何でも屋キャンディのお仕事ファイル                  
 
  第七章 光の果て  
           
 
 

 上段から振り下ろされたカノートが、騎士の槍先を払う。払われた槍が、鮮やかに回転し、カイの頭を砕かんとしなる。しかし、槍がしたたかに打ち据えたのは、彼の短い茶色の髪だけであった。
 低い姿勢から、カイが騎士の懐に飛び込む。剣先がゲルラッテンの喉元を抉らんとする寸前で、その対象が横にぶれる。勢い余った体を、懸命に返す。わき腹を、騎士の槍が掠める。
 後ろに飛ぶ。一つ、肩で息をする。こめかみに伝う汗を、軽く振り払おうとしたその時、ゲルラッテンが、また赤い口を見せた。
「殺せ」
 周りの騎士達が一斉に動く。だが、その方向は――。
「ニコル、ルウ、クロノス!」
 その時ルウは、魔唱石を使って張った結界の中で、精神を集中させていた。結界のためではない。それは、ニコルに任せていた。ルウの意識は、今、まさに潰えようとしているクロノスに、全て向けられていた。
「死なさへん、死なさへんで」
 決意と共に、呪文が零れる。無意識下に沈められていたその言葉が、嘘のように蘇る。賢者のみに許されし魔法。聖都ゾーマにある紺碧の間で、その資格もないのに触れてしまった転命の法。己が間違いなく罪を犯したことを証明するその呪文に、逃げることなく立ち向かう。
「ラウール・ロン・デア・ヒュルン・バム……」
 ニコルの耳に、激しく鈍い音が響く。騎士の突き出した槍が、結界の壁を抉る。その衝撃と恐怖に、ニコルは身を震わせた。ルウの言葉も、傍らで何が起こっているのかも、分からなかった。
 別の騎士が、槍を振り翳す。打ち下ろそうとして、一瞬、止まる。結界の壁の中に溢れた、黄金色の光に戸惑う。
 クロノスは、薄く目を開けた。金色の光の中で、起き上がる。意識の外で、腹を摩る。槍に貫かれたはずの傷口を、撫でる。
 そこに、痛みはなかった。流れる血も止まっている。摩る指先に、傷の跡を感じない。不思議に思う側で、ルウが囁いた。
「気持ちを集中させるんや」
 持っていた魔唱石を、クロノスの手に押し込める。
「ニコルだけでは、持ちこたえられへん。ええか」
 クロノスは頷き、魔唱石を握った。去り行くルウの手が、赤い。夕陽のように、赤い。
「ルウ……ルウ……」
 嗚咽するように、クロノスがルウの名を呼ぶ。その声を、ルウは微笑で包んだ。
「僕は……とんでもない過ちを……犯した。聖都の魔法師として、恥ずべき行為を……した。僕を育て、指導して下さったお師匠様を……裏切るような、愚かな過ちを……」
「……ルウ」
「でもな……今、僕は良かったと思うてる。間違いを犯して……良かったと。そのお蔭で……こうして、みんなと旅をすることができた……。こうして、あんたを……」
「ルウ!」
「……良かった……」
 ふんわりと、ルウが笑う。
「上手く魔法を……かけることができて……クロノス、後は……頼んだで……トウ・レンシャム」
 いくつものことが、同時に起きた。結界の壁が、強い衝撃で歪んだ。一斉に突き立てられた槍に、壁の外輪が弾ける。そのまま消え入る寸前で、クロノスの持つ魔唱石が、光を放った。新たな壁が、槍の侵入を防ぐ。弾かれた刃が高い悲鳴を上げる下で、ずるりとルウの体が床に崩れた。聖都の青い衣が、濁った色に染められる。伏した体の下から、恐ろしいほど鮮やかな朱色が流れる。
「これで終りだ!」
 遠くでカイが、そう叫んだ。カノートが煌き、黒衣の騎士を薙ぎ払う。まるで、それはもともと命のない物のように、砕けるように崩れ落ちた。
 その姿が、青く揺らめく。
「あっ」
 クロノスは、そう小さく声を上げた。そのすぐ横で、ニコルも息を呑む。
 青い光が、視界の全てを占めていた。まるで、海の底にでもいるみたいだ。不思議と気持ちが静まる。誰の心をも、青が包み込んでいく。
 からりと大きな音を立て、カイの両手からカノートが滑り落ちた。ばらばらと、槍が地に落ちる音が、それに続く。誰もが呆然と、天を仰ぐ。光り輝く、エトールの頂きに魅入る。
 これは……。
 キャンディは、柔らかな光の中で呟いた。
 柱の頂上に置かれた、真っ白な石の台座。その小さな台座にブルー・スターを据えた瞬間、宝玉は純粋に光と化した。洞窟全体に、青が満ちる。輝きで、埋め尽くされる。岩に、壁に、そして自分自身に。どこまでも優しく、どこまでも美しく、心の奥底を照らしながら、溶けていく。隅々までを、清めていく。
 キャンディは、ふと自分の手元に目をやった。夢中で柱を駆け上ったことを示す、無残な爪。剥がれ、露となった肉から、血が吹き出ている。しかし、痛みは全く感じない。
 これも、この光の効果なのだろうか……。
 ぼんやりとそう考え、首を傾げる。と、その体に、微細な振動が伝わる。やがてそれは、はっきりと、キャンディの膝を揺らした。
「キャンディ!」
 そう叫ぶカイの声に、キャンディは顔を下方に向けた。震える大地の上で、よろめきながら、カイが進んでくる。柱に爪を立て、登ってくる。
「危ない、キャンディ! 早く降りろ!」
「……カイ!」
 キャンディは、今一度力を振り絞った。痛みがなかったことが幸いした。しかし、限界を超えた手足は思うように体を支えることができず、半ば転がるようにずり落ちた。
「キャンディ!」
 カイの腕が、キャンディの体をしっかりと抱く。そのまま滑り落ちながら、カイが怒鳴る。
「みんな、離れろ! 柱が、崩れ――」
 カイの声が、そこで切れる。地がうねり、岩壁が裂ける。そして、天が割れる。
 天が――。
 目を閉じる。その場に伏せる。雨のように降り注ぐ轟きを、ただ受ける。指先一つ、動かすこともできず、全身でその音に打たれる。
 どれほどの……時が過ぎたのか。
 耳に残る音が、最後にもう一度、胸の内で反響する。それが消えるのを待って、ようやくカイは、閉じていた目を開いた。

 
 
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  第七章・6