「……とっ」
弾ける火球に、カイはあっけなく転んだ。恨みを込めて、怒鳴る。
「キャンディ、てめえ、何す――」
「アルディナ・カッシータ!」
「ウル・バルマ」
ウル・バルマ……?
前方を見やるカイの目に、キャンディの後ろ姿が映る。その向こうで魔唱球が、炎の弧を描かんと弾ける。しかし、完全に弾けきる前に、それは氷の槍に貫かれた。冷たい煌きが、そのままキャンディを狙う。
素早く後ろに下がりながら、キャンディは剣を水平に払った。切っ先と、槍の先とが触れる。魔力のかかった氷の槍が、砕けながらも剣の先を凍らせる。
「アルディナ・マジェッタ」
極度の冷気が、剣のみならずキャンディをも呑み込もうとした寸前、炎の力がそれを防いだ。間一髪で、呪文を発動させた唇が、続けざまに言葉を吐く。
「くそっ、魔法師か」
「魔法師だと?」
起き上がり、キャンディの元に駆け寄りながら、カイが唸った。大きなつば付きの三角帽を被った、黒衣の男を睨む。傍らで呆然と立っている、ニコルとクロノスを後ろに追いやる。
「うかつに仕掛けるなよ」
鋭くキャンディがカイを制す。
「やつは魔法の専門家だ。わたしのとは格が違う」
言葉と同時に翠緑色の外套が舞い、その陰から短剣が放たれる。
「だが、肉弾戦は、その分不得手だろう?」
目的を達する前に、敢えなく氷付けとなった短剣を見やりながら、カイが言った。
「離れて魔法合戦じゃ、こっちが不利だ」
「それくらい分かっている。機を逃すなよ」
再び外套が翻る。
「ニコル、クロノス、伏せろ! アルディナ・カッシータ!」
「ウル・バルマ」
炎の玉がキャンディの手を放れ、真っ直ぐに飛ぶ。その玉を、カイが追う。煌く氷の槍が、炎の玉を砕く瞬間、カイのカノートがそれを叩いた。
粉々になった氷の結晶が、纏わりつくように剣を襲う。割れた魔唱球から吹き出る炎が、鎧となってそれをかばう。青白い光と真紅の輝きを伴いながら、カイの大剣が大きく振りかざされる。魔法師の目が、そこに吸い付く。隙が、生まれる。
「……くっ」
カイの陰から飛び出したキャンディは、予想以上の抵抗にそう息を漏らした。握り締めた短剣の先、魔法師の胸を貫くはずだった切っ先が、強い力で撥ね返される。黒い衣の下から覗いているのは、魔唱球をはめ込んだ杖。キャンディが持つ、一回こっきりの使い捨てのものとは違う、高位魔法をも発動可能な魔唱球が埋め込まれた、白銀の杖。
魔法師の口元が、薄く弧を描く。
「ウル――」
白銀の杖が、かっと輝く。キャンディの青い瞳が、するりと横に泳ぐ。
「おりゃあああ!」
もらった!
その瞬間、キャンディはそう思った。素早く身を返し、魔法師の背後から大剣を振り下ろしたカイも、無論そう確信した。しかし――。
「この俺を甘く見るなよ、小僧」
「なっ!」
大剣ごと飛ばされながら、カイが呻く。
「俺の頭突きが、利かなかったってか?」
「詰めの甘い、お前が悪い」
そうカイを罵りながら、キャンディは剣を突き上げた。だが、その剣も、酒場の親父に返される。
「――バルマ!」
間隙を縫って紡がれた魔法師の呪文が、飛び退くキャンディを襲った。両腕を掲げ、膝を引き上げ、体を丸めて、せめてもの防御姿勢をとる。その体勢のまま、キャンディは背中から地に落ちた。しかし、痛みはそこにしか感じない。腕を、足を、体を貫く氷の槍の衝撃がない。
キャンディは、体を起こした。その目の前で、光の粒が舞っている。渦巻く風に引き裂かれ、散り散りになった氷の欠片。中心には、小さな影。月明かりの下、薄っすらと青の色を示す衣から、黄金の杖が突き出されている。
あいつも、魔法師? しかも子供? というか……。
キャンディは、身を乗り出すように立ち上がった。
あれは、聖都の……魔法師……。
白銀の杖の魔法師が、じりっと後退りする。酒場の親父が、その前で喚く。
「なんだ? このチビ。てめえも魔法師か。こんな風なんか起こしやがって。ガキは引っ込んでろ。でなきゃ、てめえも身包みはぐぞ!」
バカなやつだ……。
キャンディは思った。魔法に少しでも心得がある者なら、この目の前のチビが、ガキが、どれほどの力の持ち主であるか、すぐに分かるだろう。事実、白銀の杖の持ち主は、完全に戦意を失い、いかに逃れるかだけを考えている。まともに戦えば、まったく勝ち目がないことを知っている。
「おら、親父。てめえの相手はこの俺だ。そんなガキは放っておいて、この俺と勝負しろ!」
くっ、バカがあそこにもいたか。
苦々しく顔をしかめると、キャンディは叫んだ。
「カイ、下がれ! 巻き添えを食うぞ!」
「ええ判断や」
小さな影が呟いた。紛れもなく、聖都の者の話し方。柔らかで、少し粘りのある物言いに、逆に薄ら寒さを覚える。
「ほな、行くで」
黄金の杖が、日の光を帯びる。溢れる輝きに、誰もが目を窄める。
「シエ・ディエンダ」
光が風となる。輝線が、空間を切り裂く。舞い上げられた酒場の親父と白銀の杖の持ち主が、肉片となって散らなかったのは、術者の慈悲であった。
それでも、強く地面に叩きつけられた両者の体には、無数の傷が刻まれていた。命の灯が揺らぐ。静寂の中、細く苦しげな呼吸音だけが、大きく響く。
このまま放っておけば、死ぬな。
キャンディは思った。
盗賊どもの末路がどうなろうと、知ったことではない。襲ってきたのは向こうの方だ。ただ、敵を倒しただけ、それだけのこと。だが……。
キャンディは、どこまでも穏やかな気を漂わせる、小さな魔法師の背を見つめた。
これだけはっきりと力の差がある場合、立場は微妙な逆転を見せる。巨大な力を持つ者の正義は、狭い。力の行使は、その正義に基づかなくてはならない。少なくとも、聖都の魔法師なら、心得ているはずだ。殺めるのはもちろんのこと、誰かを傷付けることすら、厳しく制限されている聖都の者なら。
「まいったなあ」
まったりとした声が響く。
「ちょっと、やり過ぎてしもうた」
その、あまりの屈託のない声に、キャンディは震えた。しかし、それが単にその魔法師の性質を表すものではなく、別の事由に裏づけされていたことを、ほどなく知る。