投げた。そして、後ろを振り返る。