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| 嘉永6(1853)〜文久2(1862) |
<要約>
| 大老井伊暗殺後、幕政を引き継いだ安藤信正・久世広周政権は、失墜した幕権回復をねらって朝幕間の関係改善(公武一和)を目的とした皇女和宮の降嫁をはかった。結果として、降嫁の勅許は降りたものの、その条件として、10年以内の攘夷実行を朝廷に対して約束した。降嫁を願うばかりに実行不可能な攘夷の期限を明言したことは、あとあとまで幕府の足を引っ張ることになった。 |
| 将軍:家茂 |
首席老中:久世広周、 老中:安藤信正 |
| 天皇:孝明 |
関白:九条尚忠 |
◆公武一和策・和宮降嫁奏請の背景
大老井伊直弼暗殺(桜田門外の変)後、幕府の実権を握った老中久世広周・安藤信正は、井伊派を罷免し、安政の大獄で処分された一橋派の復権をはかるなど、反井伊勢力との和解をはかった。さらに、朝幕間の関係改善をはかり、朝廷の権威を利用して反幕的な尊皇攘夷派を抑えるために、「公武一和」を推し進めようとした。公武一和の具体策として推進されたのが、大老井伊の遺策、皇妹和宮と将軍家茂との婚儀だった。
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孝明天皇の降嫁不可の姿勢を説得した侍従岩倉具視は、幕府の降嫁奏請について、朝威を借りて覇権を張ろうとする政治的動機があると分析していた。そこで、朝廷側も降嫁を機会に政治的立場を強化することを考え、幕府の願いを聞き届ける条件として、攘夷の実行や、国家の重要事の奏聞を命ずることを天皇に奏上したのである。 |
桜田門外の変
長州藩の航海遠略策(開国論))
更新日:2001/5/24
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<主な参考文献>
『逸事史補・守護職小史』・『徳川慶喜公伝』・『昔夢会筆記』・『維新史』・『開国と幕末政治』・『幕藩体制解体の史的研究』 |
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